1. トップ
  2. 【インタビュー】磐田退団後に妻が涙…DF小川大貴がJ3松本山雅FCで家族と始めた再出発「辞めたらパパは何をするの」

【インタビュー】磐田退団後に妻が涙…DF小川大貴がJ3松本山雅FCで家族と始めた再出発「辞めたらパパは何をするの」

  • 2025.11.28

小川大貴には忘れられない試合がある。

J2ジュビロ磐田でのラストシーズンとなった2024年に行われた第104回天皇杯2回戦のJ3テゲバジャーロ宮崎戦だ。

なぜ小川はその試合を忘れられないのか。なぜ下部組織時代を含めて約17年間を過ごした愛するクラブを去ったのか。

一時は引退も考えた。それでも今季より完全移籍したJ3松本山雅FCで、家族とともに再び歩み出した。

(取材・文・構成 浅野凜太郎)

磐田での存在意義を見失ったあの試合

サックスブルーに染まった磐田のゴール裏から怒号が飛んだ。ふがいない試合をしたからだ。

「リーグ戦とは違ったメンバーで、試合に向けて1週間の準備をしていく中、決してうまくいきませんでした。ただ、その中で自分が最年長のベテランとして、チームの意欲を高め、慣れないメンバーでどのように戦うかすごく試行錯誤をして臨んだ試合でした。でもいい方向には向かわず、試合にも敗れ、ゴール裏を中心に咤激励をいただくというふがいない試合でした」

10月16日に34歳の誕生日を迎えた小川が唇をかみしめながら振り返った試合とは、昨年に行われた天皇杯2回戦の宮崎戦だ。

磐田の背番号5はホームのヤマハスタジアムでキャプテンマークを巻き、左サイドバックで出場。下位カテゴリーの宮崎に対して主導権を握りたかったが、苦戦を強いられたイレブンは1-2で敗戦した。

画像: 磐田で長年プレーした小川(C)Getty Images
磐田で長年プレーした小川(C)Getty Images

試合終了後、小川の頭の中には「いまの自分はジュビロに必要ないのではないか」「このエンブレムを背負う資格はあるのか」と、複雑な思いが駆け巡っていた。

小川は「表現が難しい」と前置きした上で、慎重に言葉をつむいだ。

「それまでの僕は試合に出ていなくても、チームが勝てば素直にうれしかった。自分と同じポジションの選手が得点を決めて活躍して、自分が出られる可能性がどんどん薄くなったとしても、決してその選手やチームに対して、ネガティブな思いは抱きませんでした。それはジュビロへの愛からです。

ジュビロが勝ってくれればそれで良かった。でもその試合をきっかけに、そう思えなくなってしまった。それ以降のリーグ戦でも、チームの勝利に対して純粋な気持ちを持てなくなってしまいました」

画像: 磐田サポーター(C)Getty Images
磐田サポーター(C)Getty Images

ふがいない試合、貢献できなかった自分、サポーターのリアルな反応。様々な葛藤を胸にゴール裏に頭を下げた。しかし小川の心は晴れず。

磐田の背番号5はこの試合をきっかけに自身の存在意義を疑い始めた。その葛藤は、磐田にキャリアを捧げてきた男にしか分からない。

酸いも甘いも味わった愛する磐田でのキャリア

磐田の愛を最優先にしてきたキャリアだった。

小川は静岡県富士市で育ち、同級生をぐんぐんと追い越していくスピード感あふれるプレーで静岡東部で名を馳せ、小学6年次にはACNジュビロ沼津の練習に参加した。

「実は小学校6年生の半分以上をジュニアユースで練習していました。静岡県で行われた世界大会に出場していたときに、たまたまそれを観に来ていたジュビロのジュニアユースのスタッフが『あの子いいじゃん』と声をかけてくれた。そこからだんだんとご縁があり、セレクションを受けてジュニアユースに入ることが決まりました」

その後順調にジュビロ磐田U-18に進んだが、プロへの道は険しくトップチーム昇格は果たせず。それでも磐田でプロになる夢を抱いた小川は、2010年に強豪明治大へと進学した。

画像1: (C)Getty Images
(C)Getty Images

「怖い先輩だった」

明治大の後輩が明かした小川のイメージだ。誰にでも気兼ねなく接し、人一倍家族想いの小川とは思えない証言だが、当の本人は照れ笑いを浮かべながら当時を振り返った。

「めちゃくちゃ怖かったと思いますよ。あのときはジュビロに戻ることだけを考えていた。だからそのためにはどうしたらいいか逆算して行動していた結果、怖い先輩になるという結論になったんです。

大学で試合に出て活躍しなければ、プロには近づけないし、そもそもチームが優勝争いをしていないといけない。常に高いレベルで戦っていかないと、チャンスがこないと考えていました。そのためには、まずは強い集団を作っていくしかない。大学生にはいろいろな誘惑が潜んでいるから、チームとしてより強くなるために、あえて怖い先輩を選択したんです」とニヤリと笑った。

明治大は小川の思惑通りの強さを誇った。2011年には関東大学リーグ準優勝、全日本大学サッカー選手権大会準優勝。2012年には関東大学リーグ準優勝と、タイトルこそ勝ち取れなかったが、全日本大学選抜にも選ばれるほどの選手となった小川は、主将を務めた大学3年次に磐田からのオファーを見事につかんだ。

画像2: (C)Getty Images
(C)Getty Images

磐田のために捧げてきた4年間が報われた。

ルーキーとなった小川は、開幕初年度はリーグ戦4試合に出場。そこから年々出場時間を増やしていき、2021年のJ2優勝にも貢献。爆発的なスプリント能力と戦術理解力で中心選手となり、公式戦237試合に出場した。

ただ、決して順風満帆のキャリアではなかった。

2016年には右ひざ前十字じん帯損傷と半月板損傷。その後も右大腿二頭筋肉離れや右足関節外側じん帯損傷と、度重なるケガに悩まされた。いまでは克服しているが、何度もオーバートレーニング症候群も発症してきた。

「決して満足できるキャリアではないですし、僕はプロに入ってから約4年くらいはケガなどでサッカーをできていない。やっぱりそれ(負傷など)がなければ、もっと上のレベルにいけたかもしれないと思うときがあります」と、心が折れそうになる日々を過ごした。

画像1: (写真 松本山雅FC)
(写真 松本山雅FC)

それでも34歳までキャリアを続けられた理由は、周囲のサポートがあってこそだという。

小川は2015年に明治大時代から交際していた彩花さんと結婚。翌年には待望の第一子を迎え、さらに2017年には女の子を家族に迎えた。

「(オーバートレーニング症候群のときは)うつみたいな感じで、やる気がなくなっていた。その中でも、妻が二人の子どもを見ながら懸命にサポートしてくれました。スプリントコーチの方にもお世話になり、負傷後に足が速くなったこともあった。人として成長させてくれるいい機会でしたし、人生に幅を持たせてくれたのは、あのケガがあったからだと思っています」

酸いも甘いも経験した磐田でのプロ生活だ。

だが、愛するクラブでの日々は、11年目となった昨季の“あの試合”をきっかけにして終わりを告げた。

家族と離れたキャリア初の期限付き移籍

宮崎戦後、小川の中でクラブを離れる気持ちは固まっていた。

2024年シーズンにおける磐田でのリーグ戦出場は3試合に留まった。また、クラブの中でも33歳とベテランの域に達していた男はこの年が契約最終年。

「正直、ジュビロで引退することをイメージしていましたし、ジュビロでキャリアを終えることができれば一番いいと思っていました」と、キャリアの着地点についても考え始めていたときに臨んだあの試合。

小川は同試合をきっかけに、シーズン途中でJ2ジェフユナイテッド千葉への期限付き移籍を決断。ベテランにとって初めての移籍だった。

千葉への移籍リリースは7月8日に出され、小川からは「いま伝えるべきことではないかもしれませんが、僕はジュビロ磐田というクラブが大好きです。そしてこれからもその気持ちは変わりません」と、チームへの想いが伝えられた。

画像: 初めての移籍となった千葉でプレーする小川(写真 浅野凜太郎)
初めての移籍となった千葉でプレーする小川(写真 浅野凜太郎)

サックスブルーの生え抜きは、このとき既にクラブとの別れを覚悟していた。

「あの状況で契約年数も残り半年だったので、ジュビロに帰ってくることは不可能だと確信していました。だからあの発言になった。もちろん、僕にとっても出ていくことは簡単な判断ではなかった。だからこそ、しっかりと覚悟を持って行きたいという想いを込めて書きました」

このとき妻の彩花さんとの間には第三子が誕生したばかりだった。それでも小川は愛する家族を磐田に残し、単身で千葉へ渡る決断をした。

「正直、ジュビロ一筋で終わりたかった。あの試合がなければ、この夏にジェフから(オファーが)きても、行かないという判断をしていました」と断言するほどだ。

画像: (写真 浅野凜太郎)
(写真 浅野凜太郎)

去り行く仲間たちを11年間見送る立場だった男が、「こんな感じで移籍って決まるんだ」とついに見送られる側になった。家族や友人、そして明治大時代の先輩であり、磐田でもともにプレーした山田大紀(ひろき)さんにも片道切符の可能性を告げていた。

「もう戻ることは無理だろう」

断たれてしまったワンクラブマンの称号。新しい環境に飛び込むことが苦手と話す小川は、移籍に抵抗もあった。

しかし、抱えていた不安は杞憂で終わった。

「(千葉への移籍は)すごくいい経験でした。人間関係や新しい環境になじむことは、そんなに難しいことじゃないと知れた。サポーターのみなさんも熱く鼓舞してくれましたし、ジェフに移籍してからすぐに試合に出られたことも含めていいチャレンジでした」

千葉には約半年間の在籍でリーグ戦13試合に出場。シーズン途中にはJリーグ通算200試合出場を達成し、記念セレモニーには磐田から家族も駆け付けた。

実りある期限付き移籍となった一方で、目標としていたJ1復帰は果たせず。シーズン終了後に千葉からのオファーはなく、磐田からは覚悟していた契約満了通知が届いた。

下部組織時代を含めて17年間過ごした磐田でのキャリアが終わり、小川の進退についての家族会議が行われた。

現役続行か引退か…妻が涙した家族会議

昨年限りで、磐田のバンディエラとして公式戦336試合に出場した山田さんが引退。その後、山田さんは磐田のCRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)に就任し、クラブの内部に入った。小川もその後に続く可能性があったという。

「正直、一人で千葉にいた間は『もう今年でサッカーを辞めよう』と思っていました。僕自身、まだやれるという思いは正直ありながらも、ひと区切りをつけてジュビロのクラブスタッフに回り、チームを支える側になろうかと悩んでいました」

小川と山田さんは特別な関係にある。2023年夏には、同年限りでの引退を検討していた山田さんからの相談を受けた。

本人の葛藤を誰よりも理解していたからこそ、小川は直接的な言葉では引き止めなかったが、「もしもまだやれる可能性を見いだせるのであれば、そこからでも(引退は)遅くないんじゃないですか」と素直な想いを伝えた。

その後、山田さんは2024年まで現役を続行。「一番そばにいた存在だった。最後の1年は覚悟のある、終わりが見えているような1年でしたが、僕はすごく楽しかった」と、磐田は2024年に二人の功労者と別れを告げた。

画像: 昨季限りで現役引退した山田さん(C)Getty Images
昨季限りで現役引退した山田さん(C)Getty Images

二人の立場が逆になった。

今度は小川が現役続行に悩み、山田さんからは「まだできるだろう」と言葉をもらった。

そして家族会議が開かれた。

現役続行か、引退か。あらゆる選択肢を模索していた小川は、自身の現状をありのまま彩花さんに伝えた。

「いくつかのクラブからオファーをいただいて、その中でちゃんと自分のことを細かく分析して評価してくれるところへ行きたいと思っていたところ、山雅が明確なオファーをくれました。

ただ、選択肢が並んだ状況で、どこか別のクラブに行くかもしれないし、客観的に魅力を感じないのであれば引退するかもしれない。もしかしたら山雅以外のクラブに単身で移籍する可能性もあるということを、妻に話しました」

画像2: (写真 松本山雅FC)
(写真 松本山雅FC)

そのとき、妻の彩花さんが泣き出した。小川は困惑したという。

「ジュビロにいた間にも、いろいろなオファーをいただきました。その中で『もしかしたら移籍かな?』なんていう話をしたときもあって、そのとき妻は『いいね、どこのマンションに住もうかな』となるくらい行動力がある方なんです。

だから『簡単に引退と口にしたのが悪かったかな』と思い、妻に泣いた理由を聞いた。そしたら『もう単身は無理!』って。『そっち!?』となりました(笑)。妻からは、サッカーを辞めるとかどうでもいいけど、これ以上の単身赴任は無理と言われました」

第三子を授かったばかりだった小川家。彩花さんは千葉に期限付き移籍した夫を支えようと、習い事や送り迎えを含む家事全般でサポート。

もちろん小川もその苦労を知っていたが、彩花さんは初めての移籍先で奮闘する夫の負担にならないように努めていた。また、彩花さんは三人の子どもたちの世話に追われていた中で時間を作り、月に一度は千葉へ駆け付けていた。

画像3: (写真 松本山雅FC)
(写真 松本山雅FC)

学生時代からともに歩んできた妻の涙が、松本移籍を後押しした。

「本当にいろいろな感謝の気持ちや、千葉時代での申し訳ない思いが重なりました。半年間千葉に行っていて、生まれたばかりの赤ちゃんと会えないこともつらかった。僕はすごく家族が大好きで、家族といる時間が自分のモチベーションやパフォーマンスにもつながると思っている。いま考えると、家族で千葉に行けば良かったです。だからその後、『家族みんなで松本に行こう』と僕は山雅に行くことを決めました」

涙の家族会議の末にたどり着いた、小川家全員で松本に住むという決断。

はじめての移籍や家族と離れた単身生活、試合に出場して活躍できる経験をしていたからこその選択だ。

「千葉での自分のパフォーマンスを客観的に見たときに、まだまだやれるという思いが強かった。もちろん、一つのクラブにこだわることも重要ですが、新たな環境の中でプレーすることも決して悪いことではないと思い、僕は移籍を決めました」

愛息が感じ取っている引退の兆候

家族とともに移り住んだ松本では、雄大な自然に囲まれながら新しい挑戦を始めている。

「松本はすごく住みやすい。地域全体が子どもに対して優しいですし、社会保障やいろいろな制度も充実している。子どもたちも楽しく学校生活を送っています。

サポーターの方も熱いですし、最初の新体制発表のときから、ものすごい熱気に包まれた。僕は2クラブしか経験したことがないですが、熱量が素晴らしいクラブだと思いました」

新たな背番号24を背負う松本では、ここまでリーグ戦30試合に出場。これまでの経験をチームに還元している一方で、自身のプレーには満足していない。

「安定したパフォーマンスを出し続けることが自分の良さだと思っていますが、年齢を重ねていく中で今年はそれができにくくなっているというのが正直なところ。

疲労感や次の試合でフレッシュな状態に持っていくことも難しくなっている。そこからの判断ミスも増えていて、『自分らしくない…』と思うことが以前より増えましたね」

画像4: (写真 松本山雅FC)
(写真 松本山雅FC)

昨季の松本はJ2昇格プレーオフ(PO)決勝で当時J3カターレ富山に2-2で引き分け、年間順位の差でJ2復帰を逃した。今季はその雪辱を果たしたかったが、クラブはここまでJ3第37節を終えた時点で15位(全20チーム)。J3残留は達成したが、J2復帰の可能性は消滅した。

「まだまだ『自分には…』と思っている選手もいるのかなとは思う。一人、一人がこれまでの成功体験や技術を自信に結び付けて、もっと堂々とプレーできるようになるべきだと思います。いいものは持っているんだから」と、ベテランはJ3最終盤を戦っている。

新天地で奮闘する小川をサポートしようと、家族はホームでの試合に駆けつける。サッカー選手を目指しているという小学4年の長男は、冷静な着眼点でパパのアドバイザーにもなっている。

「長男は評価もしてくれます。『きょうはパッとしなかったね。らしくないパスミスも多いし、バックパスも多い。でも、あそこのファーストタッチは良かったね』みたいな(笑)。よく観ているなと思います。僕はチャンスネメイクというよりは、一個前の打開するパスとかが得意なので、渋いところを突いてくる」

画像3: (C)Getty Images
(C)Getty Images

まさに総力戦。緑のユニフォームに身を包んだ小川は、熱く応援し続けるファン・サポーターや、愛する家族の声をエネルギーにして闘っている。

松本でサッカーへの情熱が再燃中だ。34歳はさらなる上達や活躍を渇望している。

一方で、的確なアドバイスをしてくれる長男は、子どもながらにパパがスパイクを脱ぐ瞬間をイメージしているようだ。

「最近、一緒に銭湯へ行ったんですけど、『ママに内緒でアイスを買ってやる』とか言いながら話していたんです。そしたら長男が『サッカーを辞めたらパパは何をするの?』と聞いてきました。

僕はそんなに引退を意識しているわけではないし、まだムチを打ってでもやりたいと思っていましたが、『辞めても、ちゃんと稼いでね』と引退する文脈でした。息子は、僕のパフォーマンスや日ごろの疲労度とかを感じ取っていて、もうそろそろだと思っているんでしょうね」

画像5: (写真 松本山雅FC)
(写真 松本山雅FC)

ピッチ内外にわたり34歳の挑戦は続いている。

小川は2022年に山田さんとともに、困窮家庭の子どもたちに様々な支援を届けるため一般社団法人ReFrameを設立。その後2024年に活動を本格的に拡大させていくために、NPO法人ReFrameを設立した。

現在は法人で物件を購入し、常設かつ多機能型子ども食堂の設立や、浜松を中心とした子どもを取り巻く課題解決に取り組む団体を後方支援するための”浜松こども基金”の設立を行っている。

小川にいまの目標を尋ねると、「松本山雅をいるべき場所に戻すこと。山雅への入団が決まり、まずは昨年悔しい想いをしたこのクラブをJ2という舞台に戻さなければいけないと強く思いました。アウェイでもホームのような空気を作り出してくれるサポーターは他にはいません。そのサポーターの期待に応えるために戦うのみです」と力強い言葉が返ってきた。

磐田を去り、新天地に身を置いた小川には新たな夢もできた。

「ジュビロを離れるときに、『自分の次の夢って何だろう?』と考えたときに、やっぱりまたヤマハスタジアムに戻ってくることだと思いました。その夢をかなえることができたらいいなと思いながらプレーしています。いままでどんなときも力強く僕の背中を押し続けてくれた声援を、敵チームとして正面から受け止めてみたいですね」

たとえ離れ離れになったとしても、愛する気持ちは変わらない。

「モチベーションがある限り、いまみたいにボールを追いかけ続けたい」と、小川は再びサイドを駆け上がる。

元記事で読む
の記事をもっとみる