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VTuber卒業はファンに大きな喪失をもたらすとの研究結果が発表

  • 2025.12.22
VTuber卒業はファンに大きな喪失をもたらすとの研究結果が発表
VTuber卒業はファンに大きな喪失をもたらすとの研究結果が発表 / Credit:“Can’t believe I’m crying over an anime girl”: Public Parasocial Grieving and Coping Towards VTuber Graduation and Termination

カナダのウォータールー大学(UWaterloo)などで行われた研究によって、VTuberの「卒業」や契約解除はファンにとって単なる「コンテンツ終了」というより、絆の喪失として体験されやすいことが見えてきました。

研究ではVTuberとして活動していた「桐生ココ」さんと「潤羽るしあ」さんの2人の卒業/契約解除の後に寄せられた約3年にわたる膨大な投稿やコメントが分析されており、卒業や契約解除がファンにどんな影響を与えるかが調べられています。

会ったこともない相手に、なぜ私たちは友達を失うような痛みと絆を感じてしまうのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年4月26日に『Proceedings of the 2025 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems(CHI ’25)』にて公開されました。

目次

  • 会ったことないのに、友達みたいな気軽なやりとり
  • 悲しみは減るのに、後悔は増え続ける
  • 別れ方の設計が、心の痛みを左右する

会ったことないのに、友達みたいな気軽なやりとり

会ったことないのに、友達みたいな気軽なやりとり
会ったことないのに、友達みたいな気軽なやりとり / Credit:Canva

VTuberと視聴者は特別な絆で結ばれているのかもしれません。

ただ動画を視聴するだけの受け身な状態とは違って、リアルタイムでコメントを読み上げてもらったり、配信の中で名前を呼ばれたりすることがあります。

他にも、同じタイミングで笑ったり驚いたり、軽い冗談にツッコミを入れたり入れられたり、ホラーゲームで同時に怖がったりすることもあるでしょう。

時には真面目な話題で一緒に悩んだり、視聴者の悩みに真剣に相談に乗ってくれたり、場合によっては叱ってくれたりもします。

雑談の合間にふざけ合って笑ったり、大喜利でボケてみたり、互いに冗談のような罠を仕掛け合うことだってあります。

こうした小さな「瞬間」が何度も何度も繰り返されるうちに、ただの画面の向こうの配信者だったはずが、まるで「会ったことのない友達」のような存在へと変わっていくのです。

心理学では、もともとこうした一方的な親しみを「パラソーシャル関係」と呼んでいます。

パラソーシャル関係とは、視聴者側だけが一方的に親しみを感じてしまう、片方向の人間関係のことです。

これは元々テレビの司会者や芸能人のファン心理を説明するための概念でしたが、インターネットの普及とともに、急速に姿を変えています。

しかしVTuberが登場し、ライブ配信が当たり前になった現代では、このパラソーシャル関係の意味合いが、以前とは大きく違ってきています。

テレビのキャラクターや芸能人とは違い、VTuberの場合は「ほぼ毎日」「何時間も」視聴している人もいます。

毎日学校や会社から帰った後、友人に会うような感覚でVTuberの配信にアクセスできるのです。

このように長い時間をかけて「一緒に過ごした感覚」を積み重ねていくと、私たちの心の中に、本当の友人との記憶と同じような存在感で「推しとの思い出」が並んでいきます。

そのため学術的にもVTuberとファンの関係は「テレビに映る芸能人」とは質感が異なる「1.5方向パラソーシャル」(1方向以上で2方向以下)に分類する意見も出ています。

また、VTuberには「キャラクター(アバター)」とその裏側にいる「中の人(演じている本人)」という、特殊な二重構造があります。

私たちは、可愛らしいアバターが笑ったり動いたりする姿を通して親しみを覚えるのですが、その背後には当然、生身の人間として感情や生活を持つ演者が存在しています。

配信中に突然真剣な声色になったり、息遣いが疲れていたり、普段と違うトーンで仕事や学校の話が語られたりすると、キャラクターとしての雰囲気の外に、ふと「中の人」の気配がのぞくことがあります。

視聴者はこの微妙な変化を感じ取り、「あ、今の笑いは素に近いのかも」とか、「今、本当に疲れているのかな」といったように、画面の向こうにいる「人の気配」をリアルに感じることができるのです。

しかし、このように密接な親しみを感じるVTuberであっても、いつか必ず引退や活動終了の時がやって来ます。

実際、今回の研究が執筆された時点では、すでに600件以上のVTuberの引退が確認されています。

中には、絶頂期のまま活動を終えた人気VTuberもいます。

例えば2021年に卒業を発表した桐生ココさんの場合、その最後の配信には、50万人以上の視聴者が同時に視聴していました。

これだけの規模で「卒業」が話題になったのは、VTuberの存在が多くの視聴者にとって、単なる「娯楽」以上に深い絆を生んでいたことがうかがえます。

では、こうした強い親しみや絆を感じているVTuberが引退する時、私たちはどんな悲しみに襲われるのでしょうか?

頭の中では、いつか別れが来ると分かっているつもりでも、実際にその日が訪れた時には、まるで本当の友人を失ったかのような強い悲しみを味わう人が少なくありません。

その悲しみや喪失感は、時間とともに完全に消えてしまうものなのでしょうか?

それとも、別れた後も何らかの形で私たちの心の中に残り続けるのでしょうか?

――この研究は、その疑問に本気で挑んだものです。

悲しみは減るのに、後悔は増え続ける

悲しみは減るのに、後悔は増え続ける
悲しみは減るのに、後悔は増え続ける / この図は、桐生ココさんと潤羽るしあさんについて、引退の話題に関係するRedditの投稿・コメント数が、時間の経過とともにどう増えたり減ったりしたかを並べた図です。 いちばん大きい山は引退の告知や大きな出来事の直後に立ち、その後はいったん落ち着きますが、節目のイベントが来るたびに小さな山が戻ってくるのが特徴です。 つまり推しの別れが「一回の騒ぎ」で終わるのではなく、出来事の節目ごとに思い出が呼び起こされて、話題が何度も再点火する――そんな“余韻の波”を見せたものと言えるでしょう。/Credit:“Can’t believe I’m crying over an anime girl”: Public Parasocial Grieving and Coping Towards VTuber Graduation and Termination

今回の研究チームは、VTuberが卒業したり契約解除されたりすると、ファンの気持ちがどのように変化していくのかを実際のデータを使って調べました。

方法は非常に地道です。

研究者たちは、海外の掲示板「Reddit」(レディット)に書かれた約3年分の投稿やコメントを集め、実際に一つひとつ読んで分析したのです。

対象となったVTuberは、日本の大手VTuber事務所ホロライブに所属していた「桐生ココさん」(2021年卒業)と「潤羽るしあさん」(2022年契約解除)の2人です。

集められたデータの数はとても膨大で、投稿が1293件、それに付いたコメントが12,362件にもなりました。

この中から研究者たちは、ファンがどんな感情を表しているか、丁寧に読み解いて分類していきました。

最初に見えてきたのは、引退が発表された直後にファンが感じる強烈なネガティブな感情でした。

たとえば「悲しい」という気持ちは単に「悲しい」だけではなく、「痛み」という身体的な感覚として語られることもありました。

また、発表を知った瞬間の驚きやショックは、まるで悪い夢を見ているような現実感の喪失として表現されました。

「こんな悪夢、早く終わってくれ!」とか、「嘘だと言ってくれよ!」といった叫びにも似た反応が次々と書き込まれています。

さらに、「鳥肌が立った」「めまいがした」「吐き気を感じた」など、ショックが体にまで影響を与えていることを伝えるファンも一部にはいました。

とくに契約解除のように推しが急に消えてしまったことで、ファンは本人の健康状態を真剣に心配し、「どうか無事でいて」「メンタルが心配だよ」といったコメントを寄せています。

また、突然の引退に対するファンの怒りは本人だけでなく、運営側にも向けられました。

特に契約解除の場合は、本人だけでなく運営側の対応に不満が集中する傾向がありました。

「卒業って言ってるけど、これって実質解雇じゃないの?」とか、「せめて最後の配信くらいさせてほしかった」など、運営側の処置に納得がいかないファンの声も強く出ています。

こうしたファンの中には、「もうVTuberを見るのをやめる」といった絶望的な言葉を残す人もいました。

しかし現実と同じように、人間の心がいつまでも同じ状態でいることはない、という当たり前の法則もはっきり示されています。

激しい悲しみや怒りといったネガティブな感情は、時間の経過とともに少しずつ薄れていきました。

これ自体は人間心理の自然なパターンとも言えます。

ところが、驚くことに「時間が経ってから強くなる感情」もあったのです。

それが「後悔」と「忠誠心」です。

ファンはケースによっては時間が経つほど、「もっと早く推しを知っていれば」「もっとたくさん応援しておけば」といった後悔を深くする傾向がありました。

また、配信がなくなってしまった後も、「これからも絶対に忘れない!」「彼女がどこにいてもずっとファンでい続ける!」といった忠誠心を示す言葉も増えていったのです。

(※この論文で使われているloyalty(忠誠心)は、引退後も忘れず応援し続ける「ファンとしての継続意思」に近い意味です。)

研究者たちは、悲しみが表面では薄れても「推しがいたこと」そのものが人生の一部として残り、時間がたつほど思い出が効いてくるためではないかと考えています。

私たちはつい、VTuberへの気持ちを軽い趣味や娯楽として割り切ろうとしてしまいます。

しかし、日々の積み重ねによって育まれたその感情は、やはり本物で、簡単に割り切れるものではないようです。

「名前を呼ばれたこと」「一緒に笑ったこと」「一緒に泣いたこと」、そうした小さな思い出が積み重なった結果、推しとの別れは心にぽっかり穴を開けるような、特別な喪失感になってしまうのです。

別れ方の設計が、心の痛みを左右する

別れ方の設計が、心の痛みを左右する
別れ方の設計が、心の痛みを左右する / Credit:Canva

この研究によって、VTuberの卒業や契約解除は、ファンにとって「名前を呼ばれ、一緒に笑い、一緒に泣いた時間そのものを失う“喪失”」として体験されていることが示唆されました。

悲しみやショックの言葉は時間とともに減っていきますが、「もっと応援できたはずだ」という後悔はケースによって差があり、「あの人のことは忘れない」という忠誠の宣言は、むしろ増えていくというパターンは、その喪失が一度きりの痛みではなく、心の中で長期的に熟成していくものであることを教えてくれます。

研究者たちは、こうした感情の変化について、「推しが消えたことを悲しむ」という初期の段階から、「推しがいたという事実や思い出そのものを大切に抱え続ける」段階へと、感情が移り変わっている可能性があると説明しています。

また、この研究は単にファン心理の理解を深めるだけでなく、社会的に重要な発見もしています。

それが「別れ方の設計」という視点です。

桐生ココさんの卒業と潤羽るしあさんの契約解除を比較すると、その差が鮮明に見えてきました。

桐生ココさんの場合は事前に卒業が告知され、最後には特別な卒業ライブまで開催されました。

つまり、ファンは気持ちの整理をつけ、前向きに推しを送り出す「時間的な余裕」がありました。

一方、潤羽るしあさんの場合は契約違反により、告知と同時に即座の活動停止となりました。

そのため、「何が起きたのか分からない」「どうして最後に配信をさせないんだ」といった混乱や怒りが一気に噴き出したのです。

しかも、この衝撃に追い打ちをかけるように、約1か月後にはYouTubeのアーカイブ(過去の動画)がすべて公開停止または削除され、ファンが思い出を振り返る場所まで奪われました。

そのとき、一部のファンは消えていく画面を最後まで見届けようとチャンネルページに張り付き、まるで物語が最終ページから破り取られていくような強い喪失感を経験したと言われています。

ここから読み取れるのは、運営側やプラットフォーム(配信サービスなど)の判断ひとつで、ファンの感情が激しく揺さぶられ、心理的なダメージが大きくなる可能性がある、という示唆です。

つまり、VTuberの別れ方は単なる運営の内部事情やルール問題に留まらず、「人々の心」に直接関わる繊細な問題なのです。

もちろん、この研究にも明確な限界はあります。

対象となったのは英語圏の巨大掲示板Redditを使う人々に限られ、しかもホロライブという有名な事務所の、特に注目された二つの事例に焦点を絞っています。

日本のファンや、小規模なVTuber、ひっそりと活動終了した場合など、状況が変わればファンの反応も違ってくる可能性があります。

しかし、それを差し引いても、この研究の価値はとても大きいと言えます。

まず、VTuberや推し活を単に「危なっかしい趣味」や「ただの娯楽」という極端な見方から解放し、新しい人間関係のあり方として真剣に考え直す機会を提供してくれます。

さらに運営側の判断や、動画の管理(アーカイブの取り扱い)といった現実的な問題も、単なる「炎上対策」や「数字の話」にとどまらず、ファンの「感情」や「記憶」から考える必要があると気づかせてくれる点も重要です。

テレビドラマの最終回で登場人物が消えてしまった時、多くの人が涙を流したことがあります。

VTuberが引退する時にもそれと同じ、あるいは人によってはよりリアルな悲しみが、視聴者の胸に刻み込まれるのです。

推しは画面の向こうにいる存在ではありますが、その存在と過ごした日々は、現実の友人との思い出と同じくらい、私たちの心の一部になっているのです。

元論文

“Can’t believe I’m crying over an anime girl”: Public Parasocial Grieving and Coping Towards VTuber Graduation and Termination
https://doi.org/10.1145/3706598.3714216

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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