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80年代、25万枚売り上げた“二つの顔のヒロイン” カバー曲がヒットしたワケ

  • 2025.12.26

「39年前のあの冬、どんな“夜の気配”を覚えてる?」

1986年の始まりは、どこか冷たくて、静かで、だけど妙にざわざわした空気に満ちていた。街の照明は明るいのに、心の奥では何かが揺れ続けるような、そんな時代の匂いがあった。

当時のテレビでは、優等生の少女が突然“もう一つの自分”と向き合う衝撃的なドラマが放送され、夕方の放課後を生きる若者たちの間で大きな話題となっていた。二重人格というテーマはまだ珍しく、その“スリルと切なさの混ざり合い”が、どこか時代の不安ともリンクしていた。そんなドラマの幕を開けたのがこの曲だ。

椎名恵『今夜はANGEL』(日本語詞:椎名恵・補作詞:三浦徳子・作曲:Jim Steinman)――1986年1月1日発売

フジテレビ系ドラマ『ヤヌスの鏡』の主題歌として放たれ、25万枚以上のセールスを記録した彼女のデビューシングル。もとは映画『Streets of Fire』の主題歌『Tonight Is What It Means to Be Young』のカバーで、そのダイナミックな世界観を日本語のポップスへと再構築した作品だ。

夜の街に漂った“切なさと疾走感”

『今夜はANGEL』の最大の魅力は、その夜の空気を一瞬で変えてしまうようなスケールの大きさにある。オリジナルのジム・スタインマンらしい劇的なメロディに、椎名恵のまっすぐで芯のあるボーカルが重なると、切なさと力強さが共存する独特のムードが生まれる。

編曲を手がけた戸塚修は、壮大なサウンドを当時の日本の歌謡曲にうまく着地させ、煌めきと力強いビートのバランスで“ドラマ主題歌らしい存在感”を与えていた。

驚くほどドラマと呼吸が合っていて、物語が持つ暗さやスリルを浮かび上がらせながらも、どこか救いのような光を差し込んでいた。

“二つの顔のドラマ”が生んだ共鳴

ドラマ『ヤヌスの鏡』は、杉浦幸が演じる清楚な優等生・裕美と、夜に現れる攻撃的なもうひとりの自分・ユミという、当時としては挑戦的な設定が人気を集めた作品だった。

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ドラマ『ヤヌスの鏡』で主演をつとめた杉浦幸-1986年撮影(C)SANKEI

視聴者は、日中と夜で表情を変えるヒロインの姿に強烈に引き込まれ、彼女が揺れ動くたびに、画面から流れる『今夜はANGEL』が物語の輪郭をなぞっていった。

誰もが胸の奥に抱えていた“言葉にできない別の顔”が、この曲を通してそっと肯定されているように感じられたのだ。

80年代の空気を閉じ込めた、“青春ドラマの香り”

1986年のあの空気は、今振り返るとどこか甘くて、少しだけ不安で、でも確かに熱を帯びていた。『今夜はANGEL』は、その時代の夜の街に漂っていたまっすぐ走り抜けたい気持ちと、誰にも言えない感情が胸に渦巻く感覚を、たった数分の音楽に閉じ込めている。

ドラマの記憶とともに鮮やかによみがえる、忘れられない一曲。今聴いても、あの頃のテレビの光や、ヒロインの揺れる瞳の奥にあった葛藤がすっと立ち上がる。

80年代の歌は、ただ懐かしいだけではなく、時代が遠ざかってもどこかで自分の記憶と静かに繋がり続けている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。