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佐藤二朗が原作・脚本・主演を務めた渾身の一作『名無し』で描いた“負”を抱えた者への眼差し「当たり前や既成概念に冷や水をかけたい」

  • 2026.5.1

『爆弾』(25)で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した佐藤二朗が手掛けた同名の漫画原作を、自らの主演・脚本で映画化した『名無し』(5月22日公開)。佐藤が演じる奇妙な髪型の中年男、“名無し”=山田太郎が、右手で触れたものをすべて消し去る“見えない凶器”で無差別大量殺人を繰り返す。

【写真を見る】『名無し』ができるまでの行程を熱く語る佐藤二朗

その過激なテーマと特殊な世界観ゆえに“映像化不可能”の烙印を押された完全オリジナルストーリーを『悪い夏』(25)、『嗤う蟲』(25)などで知られる城定秀夫監督が映画化した異色のサイコバイオレンスだ。念願の企画をついに実現させた佐藤二朗は、いまなにを思うのか?作品に込めた想いと製作秘話、その過程での心の変化を訊いた。

「『爆弾』と変えなきゃ、差をつけなきゃっていう考えが山田太郎を喋らないキャラクターにしたんです」

自分が監督、主演する映画を作るつもりで本作の脚本を書き始めたという佐藤。だが、それが漫画の原作になったのは「いまの日本の映画界の現状では、(人気の小説や漫画などの原作のない)オリジナルの物語(を映画化すること)は難しい。親身に相談の乗ってくれた何人かのプロデューサーにそう言われたんです。でも、そのうちの一人に紹介された電子コミックの編集長さんの目に止まって漫画になり、それが今回の映画に繫がったんです」と振り返る。

『爆弾』の役作りで坊主頭にする前に『名無し』の撮影を行った [c]佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ [c]2026 映画「名無し」製作委員会
『爆弾』の役作りで坊主頭にする前に『名無し』の撮影を行った [c]佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ [c]2026 映画「名無し」製作委員会

そう前置きをしたうえで、佐藤は“この物語をなぜ書いたのか?”という本質的なところに話を進めていく。

「ホン(脚本)の執筆は、このお話を書きたいという想いがモチベーションになる時もあれば、このシーンをどうしてもやりたいという動機から物語を作る場合もあるけれど、今回の場合は完全に後者でした。あの冒頭のシーン。僕が演じた山田太郎は女の人とファミレスで話しながら、彼の右手には鋭利な刃物を持っている。しかしなぜか彼女は一切、出刃包丁のことに言及しないで他愛もない話を続けている。で、突然刺されて女性は『え?なにこれ?』となるし、観客も『なにを見せられているんだろう?この世界はなんなのだろう?』という戸惑いを覚える。でも、その後の回想シーンなどを通して、太郎の右手のことを知り、女性には刃物が『見えていなかったんだ』ということが観客もわかる。まず最初にそういうことをやりたいと思ったんです。完成した映画では、シチュエーションが少し変わりましたけど」。

その初期衝動について、佐藤は極めて自覚的だ。

「僕が脚本を書き、宮沢りえさんを主演にお迎えした舞台『そのいのち』で、演出の堤泰之さんから『二朗くんのホンって、ウワ~って笑っているお客さんに急に冷や水をかけるみたいな描写が必ずある』って言われたことがあるんだけど、そこは意識的にやっていて。当たり前とされていることや既成概念に冷や水を浴びせたいという思いが僕のなかにたぶんあって、それを今回もやりたかったんです」。

だが、前記のようにそのシチュエーションが少し変わったのは『爆弾』が大きく影響しているという。

当初は自ら監督するつもりだったという佐藤二朗 撮影/河内彩 ヘアメイク/今野 亜季(A.m Lab) スタイリング/鬼塚美代子(Ange)
当初は自ら監督するつもりだったという佐藤二朗 撮影/河内彩 ヘアメイク/今野 亜季(A.m Lab) スタイリング/鬼塚美代子(Ange)

「『爆弾』のお話をいただく前にこのホンを書いているんですけど、やっぱり『爆弾』と変えなきゃ、差をつけなきゃっていう考えがあって。城定監督と打ち合わせをして車で帰る時に『喋んないの、ありだな』って思ったんです。『爆弾』のスズキタゴサクは延々喋っているから、そのほうが異なるキャラクターを演じられる。人と長い間話していないから声帯が退化して潰れたような声になっているというイメージもすぐに浮かんだので、“不自由な、かすれた声”というト書きや山田の台詞はおどろおどろしい文字で印刷してもらって。喋らないキャラのほうが『名無し』というタイトルのこの映画には相応しいと思ったし、無口になるとそれだけで不穏な空気になるので、(普通の日常が思いがけない展開でガラリと変わるという)僕が最初にやりたいと思った描写は捨てることにしたんです」。

「些細なことで『明日も生きてみようかな?』ってちょっとだけ前を向ける話にどうしても惹かれてしまうんです」

【写真を見る】『名無し』ができるまでの行程を熱く語る佐藤二朗 撮影/河内彩 ヘアメイク/今野 亜季(A.m Lab) スタイリング/鬼塚美代子(Ange)
【写真を見る】『名無し』ができるまでの行程を熱く語る佐藤二朗 撮影/河内彩 ヘアメイク/今野 亜季(A.m Lab) スタイリング/鬼塚美代子(Ange)

自分が監督するつもりで書いていたホンを城定監督に委ねたのはなぜなのか?気になって尋ねると、「プロデューサーの武部(由実子)さんから『監督をやるなら出ない。主演にこだわるなら監督は別の人』って言われたんです」と述懐する。

「でも、結果として武部さんにも城定監督にもすごく感謝しています。職人としてプロフェッショナルで、いろいろな撮り方のノウハウを知っている城定監督によって作品がよくなったのもそうだけど、僕が演じたい、こういう世界を作りたいと思って書き始めたホンを(客観的な視点を持った第三者の)城定監督が形にしてくれる流れがすごくよかったんです。ベン・アフレックとマット・デイモンは『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』のホンを自分たちで書き、出演もしたけれど、監督はガス・ヴァン・サントでしたよね。その形は日本にはあまりないから僕がやるのもおもしろいかなと思ったし、いつかはやっぱり監督をやりたい!って気持ちになることもあるかもしれないけど、いまはとにかく次も原作・脚本・主演で僕はやりたいと思っています」。

右手で持った見えないバットを振り回して、市民を襲う山田 [c]佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ [c]2026 映画「名無し」製作委員会
右手で持った見えないバットを振り回して、市民を襲う山田 [c]佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ [c]2026 映画「名無し」製作委員会

とはいえ、この救いようのない残虐な物語は紛れもなく佐藤二朗から生まれたもの。佐藤自身が演じた山田の凶行、“冷水を浴びせる”どころではない地獄絵の連続に目を背ける人もいるかもしれないし、どうしてこんな残虐な映画を作ったんだ?と首を傾げる人も少なくないだろう。

「これを観て、いろんな解釈をする人がいると思います。今日の朝いちばんに取材をしてくれた記者さんなんて『現代のSNSの世界に対する反発じゃないですか』と言っていて。『なんでも消してしまう山田の右手の刃物は(簡単に人を傷つけられる)スマホを象徴するもので、通り過ぎる人を次々に斬りつける山田は(ネットで自分の正義を振りかざす)匿名のユーザーなのでは?』というその人の持論を聞いた時は、なるほどと思ったけれど、俺、そんなこと全然考えてなかったんです。別に世の中に対して怒りたいとか、物申したいってことでもないんですよ」。

「意識していることを強いて言うなら、神の存在、神の立ち位置みたいなことかな?」と噛み締めながら続ける。

「水野美紀さんが以前、雑誌のインタビューで『もしかしたら二朗さんご自身も“負”を抱えた側にいると思われているかも』って話していて。それを読んだ時に『確かにそうかもな』と思いました。さっき話した舞台『そのいのち』には実際に脳性麻痺の俳優さんに出てもらったし、監督と脚本を兼任した『memo メモ』は強迫性障害を患った女の子が主人公。監督と原作、脚本を手掛けた『はるヲうるひと』は虐げられた遊女たちの話で、みんな“負”を抱えている。でも、僕は“負”を抱えた人間がすごくいいことになっていく話にはあまりグッとこなくて。些細なことで『明日も生きてみようかな?』ってちょっとだけ前を向ける話にどうしても惹かれてしまうんです。

山田は幼いころに警官の照夫に保護された [c]佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ [c]2026 映画「名無し」製作委員会
山田は幼いころに警官の照夫に保護された [c]佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ [c]2026 映画「名無し」製作委員会

世の中、当たり前に理不尽だし、神様が同じカードを同じようにすべての人に配るわけではない。神様から貧困なカードしか与えられなかった人もたくさんいますからね。ただ僕は、そんな神様の気まぐれなカード配りに人間の温もりとか繋がりとか、小っ恥ずかしい綺麗事が負けてほしくなくて。そんな想いがどの作品のホンを書く時にもこれまではありました」。

「MEGUMIちゃんが『邦画史上最も不細工で汚いラブシーンにしようよ』って言ってくれた」

花子の存在が山田の唯一の拠り所だったが… [c]佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ [c]2026 映画「名無し」製作委員会
花子の存在が山田の唯一の拠り所だったが… [c]佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ [c]2026 映画「名無し」製作委員会

佐藤が語るように、彼がこれまで産み落としてきた主人公たちはちょっとしたことで救われ、前を向くようになるが、本作の山田はそれに当てはまるキャラクターではない。

「いままで僕が書いてきたのは(世の中や他人と)繋がることを諦めなかった人たちですけど、今回は繋がることを諦めた主人公ですからね。そこが決定的な違いです。でも、本作も理不尽なことに一矢報いたいという思いで書いたんです。さっき話したように、お客さんに明るく帰っていただく映画もいいけれど、『こんなことがあってはいかん!』ということを提示する映画も必要だと僕は個人的に思っていますから。そのときに、本当に目を背けたくなるような残酷な描写がないと、そう心から思えない気がしていて。それを描くのも、映画のひとつの役割だと信じているんです」。

刑事の国枝は執念深く山田を追う [c]佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ [c]2026 映画「名無し」製作委員会
刑事の国枝は執念深く山田を追う [c]佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ [c]2026 映画「名無し」製作委員会

幼少期の“名無し”に「山田太郎」という名前をつけてやる交番の巡査・照夫に扮した丸山隆平、山田と幼いころから行動を共にし、彼の右手の秘密を知る謎の女性・花子を体現したMEGUMI、異常な執念で山田を追う刑事・国枝を演じた佐々木蔵之介。佐藤の熱い思いに共鳴し、この世界に足を踏み入れた彼らが“名無し”のドラマをより深く、考えさせるものにしている。

「蔵之介さんとは20代のころから舞台やドラマで何度か共演させてもらっていて、山田と合わせ鏡になるような国枝を同年代の蔵之介さんで見たかったから、なんとしても口説き落としたかった。なので、長文のラブコールを書いてプロデューサーから送ってもらったし、『もっと話を聞きたいなら、いつでもどこにでも言って話します』というメールを送ったんですよ。そしたら、プロデューサー伝いに『二朗とは一緒にやりたかったからお引き受けしますわ』といううれしい返事が返ってきた。丸山くんとはクランクイン前にちょっと会っただけで、一緒に芝居をするシーンはなかったけれど、完成した映画を観た時に彼がこの作品にのめり込んでくれているのがわかった。

20代のころからの“同志”である佐々木蔵之介との共演を喜ぶ佐藤二朗 撮影/河内彩 ヘアメイク/今野 亜季(A.m Lab) スタイリング/鬼塚美代子(Ange)
20代のころからの“同志”である佐々木蔵之介との共演を喜ぶ佐藤二朗 撮影/河内彩 ヘアメイク/今野 亜季(A.m Lab) スタイリング/鬼塚美代子(Ange)

それこそ、MEGUMIちゃんなんて待機していたロケバスで『二朗さん、邦画史上最も不細工で汚いラブシーンにしようよ』って言ってくれたから、『この世界観を深く理解してる!』と思いました。右手を隠すように退く山田を花子が誘うあの野獣同士の、哺乳類が交わるような画(え)を撮ることができた。この3人には本当に感謝の言葉しかないですね」。

取材・文/イソガイマサト

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