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父が逝った後「やれることは全部やった。後悔はない」そう思っていたのに──私が独り泣き崩れた理由

  • 2026.2.23

筆者の体験談です。
「やれることは全部やった」と思っていた父の看病。
それでも、別れのあとに残った気持ちは想像と違っていました。

画像: 父が逝った後「やれることは全部やった。後悔はない」そう思っていたのに──私が独り泣き崩れた理由

私のやれること

「やれることは全部やった」
父が病気で亡くなったとき、私は何度もそう口にしていました。

闘病が始まったとき、私は病院の近くに住むことを選びました。
年に数回の入院。父は人見知りで、家族が近くにいないとダメな人でした。
入院中は仕事の合間を縫って毎日顔を出し、退院してからは通院の付き添いや送迎も引き受けたのです。

体調のいい日も悪い日も、父の予定を中心に一日が回っていく生活。
できることは後回しにせず、その都度やってきたつもりでした。

感情を抑える日々

父を看取った後、仕事や日常をこなしながら、私は「これだけやったのだから大丈夫」と自分に言い聞かせていました。
周囲からも「親孝行だったね」と声をかけられ、そのたびにうなずいて答えていました。

忙しさに追われている間は、自分の気持ちを考える余裕もありません。
平気そうに振る舞いながら、どこかで「弱音を吐いてはいけない」と自分を抑えていたのだと思います。
そうやって、感情を置き去りにしたままの日々が静かに積み重なっていきました。

涙が止まらない

でも、仕事から帰宅した後の一人になった瞬間、涙があふれました。
ふとした拍子に父の顔が浮かび、理由もなく泣いてしまう日が続いたのです。

「やれることは全部やったはずなのに」
そう思えば思うほど、心と現実の気持ちが噛み合いません。
やり残しがあったわけではないのに、悲しみは予想以上に深く、簡単には収まってくれませんでした。

残された時間

あとから気づいたのは、やりきった感覚と悲しみの深さは別ものだということでした。
親から受けてきた愛情の大きさには、どれだけ尽くしても追いつけないのかもしれません。

父のときは「全部やろう」と必死でしたが、今は無理に立ち直ろうとせず、残された母との時間を大切にしています。
母に対しては、父のときのように自分を追い込みすぎず、できることを少しずつ、無理のない距離感で重ねていこう。
涙がこぼれる日があっても、そのままにしています。
それが今の私なりの向き合い方です。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年1月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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