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20年前、名前を変えたアイドルが派手さを捨てた「呼吸の音」 初シングルで1位を獲ったワケ

  • 2026.1.1

春が来るたびに、なぜか胸の奥がざわつきはじめる。満開の桜は変わらず美しいのに、その下に立つと、ただ「きれいだね」では済まされない感情が込み上げてくる。

2006年の春、日本の音楽シーンにそんな“説明できない痛み”をそっと置いていった1曲があった。

ENDLICHERI☆ENDLICHERI『ソメイヨシノ』(作詞・作曲:ENDLICHERI☆ENDLICHERI)――2006年2月1日発売

それは、堂本剛が初めて「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」という名義で世に放った、記念すべき最初のシングルだった。

名前を変えるという、静かな決意

2006年当時、堂本剛はすでに国民的グループの一員として確固たる立場を築いていた。だが、この作品では、その肩書きから一度距離を置き、“ENDLICHERI☆ENDLICHERI”という新しい表現者として音楽と向き合っている。

名前を変えるという行為は、単なる別名義ではない。それは、既存のイメージや期待から自由になるための、静かだが重い選択でもある。

このプロジェクトは、ファンクやソウルを基盤にしながらも、より個人的で内省的な表現を許容する場所だった。『ソメイヨシノ』は、その第一声としてあまりにも象徴的な楽曲だったと言える。

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2025年、「ストリートアートの進化と革命 展」記者会見に出席した堂本剛(ENDLICHERI☆ENDLICHERI)(C)SANKEI

派手さを削ぎ落とした音が残したもの

この曲の最大の特徴は、圧倒的に“静か”であることだ。大きな盛り上がりや劇的な展開はなく、サウンドは終始抑制されている。編曲を手がけた十川知司とENDLICHERI☆ENDLICHERI自身による音作りは、余白を大切にし、音数を必要以上に増やさない。

その結果、リスナーの耳に残るのは、音そのもの以上に“呼吸”や“間”だ。声もまた、強く押し出すのではなく、感情を内側に抱えたままそっと差し出される。

聴いているうちに、自分自身の記憶や感情が勝手に浮かび上がってくる。そんな不思議な作用を持つ楽曲だった。

桜に重ねてしまう、人の記憶

『ソメイヨシノ』というタイトルが示す通り、この曲のモチーフは日本人にとって特別な存在である桜だ。桜は毎年同じように咲くが、見る人の状況や心境によって、まったく違う意味を帯びる。

堂本剛は、年齢を重ねる中で、親の老い、自分自身の時間の流れと向き合う瞬間が増えていったという。そんな中、母親と桜を見に行った際に交わされた、何気ない一言。その言葉と、桜を見つめる背中をきっかけに、「人は桜に、大切な誰かや、失われていく時間を重ねているのではないか」と感じた。

桜を見て美しいと思うと同時に、少しだけ苦しくなる。その相反する感情こそが、『ソメイヨシノ』の根底に流れている。

“春の定番”にならなかった理由

この曲は、ランキング初登場1位を飾ったとはいえ、いわゆる春ソングとして毎年大量に流れるタイプの楽曲ではなかった。だがそれは、この曲が“弱かった”からではない。むしろ逆だ。

日常の中でふと立ち止まった瞬間にだけ、静かに染み込んでくる強さを持っていたからこそ、消費されることなく残り続けている。桜が満開のときではなく、散り始めた頃や、少し肌寒い夕方にこそ似合う。そんな距離感が、この曲を特別な場所に置いている。

春が来るたび、思い出してしまう歌

20年が経った今も、『ソメイヨシノ』は変わらずそこにある。毎年春が巡ってきて、何気なく桜を見上げた瞬間、不意に思い出す人がいる。

会えなくなった誰か、戻れない時間、あるいは過去の自分自身。この曲は、それらを無理に肯定もしなければ、答えを与えることもしない。

ただ、「そう感じてしまう自分」を、そのまま受け止めてくれる。桜が毎年咲くように、感情もまた、季節とともに繰り返される。『ソメイヨシノ』は、そのことを静かに思い出させてくれる、20年前の春の記録なのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。