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家賃6万円ワンルームからの再出発。「もう十分頑張った」と思えた日、やっと手放せたものとは?【一田憲子さん】

  • 2026.3.31

家賃6万円ワンルームからの再出発。「もう十分頑張った」と思えた日、やっと手放せたものとは?【一田憲子さん】

私たちは日々誰かの目にさらされながら生きています。「認められたい」「褒められたい」——そんな思いに知らず知らずに縛られてはいないでしょうか。エッセイスト・一田憲子(いちだのりこ)さんが、自身の葛藤や気づきをもとに、自分軸で生きるヒントを綴った新刊『褒められなくても、生きられるようになりましょう』が話題です。一部抜粋してお届けする第5回は、褒められなくたってへっちゃら!

毎週水曜日と土曜日は、掃除機をかける日

毎週水曜日と土曜日は、掃除機をかける日と決めています。私が運営しているウェブサイト『外の音、内の香』は、基本的に毎朝8時になにかしらの記事をアップします。ほとんどを私自身が書いていますが、水曜日だけは「私の段取り日記」を連載してくれている坂下真希子さんが担当。週末は更新がお休みです。

朝起きて、記事を書かないでいい日を、掃除機Dayに設定したというわけです。まず、「クイックルハンディ」で、家具や棚の上、障子の桟や欄間などのホコリをざっと払います。次に「マキタ」のハンディータイプの掃除機をかけ、終わったら「イーオクト」の「MQデュオテックス」というマイクロファイバークロスのモップで、洗面所、キッチン、廊下の床を拭きます。最後にマイクロファイバークロスの雑巾で、テーブルや棚の上、キッチンカウンターの上を拭き、最後に洗面ボウルをくるりと洗っておしまい。

この週二日の掃除の日をどんな気持ちで迎えるかが、私にとって心の余裕のバロメーター。「もう今日はサボっちゃうかなあ」と思う日は、いやいやながらこの掃除ルーティンをこなし、「は〜、疲れた」とため息をつきます。あるいは、仕事のことで頭がいっぱいで「早く掃除を終わらせて、原稿書かなくちゃ」と焦っている日も。

一方、そこまで忙しくなく、気持ちに余裕がある日には、自然に手が丁寧になります。掃除機を畳の目に沿って隙間がないように動かしたり、おいてあるスツールを移動させてその下にモップをかけたり。先日、洗面所の床を拭きながら、ふと目を上げると、洗濯機をおいた後ろの窓から、きれいな日の光が差し込んでいて思わず手を止めました。

実は我が家の隣家が建て直しで、今古い家を取り壊したばかり。空き地になったことで、朝の光が差し込むようになったというわけです。以前は暗かった窓が、太陽の光で明るく輝く様を見ながら「ああ、シアワセだなあ〜」としみじみ思いました。

「褒められたい」とつい思っちゃったって大丈夫!

若いころ、こんな掃除だの、窓からの光だのに価値があるとは、これっぽっちも考えていませんでした。大きな成果を生み出さないと意味がない。私は何者かにならなくちゃいけない。みんなに認められる人になりたい……。そうやって意識が常に外に向いていたころには、家事や美しい暮らしの風景なんて「どうでもいいこと」だった気がします。

「人の評価など、自分でコントロールできないことに幸せを求めても不確かだ」とか「日常の中にこそささやかな幸せがある」とよくいいます。でも、いったいどうしたらそのことに気づくことができるでしょう?

若いころ、野心を抱き、自分の可能性を信じ、前進する日々は必要だと私は思います。つまり「人の目」を気にして、「褒められること」を渇望する時期もあっていいと思うのです。

むしろ、そんなジタバタする経験を積み重ねるからこそ、その対極にある「洗面所の窓から差し込む光」に心揺さぶられる朝がやってくる……。光があるからこそ影の存在に気づき、影があるからこそ光の方向を知ることができます。

もしかしたら、人生には方向を「スイッチする時期」のようなものがあるのかもしれません。今まで信じていた方向へと全速力で走っていたけれど、パチリと切り替えて、横道を入って見えてくる風景に心を向ける……。

実家の母が、私が還暦を過ぎたころから「ノリコはよくここまで頑張った」と言うようになりました。離婚して家賃6万円のワンルームマンションに引っ越し、家具がまだ買えなくて、段ボール箱を並べてたんす代わりにしていたころから、フリーライターとしてコツコツ仕事を増やし、やっと自分の本を出せるようになりました。そのジタバタをすぐ横で見守ってくれていた母に、しみじみとそう言われると、涙が出そうになります。

もがいたあのころがあったから、やっと今ご褒美のように、自宅の片隅でのひとときを「シヤワセじゃなあ〜」と思えるようになったのかもしれません。だとすれば「褒められなくちゃ意味がない」と思いこむ時期があっても、きっといいのだと思います。背伸びして、自分をいいように見せ、なのにうまくいかなくてがっかりする。その繰り返しの中で、「もう十分頑張った」と思えたら、やっと「褒められたい」を手放せるようになるのかも。

まだまだ私の場合は、日々の中でひょっこりと「褒められたい」病が顔を出します。行きつ戻りつしながら少しずつ、褒められなくてもご機嫌に歩ける道を探したいと思うこのごろです。

※この記事は、『褒められなくても、生きられるようになりましょう』一田憲子著(主婦の友社刊)の内容を、ウェブ記事用に再編集したものです。

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