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義母「他人は葬儀に出るな!」葬儀準備を私1人に押し付け参列拒否。了解でーす♡帰宅後、義母から鬼電!哀れな結末

  • 2026.4.21

結婚して家族になったはずなのに、義父の葬儀で突然「他人だから帰って」と突き放されたら、あなたならどうしますか?
葬儀の準備を任されて動き回っていたのに、最後の最後で参列を拒まれたり、長年支えてきたのに「財産は私たちのもの」と言われて締め出されたり……。家族として尽くしてきたはずなのに、都合が悪くなった途端に“他人”扱いされるなんて、あまりにも薄情で身勝手ですよね。
そこで今回は、義父の葬儀で突然線を引かれ、「他人」として扱われた嫁たちの体験談をご紹介します。尽くしてきた時間を踏みにじるような義家族の本性、そして最後に突きつけられた現実とは――。

義父が他界…葬儀準備を私1人に押し付けバッサリ→帰宅後、鬼電!だって

結婚して2年、夫とは今でも仲良く暮らしています。義父は穏やかで、私にもいつも優しくしてくれる人でした。しかし、義母は会うたびに「育ちが違う」といった棘のある言い方をしてくるのです。私の両親が葬儀関係の仕事をしているからでしょうか……。私は波風を立てたくなくて、聞き流して距離を取ってきました。

そんなある日、突然義父が亡くなったのです。悲しみに沈む私と夫をよそに、義母は立ち上がるなり「こうしちゃいられないわ!葬儀の準備、すぐ始めないと!」と早口で言い始めたのです。

悲しむ間もなく「全部あなたがやって」

義母は私のほうを見て、ためらいなく「葬儀の準備だけど、あなたが全部やってちょうだい」と言ってきたのです。

私は思わず「……私が、ですか?」と聞き返しました。すると義母は当然のようにうなずき、「だって、あなたの実家、葬儀の仕事でしょ?プロなんだから慣れてるはずよ」と一言。さらに義母は「とにかく安く済ませたいのよね。でも豪華にお願いね! うちは親戚も多いから恥をかくわけにはいかないの」と言い切りました。義父の死を悲しむ様子もなく、見栄ばかり気にする義母の発言に唖然としました。すると、夫が黙っていられず「母さん、そんな言い方はないだろ。父さんのことで気持ちの整理もついていないのに、全部押し付けるなんておかしいよ」と止めてくれました。ところが義母は不満そうに息を吐き「家族なんだから助け合うのが当然でしょ? 嫁なんだから、そのくらいやってもらわないと困るわ」と言い返してきたのです。

私は正直戸惑いました。義父には生前お世話になったし、夫の負担も少しでも減らしたいと思い、喉の奥の引っかかりを飲み込みながら「……わかりました。私にできることはやります」と答えました。すると義母は、当然だというような顔でうなずいたのです。

準備は全部私、口出しだけの義母

葬儀までの数日間、私は義実家と葬儀場を行き来していました。夫は喪主としての手続きに追われ、義母は「私は気が動転しているから」と言って、何ひとつ動こうとしませんでした。結果、式場との打ち合わせ、祭壇の内容、料理や返礼品の確認、親戚への連絡まで、すべて私が担当しました。

義母はというと、手伝わない代わりにダメ出しばかりで……。私が祭壇の案を見せると、義母は一目見ただけで顔をしかめ「これ、地味じゃない? もっとお金かかってそうにできないの?」と一言。料理についても「これじゃ少なくない? ケチったって思われるじゃない! 恥をかくのは私なのよ?」 とため息混じりに言うのです。さらに、打ち合わせのたびに 「本当に身内価格なの? あなたの実家、これくらい融通きくでしょ?」 と、まるで私の実家ごと値踏みするような言い方をしてくるのです。それでも私は、義父のことを思い出しては踏ん張りました。

そして迎えた葬儀当日。私は控室で最後の確認を終え、ようやく肩の力を抜いたところでした。すると、義母が近づいてきて「お疲れ様。準備、間に合ってよかったわね」と声をかけてきました。その一言に、私はほんの少しだけ救われた気がしました。 しかし、次の瞬間、義母は笑いながら「じゃあ、準備も終わったし! 他人はさっさと帰って」と言い放ったのです。私は聞き間違いかと思い「……今、何と?」と聞き返しましたが、義母は不思議そうに首をかしげ「あなたもう用は済んだでしょ? 他人なんだから、ここにいる必要ないわよ」と当然のように答えるのです。私が「参列もしちゃいけないんですか?」と尋ねると、 義母は「あなたがいるとコネで葬儀を手配したって思われるでしょ? せっかく立派な式にしたんだから、余計な誤解は避けたいのよ」と言うのです。その瞬間、すべて腑に落ちました。私は“義父を送る家族”ではなく、 都合よく使われて、用が済んだら消える存在だったのだと。

ここで感情的になったら、義父の葬儀を台無しにしてしまうと思い「……わかりました。本当にいいんですね? では、失礼します」と一言。会場を出てすぐ、夫に「義母に“他人は帰って”と言われ、参列も断られた……。いったん帰ります。あなたは喪主として、義父を見送ることを優先して」とメッセージを入れ、私はその場を離れました。

義母から鬼電

帰宅してしばらくすると、義母から何度も着信がありました。電話に出ると、「どういうことなの! 葬儀屋が動いてないじゃない!」と怒鳴られました。 私は落ち着いて「私は遺族の一員として準備していました。でも『他人』と言われた以上、その立場はありません。不当な言動があった場合は担当を外れる決まりです」と伝えました。

その直後、今度は夫から連絡が入りました。会場がざわついていること、そして私が帰ったあと、義母が親戚の前で急に態度を変えたことを教えてくれました。 親戚が集まり始めたタイミングで、義母は突然ハンカチを取り出し「嫁が勝手に帰ってしまって……」 と、さめざめと涙を流し始めたそうです。義母の演技に激怒した夫は「妻から事情を聞きました。母が、準備を任せていた妻に“他人だから帰れ”と言いました。だから妻は帰りました。勝手に帰ったわけではありません」と告げたそうなのです。すると親戚たちが「泣けば済む話じゃない! 今日は故人を送る日でしょう」と義母を責め始めたのです。その流れの中で、夫は「妻は他人ではありません。大事な家族です。一緒に父を見送る権利があります」と言ってくれたのです。

私は夫に呼ばれて会場に戻り、遺影の前で静かに手を合わせました。親戚の方々が「大変でしたね」「嫌な思いをさせてごめんなさい」と声をかけてくれて、私は小さく頭を下げることしかできませんでした。

葬儀はそのまま、落ち着いた雰囲気で進みました。ふと横を見ると、義母は親戚の視線を避けるように、祭壇の後ろで小さくなっていました。さっきまでの涙も言葉も、もう出てきません。誰も慰めに行かず、会場には「これ以上、余計なことはしないで」という空気だけが残っていました。

私は大好きだった義父をきちんと見送れたこと――それだけで、十分でした。

◇ ◇ ◇

人を都合よく使って切り捨てれば、信用は一瞬で消えます。冠婚葬祭は、その人が「誰をどう扱うか」がはっきり出る場です。見栄より敬意――それが最後に残る評価なのかもしれませんね。

※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

1本目のエピソードでは、義父の葬儀準備を任され、忙しく動き回っていたにもかかわらず、最後になって「他人だから帰って」と参列を拒まれてしまう衝撃の場面が描かれていました。都合のいいときだけ頼っておきながら、大事な場面で突然線を引かれてしまう――その冷たさに、戸惑いを覚えた人も多いのではないでしょうか。 2本目のエピソードでは、長年にわたって義父の介護を担ってきたにもかかわらず、葬儀の場で「他人は帰れ」と言い放たれてしまい……!?

義父の葬儀で義姉に追い出された私→葬儀後……!?

義父の介護を10年以上、中心になって担い続けた私。介護はたしかに大変でしたが、私たち夫婦に良くしてくれた義父へ恩返しができたと思っていました。そんな私がまさか、義父の葬儀当日、突然現れた義姉にお茶をかけられて追い出されることになるなんて……。

義父が亡くなったのは、夕暮れどきのことでした。長い闘病の末、病院のベッドで静かに息を引き取ったのです。

そこに私はいました。夫もいました。けれど、夫の兄、長男である義兄夫妻の姿はどこにもなかったのです……。

10年にわたる義父の介護

容態が悪化したときから覚悟はしていましたが、やはり義父の死受け入れがたいものでした。私は悲しみを堪えながらスマホを取り出し、義姉にメッセージを打ちました。するとすぐに、返信が返ってきたのです。

「今まで介護とか大変だったけど、最期はあっけないものねぇ」「まぁ、同居してない私は何もできなかったけどw」

文末の「w」に、一瞬怒りが湧き上がりました。しかし、すぐにその感情は諦めに変わりました。

私は機械的に葬儀や今後のことについて、義姉にメッセージを送りました。義父は何年も前から「終活」を進めており、私と夫はその内容を知らされていたのです。

それを伝えた瞬間、義姉はものすごい勢いで立て続けに返信を送ってきました。

「私たちを差し置いて、なんであんたたちが仕切ってるの!?」「喪主は長男であるうちの夫! あんたたちは次男なんだから、裏方に回りなさい」

義父の意向を聞こうともせず、「長男だから」という理由で喪主をするというのです。義父の介護はおろか、お見舞いにすらほとんど来なかったのに……やるせない気持ちでいっぱいになりました。

本格的に義父に介護が必要になったのは、約10年前。私たち夫婦は介護のために義実家の近くに引っ越し、私は時間や働き方に融通の利く職種へ転職しました。

その当時も義兄夫婦に相談したのですが、返ってくるのは「そっちでテキトーにやっておいて」という言葉だけ。もともと義兄夫婦はほとんど帰省することもなく、盆も正月も姿を見せることはありませんでした。義父に穏やかに過ごしてほしかったので、わざわざ波風を立てる必要もない。義兄夫婦にいろいろ言いたいことはありましたが、私たちはぐっと飲み込んできたのです。

義父の葬儀に現れた義兄夫婦

そして、葬儀当日――。

親戚の方々にあいさつをして回っていたそのとき、背中から肩にかけて熱いものがどっとかかりました。あわてて振り返ると、そこには義姉が立っていたのです。

「ちょこまか動き回ってるから……! 大丈夫?」

言葉では心配しているものの、勝ち誇ったような顔を隠そうともしない義姉。会場スタッフがすぐにタオルを用意してくれましたが、私の喪服はお茶でびしょ濡れです。

「そんなんじゃ葬儀に出られないわねぇ。着替えてきたら?」「葬儀は私たちがやってあげるから、多少遅れても大丈夫よ!」と周りに聞こえるように大声で言った義姉。

そして会場スタッフに連れられて別室へ行く途中、義姉は心配する素振りをしながら私に駆け寄り、私だけに聞こえるようにこんなことを言ってきました。

「あいさつ回りして点数稼ぎしても、お父さんの財産は私たち長男夫婦のものなんだから」

「出しゃばらずに、とっとと帰りなさい!」

「……いいんですね?」

「え?」

私の返事に一瞬驚いた様子でしたが、すぐに義姉の顔には意地悪な笑みが浮かんでいました。私も力なく笑い、結局別室には行かず、会場の責任者に「以後の進行は打ち合わせ通りにお願いします」と告げて、そのまま会場を後にしたのです。

義父の最期のメッセージ

びしょ濡れのまま会場の駐車場でタクシーを待っていると、突然スマートフォンが震えました。

「ねぇ! どういうことよ! なんであんたが喪主なのよ!」

耳をつんざくような義姉の声。

そうなのです。義父が生前に指名した喪主は――私でした。

葬儀前に葬儀社から説明があったにもかかわらず、義姉は自分たちが喪主だと信じて疑わなかったようです。

「進行は葬儀社さんにお任せしています。自分たちで仕切るとおっしゃってたんですから、責任持って義父を送り出してあげてください」

自分でも驚くほど冷たい声でした。そのまま私は電話を切りました。その後も義姉、義兄からの着信は続きましたが、私はただただ空を見上げていました。

会場にいた夫から聞いた話ですが、葬儀は散々なことになってしまったそうです。葬儀の段取りを知っている夫が口を挟もうとしても、義兄夫婦は「次男は黙ってろ」と一蹴。進行自体は葬儀社に任せてあったので特に問題はなかったようですが、親戚たちも突然の喪主変更や私の不在に眉をひそめていたそうです。

葬儀が終わってしばらくして――。

義兄夫婦と私たち夫婦の前で、義父の遺言書が開示されました。

内容を聞いて、私たち夫婦はまず義兄夫婦への生前援助の総額に驚きました。子どもの学費と習いごとに約400万、車2台の購入費として約300万、その他生活援助として約500万――義兄夫婦はすでに1,200万円も義父から受け取っていたのです。

その総額を聞いても、義兄夫婦は「当たり前でしょ?」という表情を崩しませんでした。

続いて明かされたのは遺言の内容でした。

「義実家の土地と建物、そして預金の8割は次男へ、次男の妻には別途遺贈する」

私たちが受け取る遺産は、総額4,000万にも及びました。

「なんでよ! なんで私たちがもらえないのよ!」と義姉は激昂。その隣で、義兄も目に怒りを宿していました。

「あんたがお義父さんに、自分たちに都合が良いように書かせたんでしょ!」と震える声で私に詰め寄る義姉。私は動じず、「……その遺言は、正式な手続きを経て作られたものです。お義父さんがご自分の意志で、何年もかけて準備されていました」と静かに答えました。

義姉はもう何も言い返せないようでしたが、「……絶対に、私たちも遺産をもらうんだから」と言い残して、部屋を出て行きました。義兄もこちらに一瞥をくれて、義姉の後に続きました。私たち夫婦は思わず顔を見合わせて、詰めていた息を吐き出しました。

数日後――。

「あの……この間は言い過ぎちゃってごめんね?」と唐突に電話してきた義姉。あの義姉が謝るなんて……と、私はにわかには信じられませんでした。

「……何の御用ですか?」と聞くと、「そんな冷たくしなくたっていいじゃない、家族なんだから……。今まで誤解もあったかもしれないし、お義父さんだって私たちがギスギスしてたら悲しむじゃない? これからは助け合っていきましょうよ!」と義姉。

その猫なで声から、義姉たちが遺産目当てで擦り寄ってきたのは明白でした。

「助け合い……そうですね、私たちもちょうどそういう話をしようと思っていたところなので」

「そうなのね! うちは子どもたちにまだまだお金もかかるし、正直お義父さんの生前贈与だけじゃ足りなくて……」と明るい声で話し始めた義姉を制し、私は“助け合い”の本題に入りました。

「お義姉さんが私にお茶をかけたときに汚れてしまった会場の清掃費や備品の弁償代、それから私の喪服のクリーニング代。10万円以上になるんですが、助け合いの精神で支払ってくれますよね? もとはと言えば、お姉さんが元凶ですし」

続けて請求書を送ると言うと、義姉は「なんでよ! そっちはたっぷり遺産もらったんだから、自分で払えるでしょうが!」と怒りの声を上げました。

「さっきまで、家族なら助け合うべきって言ってたのに……」と言うと、義姉は途端に黙り込みました。バツが悪くなったのでしょう。

「わかりました、とりあえずこの件は置いておきます。ただもう、家族としての関係には区切りをつけさせてください。私たちはあなたたちと助け合いたいなんて思っていないので」

その後――。

義兄は遺留分だけでももらおうと弁護士に相談したようですが……生前贈与で十分にもらっていることもあり、その主張は難しいと言われたそうです。

夫からあらためて義兄に絶縁の意志を伝えてもらうと、義兄夫婦はひどく騒ぎ立てました。私たちの悪口を吹聴し、親戚たちを味方につけようとしたようですが、ほとんどの人は静観。中には、私たち夫婦を心配してわざわざ連絡をくれる人もいました。

今、私たち夫婦は義父が遺してくれた家で穏やかな毎日を送っています。

あの介護の日々はたしかに大変でしたが、義父はすべてをわかっていた――ちゃんと私たちを見ていてくれた。寡黙な義父が何年もかけて準備していた最後のメッセージで、義父の思いを深く感じました。

◇ ◇ ◇

誰かに認められたくて介護をしたわけでも、遺産がほしくて動いたわけでもありません。ただ、私たちは義父に恩返しがしたかっただけ。義父の思い出が残るこの家で、私たち夫婦はこれからも生活を続けていきます。

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

いかがでしたか?

今回の2つのエピソードに共通していたのは、家族として関わってきたはずなのに、いざという場面で突然「他人」として扱われてしまったことでした。大切な節目の場で線を引かれてしまえば、その言葉や態度の冷たさはより強く心に残るものです。

葬儀という特別な場面だからこそ、そこに表れた本音や態度は忘れられないものになるのかもしれません。 義父を見送る場で突き放された嫁たちの体験から、家族とは何かを考えさせられるエピソードでした。


著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

ベビーカレンダー編集部

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