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「保育園に迎えに行ってあげてたよね」弟に言い続けた一言 → 大人になって返された言葉に絶句

  • 2026.5.13

筆者の話です。
弟のためにしてきたことを、どこか誇らしく思っていました。
けれどある一言で、その記憶の見え方が変わって――。

画像: ftnews.jp
ftnews.jp

繰り返す言葉

「迎えに行ってあげてたよね」
何気ない会話の中で弟にそう話すことがありました。
両親が共働きで、保育園の迎えに間に合わない日は、小学生だった私が弟を迎えに行っていたのです。
学校から帰るとランドセルを置き、そのまま保育園へ向かうこともありました。

積み重ね

雨の日には傘を持って歩き、足元に気をつけながら弟の手を引いて帰りました。
小さな手を握りながら、転ばないように気を配っていたことを、今でも覚えています。

周りの人から「えらいね」と声をかけられることもありました。
その言葉をそのまま受け取って「ちゃんとやっている」と思っていたのです。
日々の積み重ねは、自分の中で少し誇らしい記憶として残っていきました。
思い出すたびに、自分なりに役に立てていたのだと感じていたのです。

返された言葉

大人になってからも、その話を昔話として何度か口にしていました。
私の中では、姉弟の絆を確認する「いい話」のつもりだったのです。
ある日、同じように話したときのことです。
「それ、何回も言われると嫌なんだけど」
弟のその一言に、言葉が止まりました。
当たり前のように話していたことが、違う形で伝わっていたことに気づいたのです。

あの頃はただ家族としてやっていたことでした。
誰かに評価されるためではなく、必要だから動いていただけだったはずです。
それなのに、いつの間にか「してあげたこと」として話して無意識に弟よりも優位に立とうとしていた自分がいました。恩着せがましい言葉で、彼の子供時代の自尊心を傷つけていたのかもしれません。

見え方の変化

言葉にすることで意味が変わってしまうことがあります。
本当はそのまま大切にしておけばよかった思い出を、自分のひと言で少し違うものにしてしまっていました。

あの頃は、ただ家族としてやっていただけのこと。
美しい思い出は、心の中にあるからこそ、そのままでいられるのかもしれません。
それを言葉にしてしまったことで、自分で意味を変えてしまっていたのだと感じた出来事です。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年4月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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