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90年代後半、深夜ドラマから生まれた“静かな名曲” “感情を抑制”して歌ったワケ

  • 2025.12.27

「29年前のあの冬、どんな音が夜を包んでいたか覚えている?」

冬の空気は少し硬く、街灯の下で吐く白い息がゆっくりとほどけていく。テレビドラマから流れてきたメロディが、部屋の静けさと溶け合い、ふと胸の奥を温めてくれた。あの頃の夜は、どこか優しく、どこか寂しくて、でも確かに“音楽”が寄り添ってくれていた。

そんな季節にそっと灯りをともしたのが、この1曲だった。

infix『涙・抱きしめて』(作詞:工藤皆雄・長友仍世・作曲:長友仍世)――1996年1月29日発売

日本テレビ系ドラマ『奇跡のロマンス』の挿入歌として流れるたび、視聴者の胸を静かに揺らした。派手ではないのに、なぜか耳と心に残る。そんな、冬の深夜によく似合うバラードだった。

静かに寄り添う“声のぬくもり”

『涙・抱きしめて』は、infixにとって10枚目のシングル。infixといえばロック色の強い楽曲や熱量のある歌唱が印象的だが、この曲では“語りかけるような優しさ”が際立っている。

ドラマの挿入歌という文脈もあり、曲全体が“余白”を大切にした構成になっているのが特徴的だ。アレンジにも過度な装飾がないため、歌声の温度や息づかいがダイレクトに伝わり、聴く側の心の奥にすっと入り込んでくる。

どこか触れれば壊れてしまいそうな繊細さがありながら、同時にそっと支えてくれるような強さも感じられる。まさに“抱きしめる”というタイトルが示す質感が、そのまま音になったようだ。

1996年の空気と響き合った“静かな主題”

1996年というと、音楽シーンではミリオンヒットも多く、J-POPが勢いを増していた時期だった。しかし一方で、バラードや“寄り添う系の楽曲”がドラマを通して緩やかに広がっていく時代でもあり、深夜枠から名曲が生まれることも珍しくなかった。

ドラマ『奇跡のロマンス』は、赤井英和演じる不器用だけど心優しい提灯職人の男と、シングルマザーで障害を抱える息子を持つ女性(葉月里緒菜)との恋愛模様を描いた作品。その挿入歌として流れた『涙・抱きしめて』は、まさにその象徴のような存在だった。

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赤井英和-1996年撮影(C)SANKEI

ドラマの物語の余韻を受け止め、その“静かな感情”をさらに一段深く引き出すような役割を果たしていたのである。タイアップの力というより、曲そのものの空気感が視聴者の心に寄り添い、気づけば日常の一部になっていた。そんな浸透の仕方をした楽曲だった。

infixが描いた“抱きしめる強さ”

infixといえば、長友仍世の伸びるハイトーンやエモーション豊かな表現が代名詞だが、この曲では抑制されたボーカルがむしろ強く印象を残す。感情を爆発させるのではなく“抑えた美しさ”を大切にした歌い方が、楽曲の透明感を際立たせている。

また、メロディ自体が非常に丁寧に作られており、フレーズごとに感情の波を細やかに描く。大きな起伏がない分、リスナー自身の記憶や感情を自然と呼び起こす構造になっているのが魅力だ。

当時のinfixはロック色とバラード色、双方の魅力を併せ持っていたが、『涙・抱きしめて』はその中でも“柔らかさ”を象徴する1曲として語り継がれている。

ドラマの余韻を受け止めた“冬の記憶”

『涙・抱きしめて』は、数字的に大ヒットを記録した楽曲ではない。しかし、ドラマの視聴者をはじめ、90年代後半の音楽を愛した人々の間で“忘れられない曲”として静かに残り続けている。

誰かの部屋で、誰かの深夜に、そっと流れていた1曲。大声で主張しない、だけど消えない。そんな強さを持ったバラードは、時が経っても薄れない。

そして今聴いても、この曲が持つ“抱きしめるような温度”は変わらない。心が少し冷えている夜に、そっとそばにいてくれる音楽。それがinfix『涙・抱きしめて』という作品の本質なのだろう。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。