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【中村莟玉さん】一般家庭から歌舞伎界へ。“リアル国宝”の半生に迫る!

  • 2026.5.4

歌舞伎界に新風を吹かせる若き獅子、中村莟玉さん(29)。一般家庭から歌舞伎入りを果たしたその境遇から、「リアル国宝」と評されることもあるそうですが、「僕は喜久雄(映画「国宝」の主人公)ではないですよ(笑)。確かに似ている部分もありますが、違う部分も当然だけどたくさんあります」と穏やかに語ります。今回の美STオンラインでは歌舞伎界のホープ、中村莟玉さんにフォーカス!伝統芸能に真摯に向き合うその姿に迫りました!

《Profile》中村莟玉さん

1996年9月生まれ。東京都出身。歌舞伎俳優(屋号は高砂屋)。9歳の時に本名である森正琢磨の名前で初舞台を踏む。翌年の2006年に中村梅玉の部屋子となり、同年に中村梅丸を名のり本格的に歌舞伎俳優として歩み始める。その後2019年に人間国宝・中村梅玉の養子となり、初代中村莟玉と改名。立役、女方ともに勤め、歌舞伎界の枠を超え人気急上昇中の若手のホープ。2025年放映の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の西村屋万次郎役が記憶に新しい。今後ますます目が離せない存在。

◆公演情報

六月博多座大歌舞伎

公演日程:2026年6月2日(火)~22日(月)

昼の部 午前11時~
夜の部 午後3時45分~

劇場:博多座

第三回 高砂会

公演日程:2026年8月22日(土)17時、 23日(日)11時30分/16時30分

劇場:日本橋公会堂

歌舞伎座デビューは2歳の時。物心つく前から、歌舞伎に魅了されていました

映画「国宝」が公開されてからというもの、とにかく色んな方から「国宝観た?」って訊かれるんです。歌舞伎界における境遇が似ている部分もありますから、そんな僕が映画を観てどんな感想を持つのか気になられるのかもしれませんね。実際に鑑賞させていただきましたが、作品の素晴らしさは言わずもがな、「まるで僕のようだ!」とはそんなに思いませんでした(笑)。似ているところもありましたが、同じくらい違うところもありました。ですが「国宝」を通じて僕のことを知ってくださった方もいらっしゃるようなので、それは大変有難いことだと思っています。

喜久雄と似ている最たる部分は、僕が御曹司ではなく、一般の家庭から歌舞伎界に入ったところだと思います。元々僕の母が歌舞伎の大ファンで、大学時代に「桜姫東文章」という演目を観てハマったそうなんです。その後就職をして結婚し、子育てがあったので劇場に行けなくなり、しばらくはNHKの劇場中継などで凌いでいたところ、僕も食いついたようです。物心つく前のことでしたが、テレビの前に行儀良く正座して画面に釘づけになってる写真が残っています(笑)。4歳年上の姉がいるんですが、姉はちっとも歌舞伎に興味を示さなかったみたいで、同じ環境で育っても興味のベクトルが違うのが面白いですね。

運命が動き出した。仁左衛門のおじ様の「切られ与三」ごっこ

初めて歌舞伎座で歌舞伎を観たのは僕が2歳の時。その頃には母とテレビ中継で歌舞伎を観ることは日常でしたが、飽きない僕を見て、「なら劇場に連れて行ってみようかな」とふと思ったようです。でも何を観たのか全く憶えていないんですよ。母の推しは仁左衛門のおじ様や勘三郎のおじ様だったので、おそらくその方々が出られている演目だと思うんですけどね。いずれにせよその頃から、ときどき母が劇場に連れて行ってくれて、どんどん歌舞伎の沼にハマっていきました。

事が動いたのは5歳の時です。出版業界に勤めていた母が仕事の関係で知り合った方に、新橋の芸者さん達の「東をどり」という会にお誘いいただきました。「息子さんも歌舞伎がお好きなんだったらご一緒に」とご招待いただくことになって。ご厚意で手拭いまでいただいたんですよ。そして劇場のロビーでいただいた手拭いをほっかむりして、その2ヶ月前に歌舞伎座でかかっていた仁左衛門のおじ様の「切られ与三」の与三郎の真似事をして遊んでいたら、「あら、与三郎じゃない」と声をかけてくださったのが、日本舞踊の先生だったんです。僕のことを面白がってくれて、「良かったらお稽古においで」とお誘いいただき、先生が当時構えていらした歌舞伎座の真裏にある稽古場に通わせてもらうことに。そこからは幸運なことに、あれよあれよとご縁が繋がっていきました。先生が稽古場の近くのレストランで顔見知りになったのが当時の歌舞伎座の支配人さんだったり、先生がその方に、僕が歌舞伎俳優になりたいことを口添えしてくださったり。偶然とご縁、タイミングが重なって、後の養父となる中村梅玉と出会ったのが、僕が小学2年生になる年の3月でした。

本名で初舞台。中村梅丸を経て、初代中村莟玉へ

梅玉の最初の印象は、「優しそうな人。でも実は凄く厳しい人」ですかね。最初は、土日だけ梅玉の楽屋に通って、ちょっとした身の回りのお手伝いをさせていただいていました。僕の母も梅玉も「どうせすぐに飽きて辞めるだろう」と思っていたらしいのですが、いつまでも辞めない(笑)。「じゃあ舞台に出てみる?」となって本名で一度舞台に立ったのが9歳の時です。

初舞台のことはよく憶えています。梅玉が富樫という武士のお役で、僕はその太刀持ちのお役。セリフはなくて、10分とか15分とかただ座っているだけで、梅玉と一緒に舞台から捌けるというもの。あのとき舞台から見た客席の光景は、絵として強烈に残っています。歌舞伎は約1ヶ月間公演がありますが、毎日学校を早退して劇場に行くのが楽しみで仕方ありませんでした。既にその頃からやり甲斐を感じていたんでしょうね。その翌年に梅玉の部屋子となって、同時に中村梅丸という名前をいただき、歌舞伎俳優として正式にデビューすることになりました。両親は「良かったね」とは言ってくれましたが、「後戻りできないんじゃない?」と心配もしていたようです。歌舞伎界は厳しい!という先入観もあって、母は「あんた今は名前もらって浮かれているけど、稽古は厳しいよ?木に縛られるかもよ?」なんてビビらせていました(笑)。その後、梅丸を13年間名乗り、「まるちゃん」とか「まるる」などと呼んでいただいて、先輩方やお客様方にも名前を覚えていただきました。

20代になり、抱えた苦悩

このようにお話しすると順調な感じもしますが、20代になりたての頃かな?進路について悩むこともありましたね。大学に進学したのですが、周りの友達が進路をどんどん決めていく中、「自分はこの先どうなるのかな?ただ目の前のことを頑張るだけでいいのかな?」と思うことが増えていきました。「もっと大人になって自立しないと」、と密かに焦っていたんです。今思えば、それは味わっておくべき感情だったのだと思いますね。悶々としながらも、自分がどうなっていきたいのか、と自身と否応なく向き合う時期でもありましたから。梅丸として数々の演目に出させていただき、若手の登竜門である浅草歌舞伎にも呼んでいただいて、御曹司の先輩方には末の弟のように可愛がってもらいました。そんな中、もっと結果を出したい、いつかは幹部俳優になりたい、憧れとして夢を見るのではなく、現実的に理想を追えるポジションに行きたい、と願うようになったのは、ごく自然なことだったと思います。

本記事は、美ST編集部が取材・編集しました。「美ST」は16年以上にわたり、40代&50代女性の美容とライフスタイルを追求してきた月刊美容誌です。

撮影/佐藤容平 ヘア・メーク/森永瑠衣(mfn) スタイリスト/藤長祥平 取材/キッカワ皆樹 編集/西村公寿

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