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日本代表が快勝した試合!日韓W杯の「チュニジア戦メンバー」はこの11人だった

  • 2025.12.12

先日行われた2026年ワールドカップの組み合わせ抽選会により、日本代表チームが対戦することになる相手が決定された。同じグループとなったのは、オランダ、チュニジア、そしてヨーロッパのプレーオフを勝ち抜いた1チーム。

その中でもチュニジアは日本代表との対戦回数も多く、何かと縁深い相手。特に重要な記憶は、2002年に行われた日韓ワールドカップのグループステージ第3節での対戦だろう。

今回は日韓ワールドカップでチュニジアと対戦した際にプレーした日本代表のスターティングメンバー11名を振り返ろう。

GK:楢崎正剛

画像: GK:楢崎正剛

当時の所属クラブ:名古屋グランパス

川口能活とゴールキーパーのポジションを争っていた楢崎。フィリップ・トルシエ監督の下で信頼を受け、この日韓ワールドカップでもレギュラーを務めた。この大会では4試合全てに出場して活躍し、ジーコ体制の中盤まで安定感ある日本代表の守護神であり続けた。

DF:松田直樹

画像: DF:松田直樹

当時の所属クラブ:横浜F・マリノス

いまなお日本代表の歴史上最も優れたディフェンダーだったと言われることも多い松田直樹。溢れんばかりの闘争心とアスリート能力、サッカーに賭ける思いに満たされた魅力的な選手だった。トルシエ体制ではフラット3の中心として活躍し、この大会でも全試合にフル出場。残念ながら松本山雅FCに所属していた2011年に心臓発作のため死去している。

DF:中田浩二

画像: DF:中田浩二

当時の所属クラブ:鹿島アントラーズ

トルシエ監督の申し子とも言われた左利きのコンダクター。本職はボランチであったが、知的なプレーと左足でのパス出しが評価され、最終ラインの一角として起用された。後にマルセイユの監督に就任したトルシエに誘われてフランスへと移籍し、さらにオーストリアとスイスでのプレーも経験している。現在は鹿島アントラーズでフットボールダイレクターを務めている。

DF:宮本恒靖

画像: DF:宮本恒靖

当時の所属クラブ:ガンバ大阪

トルシエ監督がフラット3の中心に据えていた森岡隆三が怪我をしてしまったため、鼻骨骨折の怪我を抱えながらレギュラーを務めた宮本恒靖。フェイスガードをつけてプレーする姿から「バットマン」の愛称をつけられた。現在は日本サッカー協会の会長を務めている。

MF:稲本潤一

画像: MF:稲本潤一

当時の所属クラブ:アーセナル

ガンバ大阪からアーセナルへと移籍したことで大きな話題を集めた稲本潤一。プレミアリーグでは苦戦していたが、この大会ではベルギー戦とロシア戦で2試合連続ゴールを決めてブレイク。終了後にフラムへと移籍することになった。昨年まで南葛SCでプレーを続けていたが、44歳で現役引退。現在は川崎フロンターレで育成部のコーチを務めている。

MF:中田英寿

画像: MF:中田英寿

当時の所属クラブ:パルマ

日本人選手のヨーロッパ進出を大きく加速させたパイオニア的存在。ペルージャで成功を収め、その後ローマでセリエA優勝を経験し、パルマで新たなキャリアをスタートさせていた。このチュニジア戦では75分に2点目を決め、相手に止めを刺している。

MF:小野伸二

画像: MF:小野伸二

当時の所属クラブ:フェイエノールト

オランダ・エールディビジのフェイエノールトで活躍を見せ、UEFAカップ優勝も成し遂げた小野伸二。この日韓ワールドカップ前には虫垂炎に侵されてしまったものの、万全ではない状態でありながらもウイングバックとして大きな貢献を見せた。

MF:明神智和

画像: MF:明神智和

当時の所属クラブ:柏レイソル

トルシエ監督に「8人の明神と3人のクレイジーな選手がいれば完璧なチームになる」とまで言われた献身性とユーティリティ性の権化。安定したプレーと豊富な運動量を武器に様々な役割をこなし、このチームの中で不可欠なピースの一つとなっていた。現在はガンバ大阪のコーチを務めている。

MF:戸田和幸

画像: MF:戸田和幸

当時の所属クラブ:清水エスパルス

この大会を前に髪の毛を赤く染めたモヒカンスタイルにし、大きな話題を集めた。激しさを武器にした守備的ミッドフィルダーとして中盤を締め、4試合全てで起用された。インパクトある活躍からヨーロッパでも評価され、2003年にはトッテナム・ホットスパーへ移籍している。

FW:鈴木隆行

画像: FW:鈴木隆行

当時の所属クラブ:鹿島アントラーズ

大会初戦となったベルギーとの試合で泥臭いゴールを決め、一躍スターダムに躍り出た鈴木隆行。銀色に染めた髪型も大きなインパクトを残した。得点力は高くないものの、それを補って余りあるほどのフィジカルと献身性で戦う姿に、多くのファンが心を打たれた。大会後はベルギーのヘンクへと移籍し、その後ヒュースデン・ゾルダーやツルヴェナ・ズヴェズダ、ポートランド・ティンバーズなど海外のクラブでもプレーしている。

FW:柳沢敦

画像: FW:柳沢敦

当時の所属クラブ:鹿島アントラーズ

ボールを引き出す動きに長けたストライカーとして、鹿島アントラーズで同僚だった鈴木隆行とともに2トップで起用された。ベルギー戦で首を痛めたため、このチュニジア戦を終えたあとには激痛に襲われるようになり、決勝トーナメントでは欠場を余儀なくされたという。この試合でも途中交代となり、代わりに出場した森島寛晃が先制点を奪っている。

※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。

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