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25年前、深夜のブラウン管を焼き尽くした“猥雑な熱狂” つんくが提示した“究極のセクシー歌謡”

  • 2026.4.28

2001年の春、深夜0時前のリビングルーム。静まり返った家の中で、ブラウン管テレビから放たれる青白い光だけが、妙に生々しい熱を帯びていた。リモコンの音量を少し下げ、画面を凝視する。そこに映し出されていたのは、洗練された都会の夜でも、爽やかな青春の風景でもない。もっと泥臭く、もっと露骨で、それでいて強烈な引力を持った深夜バラエティ『ワンダフル』だった。

番組のアシスタントを務めていたワンダフルガールズ、通称「ワンギャル」。番組開始当初から、釈由美子や国分佐智子といった後のスターを輩出し、深夜の顔として確固たる地位を築いていた彼女たちが、その活動の中で放ったのがこの一曲である。

ワンギャル『花吹雪 BANG BANG BANG』(作詞・作曲:つんく)ーー2001年4月18日発売

第4期メンバーによって構成されたこのグループは、単なるバラエティ番組の添え物ではない。それは、時代の寵児であったプロデューサーが、自らの音楽的野心と「セクシー」という名のエンターテインメントを極限まで融合させた、確信犯的なプロジェクトであった。

圧倒的な「つんくイズム」の浸透

2001年当時、J-POPシーンの頂点に君臨していたつんくが、この楽曲の全権を掌握した事実は重い。モーニング娘。の大ブレイクによって「つんく♂」というブランドが全盛を極めていた時期、彼はこの深夜番組のアシスタントたちに、自らの音楽的ルーツの一つである「ファンク」と「歌謡曲」のハイブリッドを惜しみなく注ぎ込んだ。

楽曲の骨格を成すのは、太陽とシスコムーンの系譜を継ぐ、重心の低いグルーヴと派手なブラスセクションだ。イントロが鳴り響いた瞬間に広がるのは、場末のキャバレーと最新のディスコが混ざり合ったような、どこか「いかがわしい」祝祭空間。そこには、整合性や清廉潔白といった言葉は存在しない。あるのは、ただ聴き手の理性を揺さぶり、本能的な興奮を呼び覚ますための、計算し尽くされたノイズの集積である。

つんくは、ワンギャルという素材に対して一切の手抜きをしなかった。むしろ、本職のアイドルではない彼女たちだからこそ、より過激で、より「下世話」なアプローチが可能になると踏んだ形跡がある。歌詞の端々に散りばめられた「いや~ん」といった飛び道具的な台詞や、挑発的なフレーズ。それらは一見すると悪ふざけのようでありながら、実は緻密なボーカルディレクションに基づいた、高度なサウンドデザインの一部として機能している。

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メインボーカルの1人、相沢真紀。2007年に開催された相沢真紀のDVD発売記念イベントより(C)SANKEI

一瞬の火花とプロフェッショナリズム

特筆すべきは、メインボーカルを担った4人の存在感である。相沢真紀、竹下玲奈、福岡沙耶歌、松梨知果。個性も背景も異なる彼女たちが、つんくの要求するハードな歌唱スタイルに応え、見事な「声の化学反応」を起こしている。

特に相沢真紀や竹下玲奈といった、後にモデルやタレントとして長く活躍するメンバーが見せる、表現者としての執念。彼女たちは、自らが「ワンギャル」という期間限定の存在であることを自覚していた。だからこそ、マイクに向かう瞬間に込めたエネルギーは、本業の歌手にも引けを取らない鋭さを秘めている。

楽曲の随所で聴こえる激しいフェイクや、声を荒らげるようなシャウト。それらは、深夜番組のアシスタントという型に嵌められがちな自らの殻を、音楽という手段で内側から突き破ろうとする叫びのようにも響く。「歌が上手い」という次元を超えて、自らの存在をこの一曲に刻み込もうとする剥き出しの意志が、25年という歳月を経てもなお、スピーカー越しにこちらの肌を刺してくるのだ。

この曲は、ワンギャルにとって2枚目にして最後のシングルとなった。第1期から続く番組の歴史の中で、最も音楽的な強度が高く、かつ最も「ワンギャルらしさ」を体現した作品と言える。セクシー路線という、一歩間違えればチープに堕するコンセプトを、つんくは圧倒的なサウンドの厚みと、メンバーたちの熱量によって、一級のエンターテインメントへと昇華させたのである。

秩序を破壊するサウンドが閉塞感を蹴散らす

2001年という時代は、デジタルテクノロジーが急速に音楽を均一化し始めていた時期でもあった。そんな中、『花吹雪 BANG BANG BANG』が放つアナログ的な猥雑さと、制御不能なエネルギーは異彩を放っていた。

「騒々しい」という言葉はこの曲のためにある。全編を覆う、これでもかと言わんばかりの音の数々。重厚なベースラインの上で踊るシンセサイザー、そして煽り立てるようなパーカッション。それらが一体となって押し寄せる様は、まさに春の嵐に舞う花吹雪そのものだ。

歌詞の中に現れる独白のようなセリフパートは、当時の深夜番組が持っていた「何が起こるかわからない」という危うさを象徴している。整然としたJ-POPのルールを嘲笑うかのような構成。しかし、その根底には、日本人が古来より持ち合わせている「祭り」の精神性が脈打っている。常識や理屈を脱ぎ捨てて、ただ目前の音に身を委ねる瞬間の解放感。ワンギャルというグループは、その刹那的な喜びを体現するための依代であったのかもしれない。

深夜、多くの若い男子たちが彼女たちに熱狂したのは、単にその容姿が美しかったからではない。彼女たちが放つ「本気でふざける」という姿勢、そして、それを受け止めるつんくという巨人の、音楽に対する異常なまでの執着に、無意識のうちに共鳴していたのだ。

表現者の業が結実した猥雑な祝祭の終わり

つんくという表現者は、常に「完璧な美」よりも「歪な生気」を愛する。この楽曲において彼が目指したのは、聴く者の日常を一時的に破壊するような、制御不能なエネルギー体の創出であった。

どれほど楽曲が騒々しくなろうとも、どれほど歌詞が下世話になろうとも、メロディの根幹には逃れようのない哀愁が漂っている。それは、どんちゃん騒ぎの後に必ず訪れる、祭りのあとの静けさを予感させるものだ。この「明るさの裏側にある刹那」こそが、つんくという作家が抱える、表現者としての業そのものである。

2枚目という短いキャリアの終着点で、彼はワンギャルに「究極の混乱」を授けた。それは、彼女たちが後に歩むそれぞれの人生に対する、彼なりの、最大級の餞別だったのではないか。深夜の喧騒が消え、放送終了を告げるカラーバーが画面を埋め尽くす。その直前まで鳴り響いていた爆音の残響は、25年経った今も、あの青白い光の中に閉じ込められたままである。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。