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義母「もうあなたの家じゃない」最愛の夫が事故死…家を追い出された私→さよなら♡5年後、泣きつく義姉!結末は

  • 2026.6.14

夫と結婚したことで家族になった義家族。しかし、夫が亡くなったあとも、その関係が変わらず続くとは限りません。
最愛の夫を失った悲しみは、簡単に癒えるものではありません。そんなつらい状況の中で、義家族から思いもよらない言葉を向けられたり、身勝手な要求をされたりすることもあるのです。
今回は、夫の死後に義家族との関係が大きく変わった女性たちのエピソードをご紹介します。

夫の死後に追い出された私→5年後、義姉からのSOSに私が下した鉄槌

5年前、私は交通事故で最愛の夫を亡くしました。突然のことで現実を受け止めきれず、葬儀のときの記憶もほとんど残っていません。

そんな私の気持ちなどお構いなしに、義母と義姉は冷たい言葉を口にしました。 「もう家族じゃないんだから、この家を出ていって」「私がお母さんとこの家で暮らすから」 夫がいなくなった以上、私はこの家にいる理由がないというのです……。

本来なら、夫婦2人で静かに暮らしていくはずだった家でした。しかし義父を亡くした義母に頼み込まれ、同居を始めたのです。独身の義姉にも相談したものの、「私の家は狭いから、お母さんと同居は無理」「家族なんだから助け合いましょうよ」と言って、何の手助けもしてくれませんでした。

それなのに、夫を失った途端、私を追い出そうとするなんて……。あのとき私は、夫だけでなく、義理の家族までも同時に失ったのです。

会いたくない人との再会

その後すぐに、私は夫との思い出が詰まった家を出ました。今思えば不当な追い出しでしたが、当時は憔悴しきっていて、義家族と争う余裕などありませんでした。ただ、あのつらい環境から離れるだけで精いっぱいだったのです。

新しい生活は決してラクではありませんでしたが、「このままでは前に進めない」と思い、介護の資格を取得することに。勉強は大変でしたが、資格を取り、介護の仕事に就くことができました。

夫が亡くなってから5年が経ち、ひとりの生活にも慣れ、仕事にもやりがいを感じながら穏やかに暮らしていたところ――。街を歩いていると、偶然義母と義姉に再会しました。

久しぶりに顔を合わせた2人は、私の近況を根掘り葉掘り聞いてきました。そして私が介護の仕事をしていると知ると、笑いながらこう言ったのです。

「よくやるわぁ~」

さらに、仕事の内容を軽んじるような言葉まで口にしました。

「おじいちゃんおばあちゃんの相手しかできないなんてかわいそう」

介護の仕事は、決してラクではありません。それでも、誰かの生活を支える大切な仕事です。私は誇りを持って働いていました。

しかし2人は、まるで人の仕事を見下すような態度を取り続けたのです。

その瞬間、私は改めて「この人たちとは、もう関わりたくない」と思いました。

夫のことは今でも大切に思っています。しかし、義母や義姉とは、もう縁を切りたいとすら思っていました。

「家族じゃない」と言ったはずなのに

その再会から、3カ月も経たないころ、突然、義姉から電話がかかってきました。

普段なら出なかったかもしれませんが、何度も繰り返し着信があったため、私は仕方なく電話に出ました。すると、開口一番こう言われたのです。

「お願い、助けてほしいの」

電話の向こうから聞こえてきたのは、義姉の今にも泣き出しそうな声。嫌な予感がしました。

話を聞いてみると、義母が脳梗塞で倒れ、後遺症が残ってしまったというのです。命は助かったものの、日常生活の多くで介助が必要な状態になったとのことでした。

義姉はしばらく1人で面倒を見ていたそうですが、精神的にも体力的にも限界を感じているそう。

そして、義姉はこう言ったのです。

「介護の仕事してるんでしょ? 帰ってきて面倒みてくれない? 家族なんだから」

その言葉を聞いたとき、私は怒りよりも、あきれた気持ちのほうが大きかったのを覚えています。

夫を亡くした私に向かって、「もう家族じゃない」と言ったのは、ほかでもない義母と義姉だったはずです。

私が出した答え

私は落ち着いた声で言いました。

「以前、私のことを『家族じゃない』と言いましたよね」

電話の向こうで、義姉は言葉に詰まっているようでした。

「もし介護が必要なら、介護サービスを利用してはいかがでしょうか。私の勤めている会社でも訪問介護をおこなっていますので、ご紹介ならできますよ」

私は個人的にではなく、仕事としてなら対応できるということを伝えたのです。

すると義姉は、突然怒り出しました。

「お金を取るなんて……冷たいわね!」

しかし、私にとっては当然のことでした。家族ではないと言われ、家を追い出された相手です。無償で面倒を見る理由はありません。

それでも介護が必要なら、専門のサービスを利用すればいい。それが現実的な解決方法だと思ったのです。

結局、話はまとまらず、そのまま電話は終わりました。私は最後に、「もう連絡は控えてください」とだけ伝えました。

今も変わらない大切な存在

その後、義姉から連絡が来ることはありませんでしたが、風の便りで義姉が1人で義母の介護を続けているという話を聞きました。大変な毎日を送っているそうです。

しかし、私が関わる理由はもうありません。私が大切に思っているのは、今も変わらず亡き夫だけです。

人は、立場や状況が変わると、言葉や態度を簡単に変えてしまうことがあります。しかし、困ったときだけ近づいてくる人を、私はもう信用することができません。

◇ ◇ ◇

今回の出来事を通じて、私は人との距離の取り方を学びました。義母や義姉との関係は終わりましたが、夫との思い出はこれからも大切にしていきたいと思っています。

※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

1つ目のエピソードでは、夫を亡くした悲しみの中、「もう家族じゃない」と義母と義姉から家を追い出されてしまった女性が登場します。しかし5年後、かつて自分たちで縁を切ったはずの女性に助けを求めてくるのでした。

続く2つ目のエピソードでは、夫の葬儀にも参列しなかった義母から突然電話がかかってきます。何の連絡かと思いきや、義母は遺産をめぐって思いもよらない要求をしてきて……。

夫が急逝し義母「遺産は親の物!他人は消えろ」→1週間後、義母から鬼電が!

私は夫と娘の3人で暮らしていました。けれど、夫は突然この世を去りました。葬儀を終えた翌日、私のスマホに義母から久しぶりに着信が入ったのです。< p>

葬儀の翌日、義母から突然の電話が…

電話口の義母は、まるで近況確認でもするような軽い調子でした。「昨日、葬儀だったんでしょ? どうだった?」


私は一瞬、言葉を失いました。亡くなったのは義母の“息子”なのに、義母は葬儀に姿を見せなかったのです。「どうだったも何もありません。葬儀にも来ないで……今さら何の用ですか」


義母は悪びれもせず、「息子だって私に参列してほしくなかったんじゃない? あの子、私のこと嫌ってたし」と、笑い混じりに言ったのです。


悲しみよりも、怒りがこみ上げました。仮にそうだったとしても、参列しない理由にはなりません。私が「悲しくはないんですか?」と尋ねると、「別に。たまに顔を合わせるくらいだったし。勝手に育ったようなもの」と、驚くほど冷たい言葉を返してきたのでした。

「お願いがあるの」―義母が切り出した“本題”とは

沈黙のあと、義母は話題を切り替えました。「まぁそんなのはどうでもいいわ。それより、お願いがあって連絡したの」


嫌な予感がしました。案の定、義母は「年金暮らしでお金がなくて困ってる」と言い出したのです。夫から、生前何度も聞かされていました。義母は年金だから苦しいのではなく、浪費が原因でたびたび無心をしてくる、と。


そして義母は、ついに本音をむき出しにしました。「息子は稼いでた割にケチだったでしょ? だから全然くれなくてね。でももう息子はいないわけだし、あなたなら分けてくれるかなって。大事な義母が困ってるんだから、嫌とは言わないわよね?」


私は、はっきり伝えました。「払いません」

「遺産がほしい」義母の執着が止まらず…

義母は激昂しました。「息子が残したお金がいっぱいあるんでしょ? ちょっとくらいくれたっていいじゃない!」

私は息を整え、できるだけ冷静に答えました。義母にお金を渡さなかったのは、義母のためでもあったこと。依存を断ち切らない限り生活態度は変わらないのでは、と悩んでいたこと。すると義母は、「自分の分が減るのが嫌なだけでしょ。最低」と罵ってきました。

「今まで誰のおかげで生活できてきたの? 私が息子を産んでやったからでしょ! 感謝して当然!」と畳みかけ、「数日中に振り込め」と言い放ちました。


ですが、私は振り込みませんでした。すると数日後、義母から電話がかかってきました。「お金、振り込まれてないけど……。よく考えたら、あなたが持ってるお金って全部息子のものでしょ? 私の息子なんだから、私にも遺産を受け取る権利があるわよね。だから私の分の遺産をちょうだい」

「遺産をくれないなら家に行く」私の答えは…

義母は「くれないなら何回でも連絡する。家にも行く」と脅し、「遺産をくれたら連絡しない。お互い得でしょ?」と、取引まで持ちかけてきました。

義母はさらに、意味のわからないことを言いました。「息子の遺産ってことは、私が好きにしていいってこと。息子が亡くなった以上、私とあなたは他人。だから他人が息子の遺産に口出しする権利なんてないの。わかったら黙って見てなさい」


娘に危害が及ぶと困るので、「わかりました。お義母さんのお好きなように」と告げて、私は娘を連れて実家へ戻りました。必要な手続きは粛々と進めるつもりでしたし、義母の脅しに怯えながら家で暮らす理由もなかったからです。

1週間後、「相続できない!」と取り乱す義母

それから1週間ほど経った夕方、義母から何度も連絡がありました。「息子の遺産はどこなの!どこに行っても相続手続きができないんだけど!? どういうこと!?」


私は静かに答えました。「金融資産も不動産も、私と娘が相続しました」義母は「私の相続分はどこに行ったのよ!」と取り乱しましたが、私は前から不思議だったことをそのまま尋ねました。「なんで相続できると思ったんですか?」


義母は「友だちが子どもの遺産を相続してた」と主張しました。けれど、それは配偶者や子どもがいなかったケースだったのでしょう。夫には配偶者の私と、子どもの娘がいます。私がその説明をすると、義母は「知ってて黙ってたの!? 詐欺よ!」と、怒りをこちらにぶつけてきました。


そして、義母が「破産する」「見捨てるのか」と泣き落としを始めたとき、私は最後のひと言を伝えました。「夫はいつも言っていました。お義母さんがお金を要求してきても対応しなくていい、と。関わる必要もない、と」

義母は「親不孝な息子!」とののしり、しまいには「あんな子産むんじゃなかった」とまで言いました。私はこみ上げる怒りを抑え、夫が生前にしてきたこと——住まいの用意、バリアフリーのリフォーム、母の日の贈り物——それらを淡々と挙げました。それでも義母は「知らない」「勝手にやった」と言い捨てたのです。


夫は、生きている間ずっと、義母が変わることをどこかで願っていたのだと思います。けれど義母は最後まで、自分の欲望を優先し続けました。私は義母の連絡先を着信拒否に設定しました。しばらくは娘と実家で過ごし、気持ちと生活を立て直すことを優先していきたいと思っています。

◇ ◇ ◇

お金は、ときに人を盲目にしてしまうことがあります。だからこそ、感情や周囲の圧力に流されるのではなく、自分と子どもの未来を守るための判断をしていきたいですね。

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

いかがでしたか?

今回は、夫を亡くした悲しみの中で、義家族の身勝手な言動に直面した女性たちのエピソードをご紹介しました。

夫と結婚したことで家族になった義家族でも、夫がいなくなったあとまで同じ関係が続くとは限りません。悲しみの中にいる相手を思いやるどころか、自分の都合や利益を優先する人もいるのです。そんな中でも、女性たちは理不尽な要求を受け入れることなく、自分自身の人生を守る道を選びました。

大切な人を失った悲しみは簡単に癒えるものではありません。それでも、自分を傷つける相手と無理に関わり続ける必要はないのかもしれません。これからの人生をどう生きていくのか――その選択は、自分自身で決めていいのだと考えさせられるエピソードでした。


著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

ベビーカレンダー編集部

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