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オスカルの運命は?心臓病で引退を余儀なくされたスター選手5名

  • 2025.11.18

先日、サンパウロに所属している元ブラジル代表MFオスカルが心臓発作によって倒れたことが大きなニュースとなった。

チェルシーや上海上港などで活躍したオスカルは、新たなシーズンに向けてのメディカルチェックでエアロバイクを漕いでいたところ、体調不良を訴えて地面に倒れてしまったとのこと。命に別状はなかったものの、これによって選手としてのキャリアは絶たれてしまったと伝えられている。

今回は『Vanguard』から「心臓の疾患によって引退を余儀なくされてしまった名選手たち」をご紹介する。

セルヒオ・アグエロ

画像1: (C)Getty Images
(C)Getty Images

所属したクラブ:アトレティコ・マドリー、マンチェスター・シティ、バルセロナなど

世界でも最も優れた点取り屋の一人であったセルヒオ・アグエロ。リオネル・メッシの親友であることでも知られている。

マンチェスター・シティでのキャリアを終えた2021年夏、彼はバルセロナへの移籍を決断。メッシと入れ替わる形での加入にはなったが、新天地での活躍に期待が持たれていた。

ただ、それからわずかな試合に出場したあと、アラベス戦の途中に体調不良を訴えて交代。その後の検査で不整脈の問題が明らかになり、現役引退を余儀なくされた。

その影響によって2022年ワールドカップへの出場は不可能となったが、アルゼンチン代表が優勝したときには非公式サポーターとして同行しており、かつてのチームメイトとともにピッチで喜びを共有していた。

イケル・カシージャス

画像2: (C)Getty Images
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所属したクラブ:レアル・マドリー、ポルト

スペイン代表として長く活躍したイケル・カシージャス。レアル・マドリーの伝説的なゴールキーパーとしても知られ、世界屈指のショットストッパーとして一時代を築いた名選手だ。

愛するレアル・マドリーを去った後はポルトガルの名門ポルトでプレーしていたが、2019年にはトレーニング中の心臓発作によって倒れてしまい、病院に運ばれた。幸いにして命に別状はなかったものの、長い経過観察が必要になった。

そして2020年夏にはポルトとの契約が満了となり、それをキッカケとして現役引退を表明。後に古巣のレアル・マドリーに復帰してアドバイザーや財団の副会長を務めつつ、メディアで解説者として精力的に活動している。

リリアン・テュラム

画像3: (C)Getty Images
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所属したクラブ:モナコ、パルマ、ユヴェントス、バルセロナ

マルクス・テュラム、ケフラン・テュラムの父親である名ディフェンダー。現役時代は世界屈指のクラブで中心的な役割を果たし、センターバックでもサイドバックでもプレーできる知的な選手として知られた。

EURO2008を終えたあと、バルセロナからパリ・サンジェルマンへと移籍するはずだったが、メディカルチェックで「心臓の奇形がある」という診断結果が出たことにより、その取引はキャンセルされた。

彼の兄が心臓の病気によって急死していたこともあり、ティラムは家族を安心させるために現役引退を決断。まだまだ現役でプレーできる能力を示していた中、健康を優先してスパイクを脱いだ。

その後はユニセフの大使を務めたり、人種差別反対の啓発を支援するための財団を設立したり、政治的な活動を積極的に行っている。

ファブリス・ムアンバ

画像4: (C)Getty Images
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所属したクラブ:アーセナル、バーミンガム・シティ、ボルトン・ワンダラーズなど

イングランド・プレミアリーグでもプレーした元イングランドU-21代表のボランチであったファブリス・ムアンバ。彼が心臓発作に見舞われたのは2012年の3月に行われたFAカップ準々決勝のさなかであった。

前半42分に突如ピッチに倒れ込んだとき、彼の心臓はすでに動いていなかったという。すぐに心臓マッサージやAEDによる蘇生措置が行われたあと、救急車で病院へと運ばれていった。

試合の2日後にようやく意識を取り戻し、必死のリハビリによって回復。一時は現役復帰を目指すとも伝えられていたが、ドクターの勧めもあって8月には現役引退を宣言することになった。

引退後はスポーツジャーナリズムを学びながら指導者としての活動も行っており、現在はバーンリーのアカデミーコーチを務めつつ、イングランドプロサッカー選手組合でプレーヤーのサポートを行っている。

ルーベン・デ・ラ・レー

画像5: (C)Getty Images
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レアル・マドリーの下部組織で目覚ましい活躍を見せ、2004年にはトップチームでもデビューを果たしたルーベン・デ・ラ・レー。2007年にはヘタフェへと移籍し、そこでの活躍によりスペイン代表にも招集された。

注目を集めた彼はわずか1年でレアル・マドリーへと買い戻されたが、2008年10月末のカップ戦で突如意識を失ってしまい、病院へと運ばれることになった。

それから経過を観察するために1年以上ピッチから離れることになり、2010年11月に現役引退を発表。天才選手と称されたデ・ラ・レーは、わずか25歳でスパイクを脱ぐことを余儀なくされた。

その後はレアル・マドリーのスタッフとして働き、2015年からは指導者としてヘタフェ、広州恒大、アル・ナスルの育成年代を担当。現在は5部を戦うラシン・マドリーで監督を務めている。

※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。

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