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「妙心寺 禅の継承」展が大阪市立美術館で開催中。禅宗美術の代表作を一挙紹介!

  • 2026.3.12
重要文化財 狩野山楽《龍虎図屏風》(右隻) 桃山時代(17世紀) 妙心寺 Hearst Owned

展覧会名が「興祖微妙大師六百五十年遠諱記念特別展『妙心寺 禅の継承』」なので「禅の継承」とは? そもそも「禅」とは? 「興祖微妙(みみょう)大師」の「六百五十年遠諱」の記念ということですがどんな方なのか、そのあたりから話を始めるのが筋なのですが、それは簡易にさせていただき、ここでは展覧会に出展されている作品(厳密に言えば、展示全体では作品というより信仰の対象であるものが多くあります)について話をしていきます。

禅宗美術など寺宝が公開された展覧会

南インド出身と言われ、中国に渡った達磨が禅宗の祖師。二祖となる慧可は腕を切り落とし弟子入りを乞うたということは、日本美術ファンなら知るところです。なぜなら雪舟が描いていますから(《慧可断臂図》。この展覧会には出展されていません)。禅宗の系譜、禅宗を学ぶために多くの日本人僧が宋に渡ったこともここでは触れません。臨済宗栄西、曹洞宗道元と試験のために覚えました。あらためて調べればとても興味深いテーマですが。

日本最大の禅寺|京都花園 妙心寺派大本山 妙心寺 Hearst Owned

臨済宗妙心寺派は約3,400の末寺を有する臨済宗最大の宗派だそうです。京都の妙心寺には約40もの塔頭(たっちゅう)寺院が並びます。つまり塔頭を山に例えれば、妙心寺は山脈です。敷地が広く、寺内を通って通勤、通学、買い物、散歩する人もいます。地名に寺の名前が入っています。京都市右京区花園妙心寺町。

そんな妙心寺の第二世として初期の妙心寺を整備し、基礎を作った高僧・授翁宗弼(微妙大師、1296-1380)の650年遠諱を記念したこの展覧会、桃山の絵画を中心に、禅宗美術など寺宝が展観できる絶好の機会です。通常は非公開で滅多に見られない名作も多いことにも注目。代表的な作品を見ていきましょう。

狩野山楽《龍虎図屏風》

トップの龍。激しい風雨。斜め45度の平行線、渦も巻いています。それを破るように龍が出現。このグラフィック感覚、まるでアニメーションのような躍動ぶり。およそ400年前にこんな絵を描いたのが、狩野山楽です。師匠から弟子へ基本的に血縁で繋がっていく狩野派ですが、山楽はそうではなく、のちに狩野姓に改姓しました。師匠は狩野派の頂点を極めた狩野永徳。豊臣秀吉・秀頼父子の2代の絵師として仕えました。

重要文化財 狩野山楽《龍虎図屏風》(左隻) 桃山時代(17世紀) 妙心寺 Hearst Owned

龍が右隻で、こちらの虎が左隻。天空の龍、地上の虎はしばしば対で描かれますが、それは、中国の神話や方位の思想に登場する四神(しじん)、四獣に由来しています。東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武が守護します。ただし、実際には襖や屏風としては一直線上に配置されることもあります。

妙心寺屏風といって、通常の屏風よりも大きいつくり。ダイナミックさが一層高まりますが、詳細に見ていくとその繊細ぶりにも驚きます。龍が破る雲は墨の濃淡だけではなく、金泥で細い線を描いているからこその迫力。虎の毛を一本一本仔細に描き、それでいて、皮の硬さも伝わってきます。縞模様が体躯の強さを強調し、首はまるで3Dのように飛び出して見えます。

この時代、日本には生きた虎はいませんでした。中国などの絵を参考にして描いたのでしょう。毛皮は輸入されていましたし、小型の虎という解釈で猫を参考にしたそうです。猫の瞳孔は縦スリットですが、虎のそれは人間と同じ同心円のはず。けれども虎を見たことがないので猫を参考にするしかなかったのでしょう。

海北友松 《花卉図屏風》

重要文化財 海北友松 「花卉図屏風」(右隻) 桃山時代(17世紀) 妙心寺 Hearst Owned

咲き誇る牡丹が描かれています。作者は狩野山楽より一世代上の海北友松(かいほうゆうしょう)。水墨画が多く名高い絵師ですが、この作品のように金地濃彩の絵も手がけています。左隻は梅と椿です。

重要文化財 海北友松 《花卉図屏風》(左隻) 桃山時代(17世紀) 妙心寺 Hearst Owned

狩野山楽・山雪 《梅花遊禽図襖》

重要文化財 狩野山楽・山雪 《梅花遊禽図襖》(部分) 江戸時代 寛永8年(1631) 京都・天球院 画像提供:天球院(綴プロジェクト) Hearst Owned

日本美術が好きで見ているという人で「狩野永徳は天才だ」「狩野探幽はスゴいね」とわかっている人に聞いてみたいこと。狩野山楽、狩野山雪の大作を見たことがありますか? です。血族で継いでいく狩野派にあって、山楽はそうではなく、武家の出身で狩野永徳の弟子になりました。山楽を永徳に入門させたのはなんと豊臣秀吉だったというエピソードがあります。

山楽は近江蒲生郡(現在の滋賀県近江八幡市・東近江市・日野町・竜王町)に生まれました。本名、木村光頼。父の木村永光は浅井長政の家臣で、浅井氏滅亡後は秀吉に仕えた人。日本の絵師人名録である『本朝画史』にあるエピソードですが、幼年の光頼(のちの山楽)が秀吉の杖を借り、夢中になって地面に馬の絵を描いていたところ、秀吉が「お前は絵を描くことが好きなのか」とたずね、永徳に入門させたというのです。(参考資料:京都国立博物館『特別展覧会 狩野山楽・山雪』2013年)

山楽は永徳に従い、やがて狩野姓を許されました。大坂の陣で豊臣が徳川に敗れたあと、山楽はしばらく身を隠していましたが、しばらくして九条家や徳川などの仕事を京都で請け負い、以後も江戸へは向かわず、京都で仕事を続けました。いわゆる京狩野を確立しました。山雪は山楽の弟子で彼も狩野派でありながら血族というわけではありません。山楽はこの才能のある弟子、山雪を娘と結婚させたのです。

山雪は江戸時代のアヴァンギャルド絵師たちを紹介した辻惟雄氏の『奇想の系譜』の中の1人。ご存じ、伊藤若冲や曾我蕭白らを紹介しているので知っている人も多いでしょう。当時は本流ではなく傍流、だけれどもこんな絵師たちもいましたよ、個性的な絵は実に面白いでしょうという趣旨の名著です。そんな扱いだった画家たちが、今では全員が日本美術の主人公クラスとして展覧会などで取り上げられています。

山雪の項目には「桃山の巨木の痙攣」という見出しがつけられています。なるほど、この梅の古木の水平、垂直、斜め45度という角度で伸びていく様子。巨木がのたうちまわる、あるいは痙攣しているという例えは言い得て妙です。現代のグラフィティに通じるものがあります。この絵は寺伝では70歳を過ぎた狩野山楽筆と伝えられていて、一方、辻氏はじめ多くの美術史家たちは、山雪作と考えています。どちらの立場も立て、狩野山楽・山雪作というところで落ち着いたのでしょう。かつては山楽が有名で、おそらく山楽は現場監督的に立ち会い、主に山雪が描いたとするのが妥当な説明でしょう。

興祖微妙大師六百五十年遠諱記念特別展「妙心寺 禅の継承」展示風景。特別展示I「天球院の襖絵」より重要文化財《梅花遊禽図襖》のセクション Hearst Owned

天球院という塔頭は姫路城藩主池田輝政の妹、天球院の永代追善供養のために、甥の光政・光仲兄弟が建立しました。つまり女性のための寺で、それゆえこのような優雅な襖絵が残されたのでしょうという人もいます。保存状態は頗る良好。現在、方丈にはキヤノンによる綴プロジェクトで制作された高精細の複製が嵌められています。今回の展覧会では展覧会場内に専用のケースをつくり、特別公開ではかなわないくらい絵を間近で見ることができます。そもそも通常非公開、もし、ご縁があってお寺にお邪魔してもそこは再現度は優れているとはいえ、複製。もともとあったように本物を設(しつら)え直しての特別公開があったとしても、ずっと離れて見ることになります。つまり、この絵をしっかり見るには今回の展覧会以上のチャンスはありません。

狩野山楽・山雪 《朝顔図襖》

重要文化財 狩野山楽・山雪 《朝顔図襖》(部分) 江戸時代 寛永8年(1631) 京都・天球院 画像提供:天球院(綴プロジェクト) Hearst Owned

《朝顔図襖》では朝顔が柔らかい優しい曲線を描いて、画面を占有してますが、目を籬(まがき)に移すとどうでしょう。籬は直線と直角で几帳面に描かれています。それが朝顔の優雅さ、自由さを引き立てています。この絵を見た画家の山口晃さんはこんな話をしています。

「繊細です。朝顔の蔓を描いているのは墨じゃないんです。たぶん胡粉に茶色を混ぜた少し鈍い色なんです。ジブリが『天空の城ラピュタ』のあとの『となりのトトロ』で、主線をちょっと赤い茶色の線に変えるんですけど、すごく画面が柔らかなことにお気づきになったと思います。そういう柔らかな、目にカチンと来ない、蔓でありながら、シャープな線がとても穏やかに出てて、その茶色が全部に染み渡っているような優しさを感じます」(美術史家 山下裕二氏との対談トーク「日本美術応援団、妙心寺展を応援する!」より)

白隠慧鶴 《達磨像》

白隠慧鶴 《達磨像》 江戸時代(18世紀) 大分・萬壽寺 画像提供:花園大学国際禅学研究所 撮影:第一スタジオ 堀出恒夫 (後期展示) Hearst Owned

禅宗の始祖を大きくユーモラスに描いたのは、臨済宗中興の祖と呼ばれる禅僧、白隠慧鶴(はくいんえかく)。それまでのやや難解な禅宗の詩画軸を親しみやすいものにしてくれました。伊藤若冲や曾我蕭白、長沢蘆雪らいわゆる奇想の画家たちも白隠から影響を受けているということが近年の研究でわかってきています。この絵もそうですが、達磨の絵には「直指人心 見性成仏(じきしにんしん けんしょうじょうぶつ)」としばしば書かれています。これは「自分の心を見つめ、自身がすでに仏であることに気づきなさい」という意味。白隠より少しあとの時代になるのですが、やはり現代でも人気のある僊厓義凡(せんがいぎぼん)の作品も見逃せません。

長谷川等伯《枯木猿猴図》

重要文化財 長谷川等伯《枯木猿猴図》(左幅) 桃山時代(16~17世紀) 京都・龍泉庵 画像提供:京都国立博物館 (後期展示) Hearst Owned

妙心寺は桃山絵画の宝庫とも言えますが、長谷川等伯の重要作品がいくつかあります。その中でも誰もが好きになると思うのが、この《枯木猿猴図》です。中国、南宋の画家、牧谿の《観音猿鶴図》にいる猿がその源泉と言われています。確かに日本ではなく、大陸の猿のように見えます。長い手のポーズ、体毛を緻密に繊細にじっくり描く一方、樹木や草木は破墨法で「速く」描いています。その対比が見事です。

妙心寺が所有する、あるいは妙心寺にまつわるお宝がまだまだ展示されていて、とても紹介しきれるものではありません。古美術の世界でいうところの「蔵が深い」です。日本美術の体系の中での重要な作品がいくつもあり、この機会を逃すとしばらく公開されないと思われる作品も多くあります。この機会に見ることができるのなら、ぜひにとお薦めしたい展覧会です。

興祖微妙大師六百五十年遠諱記念特別展「妙心寺 禅の継承」
会期/〜2026年4月5日(日)
会場/大阪市立美術館
大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-82(天王寺公園内)
開館時間/9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日/月曜日
入場料/一般¥2,000、高大⽣¥1,300、小中生¥500
URL/art.nikkei.com/myoshin-ji/

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