1. トップ
  2. エンタメ
  3. 「カリスマ俳優の父を持つ注目の二世」じゃない。日曜劇場から異色のW主演まで…業界がこぞって指名する「若き天才」

「カリスマ俳優の父を持つ注目の二世」じゃない。日曜劇場から異色のW主演まで…業界がこぞって指名する「若き天才」

  • 2026.6.21
undefined
2018年9月、映画『泣き虫しょったんの奇跡』舞台挨拶に出席した窪塚愛流(C)SANKEI

俳優の格は、主演の本数で測られがちだ。何本看板を背負ったか、何本タイトルに名前が出たか。わかりやすい物差しではある。

ただ、その物差しからこぼれる種類の俳優がいる。窪塚愛流は、いまのところそういう若手だ。単独で背負った連続ドラマはまだ数えるほどしかない。群像の脇に置かれているはずなのに、観ているうちに気づけば目がこの人を追っている。声を張るわけでも、派手な芝居でもない。それでも画面のほうが、この人を選んでしまう。

役のいまを技術で詰めず、そのまま生きてしまうから、嘘っぽさが出ない。たぶん、そういう種類の俳優だ。

一場面で、回の感情をさらった

最初の手がかりは、日本テレビ系『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年)にある。松岡茉優演じる教師のクラス、3年D組の生徒。窪塚が演じた栖原竜太郎は、主役でも準主役でもない、生徒のうちの一人だ。それでも第4話、傷ついたクラスメイトに思いを伝える告白の場面で、その回の感情を一気にこの人がさらってしまった。放送後の反響もそこに集まった。

考えてみると、群像ドラマの脇というのは、ふつう物語を前に進める歯車として置かれている。ここで誰かが傷つく、ここで誰かが告白する、という配置の一つだ。ところがこの場面の栖原は、配置の役割を軽く飛び越えて、見ている側の感情をいったん預かってしまった。出番の長さの話ではない。歯車のはずの一人が、回の中心を黙って引き受ける。それを2023年の段階でやってのけたのが、最初の証拠だった。

名前で覚えられる、生徒の一人

その性質がさらにはっきりしたのが、TBS系日曜劇場『御上先生』(2025年)だ。松坂桃李演じる教師が担任するクラス。窪塚が演じたのは、社交的でクラスに溶けているのに、パソコンの前に座ると天才的な能力を見せる男子高校生・次元賢太だった。

これだけ生徒がいる中で、次元賢太が個人の名前で語られたのは、芝居で押し切ったからではない。むしろ逆だ。役を技術で詰めにいかず、等身大の自分でその教室にただ立ってみせた。それなのに、いや、だからこそ視線が集まってしまう。群像で目立とうとして芝居が前に出ると、たいてい座組から浮いて、かえって覚えてもらえない。窪塚はその罠を、力まないことで抜けてしまう。

線が細いことは、ふつう群像の中では弱点になる。ところがこの人の場合、その細さの奥に嘘がない体温がある。視線は、芝居のうまさに引かれるのではなく、その体温の方に自然と寄っていく。次元賢太が個人の名前で語られたのは、たぶんそういう仕組みだった。最も深いところで、この人の核が見えた。

派手な世界の真横で、押さずに立てる

寄り添う脇で重心を引き受けるだけなら、それだけならまだ若手の中にいる。窪塚の面白いところは、世界観の温度が極端に振れたときも、芝居の質が変わらないところだ。

2024年公開の映画『ハピネス』で、窪塚は蒔田彩珠とW主演を務めた。映画初主演となる作品だ。演じた国木田雪夫は、一見すると派手で贅沢な振る舞いをするのに、その内側はむしろ慎ましさに満ちている難しい人物だった。テレビ東京系ドラマ『るなしい』(2026年)では、原菜乃華演じる主人公の初恋相手を演じている。物語のエンジンを担う準主役格の役だ。

『ハピネス』の慎ましい青年と『るなしい』の毒のある男。役の温度はまるで違うのに、画面に出てくるこの人の手触りは不思議なくらい同じなのだ。怖さや危うさのある役でも、押しの強さで見せにこない。初恋の相手として近づいてくる自然さのまま、いつのまにか主役を抜き差しならない場所へ連れていく。世界観が派手な作品の真横でも、押さずに立てる。これは案外、できる俳優が少ない。

ちなみに2026年には、父・窪塚洋介とユニバーサル・スタジオ・ジャパンのCMで親子共演している。ただ、この人を二世という入口で語るのは、もう違う段階に入っている。脇でも主演でも芝居の質感が変わらないから、入口の物語を通り越して立ち上がってしまう。

主演の真横で、芯を通す

そして2026年6月からは、テレビ東京系ドラマ『わたしの相殺日記』に出演。主演はあのが演じる、欲望に忠実すぎる奔放な姉・桜庭萌だ。窪塚はその弟。合理主義でミニマル思考のIT技術職で、姉の家賃を9割負担しながら、冷静なツッコミを入れつつ誰より近くで姉の生き方を見守る。

これまで脇で積み上げてきたものが、ここで一つにつながる気がする。線の細さ、力まない自然体、嘘のない体温で重心を引き受ける佇まい。それが、主演のすぐ真横という、最も効いてしまう場所に置かれている。

役の関係そのものが対比でできている話で、片側の温度が強すぎると話は転んでしまう。窪塚はその役回りを、ツッコミの強さで返すのではなく、姉の隣で穏やかに息をする弟として収めている。引き算で温度を引き取れるから、あの演じる姉の派手さがちゃんと画面で立つ。主演を立てる脇という、いちばん大事な仕事を、芝居の引き算でやってのけている。

振り返ると、座組はこの人を、画面の重心が寄ってしまう場所にいつも置いてきた。どの位置でも、技術で詰めずに役のいまを生きてしまう。次にどこに置かれても、たぶん画面はまたこの人を選ぶ。それを確かめにいくのが、いま一番楽しみな俳優の一人だ。


※記事は執筆時点の情報です

の記事をもっとみる