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「女に生まれ変わりたい」… 男性の “嘆き” を女性らがフルボッコ  活発化する《男女論争》、 本当に “生きづらい” のはどちらか

  • 2025.10.19
男性と女性、本当につらいのはどちらか ※画像はイメージです
男性と女性、本当につらいのはどちらか ※画像はイメージです

X(旧ツイッター)で年々議論が活発化している、ジェンダーをめぐる問題。さまざまな議論を内包する大テーマと言えるのが、「結局、男性と女性のどちらが現代社会で生きやすい(生きづらい)のか」です。2025年10月にもある男性ユーザーが「男の人生がつら過ぎる。1000万円払ってでも女に生まれ変わりたい」と投稿。男女それぞれの立場からの共感や反論を引き出し、大規模な議論に発展する契機となりました。

男性の主張に、すぐさま寄せられた女性らの反論

投稿者は「なぜ男ばかり戦わなければならないのか。もう疲れた」と自身の性別に基づく“つらさ”を吐露。大金という代償を払ってでも女性になりたい、女性の方が生きやすいと訴えています。

これに対しては、すぐさま女性側からの反論が多数。例えば「生理のときは頭痛と嘔吐(おうと)で丸2日も泣き続けることもある。女には女の地獄がある」と、女性特有の身体的な苦痛を具体的に訴えるもの。また「『女なら男に守ってもらえる』という思考では、女性に転換できても幸せにはなれない」と、女性の人生も決して楽ではないと論じるもの。ほか、妊娠や孤立出産のリスクを挙げる意見もありました。

投稿者は後日、女性の大変さも理解したと自省しつつ「ただ男は結果を出せなければ無価値。負けたら人権はない」と、男性が負う社会的プレッシャーを強調。さらに「男は『社会での価値証明の戦い』、女は『人間関係で愛され続けなければならない戦い』」と、両性にとっての“戦う領域”が異なるとまとめています。

男性と女性、“本当につらい”のはどちらなのか

X上で繰り返し議論されてきたこのテーマ。その過程では、統計や進化論的な視点も提示され多角化していきました。全体として、男性の生きづらさは「社会的評価や経済的負担」、女性の生きづらさは「身体的負担やジェンダーギャップ」を根拠とする傾向があります。

男性側の立場に見られるのは、「男性の生きづらさを作り出しているのは女性たちだ。女性は、格上男性には親密性や性行為などの報酬を与え、格下男性には“塩対応”などの罰を与えるからだ」「生存戦略上、女性は男性の苦しみに同情しづらい本能がある。弱いオスが淘汰(とうた)されることはメスにとってメリットがあるからだ」という進化論的な分析。

また、「男性が生きづらいと訴えても自己責任とされ、女性が訴えれば共感が集まる不均衡がある」と、自殺率の男女差などを挙げて社会の偏りを批判する声、また「自身の有利な点に無自覚なまま、男性に対する不満を言い募るばかり」と、女性が自身の“生きやすさ”に無自覚だという主張も上がりました。

一方、女性たちによる自身の生きづらさを主張する投稿も活発です。先に挙げた生理の例のほか、「痴漢や盗撮の被害、職差別など日常的な性差別がある」。また「ジェンダーギャップ指数が世界118位」という統計を根拠に、日本社会における女性の不利を訴える意見が多数を見られました。

中立的な意見も目立ち、「世間の平均で見れば女の方が生きやすい(幸福度、自殺率、生涯における経済負担など)。ただバリバリ仕事したい、才能があり努力をいとわない上位5%なら男の方が生きやすい」と、性別だけでなく能力と組み合わせた分析や、「男は『論理への過信』と『過剰な抽象化』、女は『感受性の過剰』と『瑣末主義』」と、両性の特性を風刺的にまとめる投稿も。「現代の生きづらさの原因は『男女が競い合うこと』そのものにある」「経済的自立の強制が両性に悪影響を及ぼしている」と、社会構造を問題視する意見も少なくありませんでした。

自身のつらさは、相手を攻撃するための武器ではない

X上での議論における最大の特徴は、男女双方が自身の性別に基づく“生きづらさ”を強く主張し合っている点。それにより相手の立場への共感や理解が不足し、平行線をたどるばかりか対立や憎悪感情がいっそう増してているのが現状です。

女性側の主張には、生理や出産の肉体的負担といった、男性には決して体験できないつらさを強調する傾向があります。それは時に、相手の反論を封じるための“錦の御旗”として利用され、真の相互理解を妨げかねない危うさがあります。一方で男性側は、社会的プレッシャーや経済的評価の重要性を論理的に展開する傾向がありますが、その理屈が女性側に十分理解されていない側面が否定できません。

それぞれにそれぞれのつらさがあるのは間違いありませんが、現代社会においては「女性活躍推進」などの名目で女性のみに寄り添う政策や施策が展開され、多額の公金が投入されている現実があるのも確か。年間の自殺者数が圧倒的に男性に多いにもかかわらず、男性の生きづらさに対する公的な関心や支援策は整っているとは言いがたいのがその一例です。

両性の“生きやすさ”を真に追求するためには、政治や社会が女性の苦しみに寄り添うのと同様に、男性が抱える生きづらさにも耳を傾け、政策面での配慮を用意していくべきではないか。それも、行政だけでなく社会全体、そして女性たちも、ともに足並みをそろえていく必要があるでしょう。

議論に求められているのは、相手のつらさを否定せず、加えて自分のつらさを武器にしない姿勢に他なりません。自身のつらさは、相手のつらさを無いものにする免罪符にはなり得ないのです。

(山嵐冬子)

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