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マノロ・ブラニクが語る、王妃マリー・アントワネットへのオマージュと新コレクション

  • 2025.10.2
〈左上から時計回りに〉水色のミュール ヒール9cm ¥214,500 赤いフラットシューズ 参考商品 ブルーのリボンをあしらったピンクのパンプス ヒール7cm ¥214,500 水色のミュール ヒール9cm ¥214,500 ブルーのリボンをあしらったピンクのパンプス ヒール7cm ¥214,500/すべてMANOLO BLAHNIK
〈左上から時計回りに〉水色のミュール ヒール9cm ¥214,500 赤いフラットシューズ 参考商品 ブルーのリボンをあしらったピンクのパンプス ヒール7cm ¥214,500 水色のミュール ヒール9cm ¥214,500 ブルーのリボンをあしらったピンクのパンプス ヒール7cm ¥214,500/すべてMANOLO BLAHNIK

マノロ・ブラニクに、彼が作る靴について話を聞くには細心の注意を要する。なぜなら、インタビューでどれだけ話が弾んでも、めったに靴の話をしてくれないからだ。さらにインタビューに至るまでにも、贈るべき花の種類(「カラーリリーかカサブランカかアジサイ」を指定される)、ロンドンの歴史に名高い建物(ブラニクのお気に入りは、バウハウスの創設者であるヴァルター・グロピウスが設計した、オールドチャーチ・ストリート66番地にある邸宅だ。この家は、彼が初めてオープンした店舗の向かいに位置している)、さらには会話の席で話題となる厳選された写真と、厳しいルールが存在する。写真の多くには、聞くだけで胸躍るような逸話が存在しているが、どれも誌面ではとても取り上げられないものばかりだ。

「私のお気に入りはこれだね」と彼は言い、ダイアナ・ヴリーランドのポートレートを指差す。その手は、白いフェルトの手袋でぴったりと覆われている。自身の作品でも、最も精緻なものに触れるときに、彼はこの手袋を着用する。その白さは、ラベンダー色のダブルブレストのスーツの下に着ている白いタートルネックのトップや、彼の真っ白な髪ともよくマッチしている。

US版『VOGUE』の伝説的な編集長だったヴリーランドは、フットウェアのデザイナーに専念するようブラニクを説得したことで知られる。そのきっかけは、アートとセットデザインの習作として、ブラニクが『真夏の夜の夢』の演出の構想を描いたペン画のスケッチを彼女に見せたことだった。そのスケッチでは『真夏の夜の夢』の登場人物の一人、ヒポリタが、からまる蔦にサクランボをあしらったデザインのハイヒールのサンダルを履いていた。これは1969年の話だ。60年代末の主流だったボヘミアンスタイルが、すべてが過剰でキラキラしたディスコに変わる過渡期にあたり、ブラニクもシーンの中心にいた(ビアンカ・ジャガーが伝説のディスコ、スタジオ54に馬に乗って登場したときに履いていたのも、マノロ・ブラニクのシューズだった)。「私をここまで連れてきてくれたのは彼女です」とブラニクはヴリーランドを称える。彼の言う「ここ」とは、19世紀に作られたロンドンの高級ショッピング街、バーリントン・アーケード近くにあるエレガントな彼のオフィスだ。ここはまさに、半世紀以上にわたり、イギリス発の自身のブランドを率いた末に彼がたどり着いた場所だ。

フリマアプリの「Vinted」で中古品を探す21歳の若者でも、生涯をかけて彼の靴を集めてきた70代のコレクターでも、「マノロ」(あらゆるファッションエディターがこう呼ぶ)のハイブロウな魅力を前にすれば誰もが心をときめかせる。企業のCEO、ロックスター、はたまたスーパークールな令嬢と、どんなモードにもスイッチできる。女性たちが何世代にもわたり、愛用のマノロに抱く感情は、キャリー・ブラッドショーの言葉で端的に言い表されている──「靴のソウルメイト」だ。

そして今日のインタビューの席で数々の逸話を語る、82歳になったマノロ・ブラニクのオーラは、黄金の輝きを帯びている。私たちは、デイヴィッド・ベイリーがコルシカ島で74年に撮影した一枚の写真を見ながら、いつまでも思い出話をした。この写真では、眼鏡をかけたヘルムート・ニュートンとブラニクがディレクターズチェアに座り、ポーズをとっている。出入り口にたたずむアンジェリカ・ヒューストンは、まるで彫刻のような美しさだ。2011年に私が『VOGUE』で働き始めたころには、憧れの(だが同時に恐れてもいた)ファッション・アシスタントたちは、ヴォーグ・ハウスのデスクの上にこの写真のコピーを張っていましたよ──そうブラニクに伝えると、彼は古代ギリシャ劇の合唱隊のように「オー!」という切なげな声を漏らした。

インタビューに同席していたブラニクの右腕である女性は、このタイミングを逃さず、こう呼びかけた。「そろそろマリー・アントワネットについて話しませんか?」。彼女が言っているのは、ソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』(06)のためにブラニクがデザインしたオリジナルピースを下敷きにしたパンプスの限定版コレクションのことだ。そもそも私がブラニクのもとを訪れたのは、このコレクションについて聞くためだった。この秋から、この映画史に残る靴を自分のものにすることができることになる。またこのコレクションは、サラ・グラントのキュレーションのもと、ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)で9月20日から開催中の必見の展覧会『マリー・アントワネット・スタイル』とも連動している。

そう言われて私たちが振り返った目線の先には、ドレッサーがあった。そこにはブラニクのデザインの原型として広く知られる精緻なスケッチや、ハンドメイドの試作品の数々が置かれていた。「この子を持ってみてもいいですか?」と許可を求めた私の声は、まるで近くに眠っている赤ん坊がいるかのようなささやき声だった。「もちろん」とブラニクは応じ、さまざまなディテールについて解説してくれる。「このバックルは18世紀の品で、私がパリで手に入れたものです。そしてこちらは……」と、彼の白手袋をした手がパウダーピンクの「ローハン」に伸びる。「リヨンから取り寄せたヴィンテージのシルクを使っています」とのことだ。淡いピンクの色使いはマリー・アントワネットのメイクをイメージし、青いベルベットの靴ひもは庭の垣根を模したものだという。

ソフィア・コッポラは映画の制作にあたり、歴史作家のアントニア・フレーザーが2001年に著した『マリー・アントワネット』を原作として採用した。一方で、劇中で使われる靴をデザインしたブラニクに対しては、実に的確な指示を与えている──時代考証的な正確性には必ずしもこだわらなくてよいので、好きなようにやっていいと伝えたのだ。この言葉を得て、ブラニクは自身の子ども時代の記憶へと深く潜っていった。具体的には生まれ育ったカナリア諸島の島、ラ・パルマ島での思い出だ。「10歳のころから、私は寝つきが悪いという悩みを抱えていました」と彼は言い、悪夢を見ないようにと母親が物語を読み聞かせしてくれた当時を振り返る。ある晩、母親がマリー・アントワネットについての本を選んだ。そのとたん、ブラニクはオーストリアから10代の若さで嫁いだ、この悲劇のプリンセスの物語に魅了されたという。

それから時を経て、ソフィア・コッポラ監督作品で主役のマリー・アントワネットが履く靴をデザインしたときにも、インスピレーションがあふれ出てきたという。『マリー・アントワネット』では監督がフランス当局から特別な許可を得たことでヴェルサイユ宮殿内での撮影が実現した。撮影期間には、主役を務めるキルスティン・ダンストとノアイユ伯爵夫人を演じたジュディ・デイヴィスのもとには、毎週、マノロ・ブラニクが手掛けた靴が届けられたという。

「私の靴はいわゆる“ファッショナブル”(流行を追っている)なものではありません」とブラニクは語る。「作られた時代が靴にプリントされているわけではないですからね」

気がつくと私は、先ほど手に取ったピンクのパンプスを優しく腕に抱えていた。そのとき、脳裏に浮かんでいたのは、2000年代半ば、コッポラ監督がメガホンを取るヴェルサイユ宮殿の撮影セットにいる自分の姿だ。だが私はすぐに現実に戻り、ブラニクの今の発言について考えた。確かに彼の言うとおりで、最近の私たちが着るものには、この時代を表すタイムスタンプ的なものはまったく押されていない。

それでも新シーズン、特にこの9月に始まったシーズンの楽しさは、リアルなファッションに好きな時代からの要素を盛り込んで、いかに満ち足りたものにしていくか、という点にある。今回のマノロは、ルシラ・サフディのカプリパンツや、着慣れたシャネル(CHANEL)のツイードジャケットと合わせるとよさそうだ──そんなことを考えながら、私は先ほどのローハンをドレッサーに戻した。これはいわば、靴の形を借りた、心臓が止まりそうなほど美しい招待状なのだろう。それを手に取る者は、めまぐるしい時の流れから一瞬、いや数時間でも離れるよう誘われるのだった。

問い合わせ先/ブルーベル・ジャパン 03-5413-1050

photo: Otto Masters Text: Jilia Hobbs Editor: Kyoko Osawa

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