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「検索窓とあかるいドレス」志賀玲太(ライター・歌人・エッセイスト)

  • 2026.1.31

編集部注目の書き手による単発エッセイ連載「DIARIES」。今回は、初のフォトエッセイ集『撃ち抜くみたいに着飾って』を刊行された志賀玲太さんです。YouTubeチャンネル「QuizKnock」のディレクターとして知られる志賀さんは、実はゴスロリ服を愛するアラサー男子。“世間の目”と好きな服を身に纏うことについて綴ります。

何をするにも、人の感想ばかりが気になるようになってしまった。

映画やアニメ、ドラマにバラエティ。日々波のように押し寄せるコンテンツを必死に手元で選り分けていれば、いくつかは自分に刺さるものに出会うことになる。これはちょっと、すごいもの観ちゃったんじゃないか。歴史、変えちゃうんじゃないか。エンドロールも早々に次の映画を見せつけようとしてくるNetflixの画面を前にして、そんなことを思う。

ただ、最近はそんな風に面白いと感じたり、好きだと言いたい作品に出会っても、それを表明したり深掘りしたりする前についSNSの検索窓にその作品の名前を入れてしまう。自分以外の誰かがその作品をどう感じているか、世間がどう受け止めているかをまず知るべきであるような気がしてしまうからだ。

大事な作品について不用意なことを言ってしまいたくない、人の感想を読んだ上で自分なりの意見を組み立てたい──そんな思いもあるにはある。しかし、それ以上に自分の抱く感情に自信が持てなくて、既に世に放たれた人の言葉にすがってしまいたいという衝動の方が大きい。結果「自分の言いたかったことはこんなことだった」と、いいねのたくさんついたポストにまるで何かを代弁してもらったような気になって、自分の投稿欄に書きかけた文字列を消し始めてしまうことだって、少なくない。

何かの評価を調べようとして検索窓に単語を入力すると、少なからず「サジェスト」が目に入る。たとえば映画について調べるなら「作品名 レビュー」「作品名 興行収入」みたいに、同じ単語で検索をする人が他にどんな単語を並べているのかがわかるアレだ。サジェストに並ぶ単語は大抵は便利で気になるものである一方で、あまり目にしたくないものもある。それが「きらい」の文字だ。

ネット上に溢れるのは、好意的な反応や感想ばかりではない。むしろ、体感は否定的なものの方が多いくらいだ。だからって、自分の好むものが蔑まれている様子も決して見たいものではない。自分の好きな何かで検索をしようとして、サジェストに「きらい」が並ぶと、ぎょっとして一瞬体が硬直するような感覚に陥る。こんなものを見せないでくれ、と思う。

しかし、どんな人が私の好きなものを嫌っているのか、怖いもの見たさで実際に「〇〇(好きな作品名) きらい」で検索をかけてみると、思っていたのとは違う景色が広がっていることもある。「〇〇がきらいって言う人の気が知れない」「〇〇が嫌いな方もいるかもしれませんが、次のような見方をすると……」──見えるのはそれを嫌う人を仮想敵として、抗おうとする人たちの姿。よかった、私の好きなものは叩かれていなかったんだ。そう安心すると同時に、これも正解としての人の評価に怯えているからこその物言いであるようにも見えてしまう。みんな、怖いのだ。

もっとみんなに「身勝手に」振る舞ってほしい

この「正解を探す癖」は、単純な趣味の対象だけでなく、自分の身に纏うものにまで及んでいる。服について調べようとするとき、サジェストに現れるワードの中で個人的に気になってしまうものがある。それが「何歳まで」「年齢層」といったワードだ。

気になる服やファッションブランドがあったときに、それが自分の年齢に見合うものなのか考えるのは自然なことだろうと思う。Q&Aサイトに投稿される「このブランドの服を〇歳の自分が着るのはまだ早いだろうか」「この価格帯の服はもう卒業するべきだろうか」といった質問の数々もそういった感覚の表れだろう。そもそも、年齢をはじめ自分のステータスに合わせて服を着ようとすることは悪いことではまったくない。時や場に合わせた規範=コードに沿って、適切な服を選ぶことができるのは確かな着こなし力だろう。でも、それだけでいいのだろうか。

『撃ち抜くみたいに着飾って』より。

今から6~7年くらい前のこと。従姉妹の一人が結婚することになり、家族で結婚式に呼ばれることになった。私にとっては物心ついてから初めての結婚式への参列であり、母にとってもずいぶん久しぶりのもののようだった。私は成人式で着ていたコートを引っ張り出してくれば当日の服装はどうにでもなりそうだったが、母はどうやら悩んでいる様子だった。聞いてみると、この機会に新しいドレスを買おうか悩んでいるらしかった。

価格もあまり高くないと言うので、そんなの好きにすればいいのにと思いながら、母が気になっているというドレスの写真をスマホで見せてもらう。知っているブランドの服だった。

それはネット上では「あざとい」デザインのブランドとして、どちらかといえばあまり良くない文脈でも登場する名前だということに気づく。着用するメインの年齢層も、母よりもむしろ私に近い、いわゆる若者向けのものだったはずだ。そこで今度は私が悩む。母に、そのことを伝えるべきかどうか。

結婚式という場所で母が恥をかくことがあって欲しくないと、まず思う。手にしたスマホの液晶に映るドレスは、シックな色合いながらガーリーな装飾も目立ち、フォーマルな印象よりは「可愛い」が先行するものだった。見る人が見れば違和感があるものなのだろうか? 当時の私にはよくわからなかった。

母さんよりは、私くらいの年齢向けのラインかもね──そう言いかけて言葉を飲み込む。そんな話をしたいんじゃない。適切な服選びなのかは、正直わからない。でも、似合うか似合わないかでいったら似合いそうだ。だからこそ、判断の基準を外側に委ねてしまうのは間違っているような気がした。それに、折角の結婚式なら好きな服を着た方が楽しいだろう。

現在の私は私服として、ロリィタファッションを好んで着ている。特に気に入っているのは十字架や薔薇の意匠が盛り込まれたいわゆる「ゴスロリ」で、家から着たまま外へと繰り出すことも多い。パニエで大きく膨らんだスカートに、棺桶の形をしたバッグ。身に纏うどれもがとても自然に街へと溶け込むものではない。でも、街からふわふわと浮くようなその「孤立」は私自身が確かに選び取ったものであり、どこまでも心地いいものに感じる。

私は、もっとみんなに「身勝手に」振る舞ってほしいと思っている。結局、母はスマホに映った服をそのままカートへと突っ込み、それを着て結婚式へと参列した。至極当たり前のこととして、その服を咎める人は誰もいなかった。主役が他にいる場でもし服に何かを言う人がいたら、そっちの方がマナー違反だ。弱いはずのお酒を飲んで赤くなり、けらけらと笑いながら従姉妹に話しかける母の姿が目に入る。私の方が考えすぎだったのだ。

この数年で服についてものを書くようになり、以前より多くのことを知ることになった。その今だからこそ、当時の母に「言うべきこと」を言わなくてよかったと、はっきり思う。母は三姉妹の末っ子で、何かと不自由な子供時代を送っていたのだとよく聞いていた。家にいながら、電話口で伯母と喧嘩していたのも時々目にしていた。その母が、とびきりのドレスを着て伯母らと並んで笑う写真が、今も手元にある。

志賀玲太(しが・れいた)

東京都出身、東京藝術大学美術学部芸術学科を卒業。クイズ王・伊沢拓司率いる東大発の知識集団「QuizKnock」に2017年6月より加入し、現在はWebメディア「QuizKnock」の編集者・ライターとして活動中。他、短歌やエッセイを中心とした文筆活動や、メディア出演など。語ること、書くことが好きです。
X:@Petzvaled

文=志賀玲太

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