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コント界を牽引する“ショートコント”の第一人者、ウンナンが“日本の笑い”を変えたワケ

  • 2025.12.27
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2003年撮影、「きのこたけのこ恩返し神社」の除幕式で小判を両手にPRするウッチャンナンチャン(C)SANKEI

昭和、平成、令和の時代を股にかけ、今もなお活躍し続けるお笑いコンビを語る上で、マセキ芸能社所属のウッチャンナンチャンについては、外すことができない。

お茶の間で見ない日はなく、年末の特番では名MCとして内村光良、南原清隆ともに引っ張りだこだ。

1984年、現在の日本映画大学での漫才の講義をきっかけにコンビを結成した2人の現在に至るまでの活躍を、今一度紐解いていこう。

コンビ結成から1年でテレビデビュー

熊本県出身の内村光良、香川県出身の南原清隆によるコンビ・ウッチャンナンチャン。彼らの出会いとなったのは、横浜放送映画専門学院、現在の日本映画大学だ。ちなみに、同じく専門学校の同期には、出川哲郎の存在も。この3人が、今もなお、テレビの第一線で活躍しているというのは、なんとも感慨深い。

そんなウッチャンナンチャンは、専門学校時代におあずけブラザーズという名で活動を本格始動。その後、ウッチャンナンチャンに改名し1985年には『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)にてテレビデビューを果たした。

平成初期、バラエティ番組で引っ張りだこ

1990年代、ダウンタウンやとんねるずに続く、お笑い第三世代として人気を獲得した2人は、フジテレビの深夜番組『夢で逢えたら』で一気に知名度を上げる。

そこから、バラエティ番組『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』を展開。パロディーコントでさらに人気を博した。

多くの人の記憶に残っている番組といえば、やはり『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系列)ではないだろうか。これまでコントの人というイメージだったウッチャンナンチャンが、千秋をボーカルに迎えた番組オリジナルグループ、ポケットビスケッツや、その対抗グループ、ブラックビスケッツをヒットさせる。さらに、社交ダンス企画、ドーバー海峡横断企画などのスポーツ企画も好調。1996年から1999年の間は、最高視聴率が20%を超えるを記録する名物番組だった。

“ショートコント”の産みの親、“日本の笑い”を変えた存在

ちなみに、ウッチャンナンチャンのお笑いにおける功績といえば、今でこそ当たり前のように披露される“ショートコント”を確立させた第一人者でもあるということ。ウッチャンナンチャンなくして“ショートコント”なし。そう思うと、お笑い界に大きな影響を与えた2人でもある。

また、ウッチャンナンチャンといえば数々の名キャラクターを生んだ、ネプチューンや中島知子、ビビる、ベッキーなどと共に展開したお笑い・コント番組『笑う犬』も。2003年の番組終了後も復活特番として放送されるなど、根強いファン作りに成功した。

個々での活躍が目立つ2025年現在、しかし年末には特番も

2022年にはコンビ名義のレギュラー番組はなく、お互いに番組のMCを務めている2人。さらに内村は映画監督を、南原は現代狂言などの世界でも常に挑戦を続けている印象だ。

そんな2人だが、12月29日には2005年にスタートし、今は不定期放送ながらも、お笑い芸人たちの憧れの番組ともいえる『ウンナン極限ネタバトル!ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』にてMCを務める。ここで2人が肩を並べる姿を見られるとあり、ファンからは期待が高まっているようだ。

しかも、今回は、内村が17年ぶりにチャレンジャーとして参戦もするとのこと。それに対しても注目が高まっているほか「コンビでも見たい」などの声も寄せられているよう。

また、ウッチャンナンチャンのという冠はつかずだが、これもまた1990年代に人気を博した『炎のチャレンジャー』の放送も2026年1月12日に決定。MCは南原と菊池風磨(timelesz)とのことだが、ぜひコンビでの盛り上げも観たい。ファンとしてはそう願ってしまうのも事実である。


ライター:於ありさ
ライター・インタビュアー。サンリオ・アイドル・恋愛コンテンツ・お笑いが好き。マイメロディに囲まれて暮らしている。
X(旧Twitter):@okiarichan27