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40年前、突然生まれた“奇跡のラップ” “ふざけた悪ノリ曲”が大ヒットしたワケ

  • 2026.1.1

「40年前、街のスピーカーから聞こえてきた“あの楽しさ”を覚えてる?」

1986年の冬から春へ向かう頃、通りを歩けば、空気の冷たさよりもどこか軽やかなムードが漂っていた。にぎやかなテレビの音、学校帰りのざわめき、週末の商店街の活気。そのどこからともなく、突き抜けたテンションの“あの曲”が聴こえてきた瞬間、日常が一気に明るくなるような感覚があった。

シブがき隊『スシ食いねェ!』(作詞:岡田冨美子・S.I.S.・作曲:TZ)――1986年2月1日発売

リリース前にも関わらず1985年末、第36回NHK紅白歌合戦で披露されたこともあり、発売前からすでに話題はじゅうぶん。テレビ越しでも伝わる“勢い”と“ノリ”が、そのまま時代の空気を押し上げていった。

夜中に生まれた“いたずら心”が、時代を変える

『スシ食いねェ!』の背景には、シブがき隊のメンバーの若さゆえの柔らかさや勢いがそのまま形になったようなエピソードがある。

1985年、名古屋でツアーを控えていた彼ら。ところが前日、ヤッくん(薬丸裕英)が番組ロケ中に腕を骨折するというアクシデントが発生する。普通ならツアー中止となりそうな事態だが、事務所の判断は「2人でやれ」。突然の代役と予想外の展開に、残るフッくん(布川敏和)とモッくん(本木雅弘)の2人は戸惑いながら初日を迎えることになった。

その夜、どう盛り上げようかとフッくんとツアーバンドのベーシスト・KUZUがホテルの部屋で相談し、「ラップでもやる?」という軽いノリで始まった深夜の創作。当時、アメリカのRun-D.M.C.が日本でも聴かれはじめていた頃らしく、ラップならメロディがなくてもなんとかなると思ったのだそう。

部屋に届けてもらった寿司のネタを書き留めながら、韻を踏んだり、呼び込みの声を混ぜたりと、ふざけながら作った“遊び”。それが、後に日本中が口ずさむ一曲へとつながっていく。ちなみに作詞にクレジットされているS.I.Sは「シブがき隊・板前・スペシャル」の略なんだとか。

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1982年、「第13回日本歌謡大賞」放送音楽新人賞を受賞したシブがき隊(C)SANKEI

遊びから“音楽”へと変わった瞬間

翌日の公演で披露すると、意外にもファンの反応は上々。これをきっかけにレコード会社から「きちんと曲にしてほしい」と声がかかり、作詞家の岡田冨美子と作曲家TZ(後藤次利)によって正式な作品へと仕上がった。

編曲は鷺巣詩郎。ポップで勢いがあるのに、どこか洗練されたサウンド。シブがき隊の“やんちゃさ”と、当時の音楽シーンを支えた職人たちの技術が、絶妙なバランスで噛み合っている。真剣に作り込んでいるのに、聴こえてくるのはあくまで“楽しさ”だけという稀有な仕上がりだった。

リリース前からNHK『みんなのうた』でも放送され、子どもたちの間でも爆発的に広がる。紅白でのパフォーマンスも相まって、誰もが知る国民的なフレーズへと成長していった。

“寿司文化”が名曲になった偶然

当時、シブがき隊の3人はまだ大人の寿司屋に入った経験がなく、回転寿司も一般的ではなかった。だからこそ、深夜にホテルで食べた寿司が、彼らにとって“世界で一番リアルな寿司体験”だった。その等身大の感覚がそのまま歌詞になり、嘘のない“若者の視点”として曲に刻まれている。

結果として、子どもも大人も一緒に楽しめる、珍しいJ-POPが誕生した。どこにも媚びず、只々「おもしろいことをやりたい」という気持ちから生まれた楽曲。それが、放送やライブを通して時代の心に刺さったのだ。

今も笑顔を連れてくる、あの時代の温度

『スシ食いねェ!』は、歌詞や構成が奇抜なだけの曲ではない。背後には、若いアーティストたちが苦境の中で編み出したアイデアを、プロのクリエイターが本気で磨いた“共同作業の熱量”がある。

そして何より、聴いた瞬間にどんな時でも気持ちをふっと明るくしてくれる無邪気さが、今も変わらず曲の中心に残っている。

1980年代の空気をそのまま閉じ込めたような1曲。遊び心から始まりながら、日本中に笑顔を届け続ける一曲。時代が変わっても、この“突き抜けた明るさ”が色褪せることはない。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。