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パリの老舗「フロール」名物ギャルソン、表参道のカフェで新たな顔に!

  • 2026.3.24

ソフィア・コッポラが、パリのカフェのギャルソンにビーズ(挨拶のキス)をするとしたら、それはサンジェルマン・デ・プレの老舗カフェ「カフェ・ド・フロール」のギャルソン、山下哲也さん以外にはいないと思う。カフェできびきびと働く様子を見ていると、指の先まで神経が張り詰め、四方の客に気を配っている様子からして、クールな性格に見えるが、それでいてちょっとした優しい言葉や思いやりを感じさせてくれるので、パリへ行く日本人旅行者の間では、なかなか人気者のようだ。

パリの老舗「カフェ・ド・フロール」20年以上、唯一の日本人ギャルソンとして活躍した山下哲也氏。

「ソフィア(コッポラ)がくるようになったのも、それは父親(フランシス=フォード・コッポラ)に最初連れてこられたからです。それ以来、ソフィアも今では父親と同じように、カフェの常連です。東京の店も、父から娘へ、そうして受け継がれて行く場所にしたいですね」

パリ左岸の名物カフェ「フロール」のギャルソンとして、22年間働いたスキルを携えて、満を持して日本に帰国し、南青山にオープンしたブラッスリー風のカフェ「ラ・エ・ル(LA&LE)」を任された山下さんのもとには、連日パリで知り合った人たちが次々に訪れているという。心細い旅先で出迎えてくれる哲也さんの笑顔は、何よりも貴重な憩いの場だったに違いない。

取材に伺った日も、店内はほぼ満席だった。その間を縫って、幾つか質問を試みた。

──どうしてギャルソンという職種を選んだのですか。青学(青山学院大学)のフランス文学科だった学生の頃、ちょうど原宿にパリの有名カフェ・フロールがオープンしたのです。そこでサルトルやカミュが出入りしていたカフェとして知られる店「フロール」で、アルバイトを始めました。90年代のことです。フランスのカルチャーに興味があったので。

──パリにいったきっかけは、どういうことだったのですか。 その時期パリから「フロール」の支配人がやってきたので、パリのカフェで働けないだろうか、と聞いてみたのですが、断られました。パリを象徴するカフェだし、アジア人のギャルソンはいなかったのです。それでも1年間の滞在ビザなら、ということで働けるようになり、渡仏することにしたのです。最初はラスパイユ大通りの「アリアンス・フランセーズ」で、フランス語の勉強をしていました。

──最初からギャルソンという職種を、ずっと続けるつもりでしたか。帰りたいとは思いませんでした。10年20年続けてみたら、どうなるだろう。そんな風に考えていました。

──それでその通りに。そうです。10年20年経ったら、店の顔になっていたのです。個人的にはうれしかったのですが、それはどこか健全ではない、とも感じていました。僕の評価は、「きめの細かさ」にあったのだと思うのですが、それは日本人だったからなのです。

──そんな時に東京の話が?フランスのカフェというのは、無形文化財でもあるのです。そうした文化的なものを大切にして、東京では自由なエスプリのお店にしたい、と思っています。

──パリの雰囲気をそのまま伝えるようなお店に?僕はフランスのカフェにするつもりはありません。日本人のセンスは、色々な面でハイレベルといえるし、すべてをフランス色に染める必要はないのです。メニューにはもちろん、オニオングラタンやウフ・ア・ラ・コックといったパリのものもありますし、国際都市なので、北アフリカのクスクス、といったものもあります。それでもここでは、パンだけでなく、パンかライス、どちらかを選ぶこともできるのです。そういった日本的な面もあります。

──お店の雰囲気は?ソフィア・コッポラのような、馴染客が多くなったらいいな、と思っています。

知人が次々に訪れているようなので、取材を切り上げることにする。ペット可の店内なので、愛犬と訪れている客の姿もみられた。外のテラス席も、春先の陽光を浴びて、なかなか心地よさそうだった。

今度パリにいった時、「フロール」に哲也さんがいないのは少し寂しいような気もするが、それは私だけではないと思う。

ラ・エ・ル東京都港区南青山3-8-35 表参道 Grid Tower 1F03-6804-3075営)11:30〜22:30(21:30L.O.)休)月https://la-et-le.jp/@la.et.le

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