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トリー・バーチの美学が息づく、パリの邸宅

  • 2025.9.29

「これはいまいちね」と、ミーティングルームに入ってきたモデルを見るなり、トリー・バーチの声が響く。モデルが着ているサテンジャケットは、アスレティックなテイストがあるボクシーなシルエットが特徴だ。襟もとからフードにかけて、縁にはハトメ穴が開けられていて、レザーのひもが通されている。トリーのかたわらには、ブランドのアソシエート・クリエイティブ・ディレクターで、トリーにとっては義理の娘でもあるプーキー・バーチが座っている。反対側の隣にいるのは、2020年からトリーとタッグを組んでいるスタイリストのブライアン・モロイだ。2019年にトリーはCEOとしての職務の大部分を夫のピエール・イヴ・ルーセルに引き継ぎ、クリエイティブ面の統括に専念することになった。ブライアンはその直後からの付き合いだ。

このジャケットのサテンの質感は、厚手の絹に模様を織り込んだブロケードに近く、「母親世代のイヴニングドレスのようだ」と、プーキーは辛口の評価を下す。だが、ユニークなひも使いは気に入ったという。一方のトリーは満足できない様子だ。モデルが着替えのために部屋を去ると、トリーはアシスタントに、自身のアーカイブから19世紀に作られたディナージャケット(現在のタキシード)を持ってこさせた。これを自らのデザインチームに研究させたいとの考えからだ。「ディテールに関しては、この時代のものとしては不思議なほどに、現代に通じるアイテムなんです」と彼女は言う。

彼女の率いるブランド、トリー バーチのミーティングでは、このような興味深い過去を深掘りする場面がしばしば見受けられる。トリーは周囲の人たちにさまざまな課題を突きつけるが、逆に自分に対して反対意見があることも容認している。ミーティングに先立って、トリーは前述の会議室と同じビルにあるオフィスで私を迎えてくれた。複数のフロアを占める複合施設で、アトリエやマーケティング目的のショールームなどが並び、私のような訪問者はすぐ迷子になってしまうほど、込み入った広大なスペースだ。

キッチンにたたずむトリー・バーチ。
キッチンにたたずむトリー・バーチ。

トリーと私は、オフィスのソファに収まった。彼女がはいている、クリーム色のパンツの裾からはシルバーのヒールが突き出ている。トップは紫がかったグレイのブレザーの下に、ボタンダウンのシャツを合わせている。彼女は早速、自身の生い立ちを語り始める。母親のリーヴァはもてなしにかけては非の打ち所がなく、柳の枝をテーブルのセンターピースにリメイクし、クリスマスプレゼントとして、自宅で栽培したヘチマの実を乾燥させたものを作るなど、ある意味ではマーサ・スチュワートの先を行くような女性だったという。

ペンシルベニア州のバレーフォージにある築200年のトリーの実家は、ベッドルームが15ある邸宅で、家の中には両親がフリーマーケットやオークションで手に入れたものがところ狭しと並んでいた。50エーカー(20エーヘクタール)もある敷地には、一時はジャーマンシェパード35匹、猫6匹に加え、さまざまな鳥や亀、アヒルが暮らしていたことがあったとのことだ。高い職業倫理は、母譲りのものだと、トリーは語る。「母は私が今まで出会った中で一番多忙な人で、私よりエネルギッシュです」。また、自分で収入を稼ぐように促したのも、母親だったという。ペンシルベニア大学を卒業したのち、ユーゴスラビア出身のデザイナー、ゾランのもとで働いたトリーは、その後、ハーパーズ バザー誌、ラルフ ローレン、ヴェラ・ウォンロエベと、順調にファッション界でのキャリアを築いてきた。そんな中、プライベートでは1996年、成功を収めていたビジネスマンのJ・クリストファー(クリス)・バーチと結婚する。クリスには、以前の結婚でもうけたプーキー、イジー、ルイーサという3人の幼い娘がいて、結婚とともにトリーは、3人の母親役も務めることになった。トリーもその後、クリスとの間に3人の男の子をもうけた。幼い子どもを抱えて仕事を続けるのは、かなりの困難が伴ったという。「女性は難しい判断を迫られるけれど、男性だとそういうことはないですよね」と、トリーは単刀直入に語る。一時は家事や育児に専念したこともあったという。

庭へと向かう階段には、鉢植えのツワブキ、「マーメイド」ラベンダー、サルビアが並ぶ。
庭へと向かう階段には、鉢植えのツワブキ、「マーメイド」ラベンダー、サルビアが並ぶ。

当時のことを彼女は「毎日テニスをしていて、ある意味では最高でした」とポジティブに振り返る。だが、ショートスリーパーを自任する仕事人間の彼女は、すでにさまざまな事業のアイデアをあたためていた。こうして生まれたブランド、トリー バーチは、2004年のローンチ以来、着やすさと洗練を両立させるというコンセプトを掲げ、大邸宅でガーデニングを楽しむ層だけでなく、スーパーに買い物に行く郊外在住の母親たちにも愛されるブランドとなった。創業時から、トリーにはこのブランドに、営利事業にとどまらない、幅広い公益性を持たせたいという思いがあった。「最初期の投資家に『グローバルなライフスタイルブランドを立ち上げ、財団を創設したいです』と告げたことは、一生忘れないでしょう。『二度とそんなことは言ってはいけない』と言われました」と彼女は振り返る(その後、2009年にはトリー バーチ財団が立ち上げられ、これまで女性経営者に200万ドルの支援金を拠出している)。

企業が成長するにつれて、自身のプライベートを仕事と切り離したいという思いは高まっていた。プライバシーを求めるのには切実な事情があった。夫のクリスとの間で離婚に向けた話し合いを進めていたうえに、それが長期化していたからだ(今では友人として良好な関係にあるという)。オフィスでの取材の際、この時期について振り返るトリーの言葉には慎重さが見てとれた。そこには、恵まれた暮らしをしているのに、不満ばかりを述べていると受け取られたくないという気持ちがあるようだ。「私が言いたいのは、この会社を育てるのに、どれだけ大変な努力が必要だったのか、ということです。加えて、女性に課された基準は男性とは大きく異なりますから」だが時代は大きく変わった。女性の起業家に対する社会の見方に加えて、トリーバーチ自体も変化し、2024年には年間18億ドルの売り上げを計上する大きなブランドへと成長した。そして、近年で最大の変化といえば、2018年にトリーがピエール・イヴ・ルーセルと結婚し、さらに2019年にピエールがCEOとしてトリーバーチに入社したことだ。

入り口の通路に置かれた、ルイ15世様式の椅子。張られている生地は、シルクに刺繍を施している。
入り口の通路に置かれた、ルイ15世様式の椅子。張られている生地は、シルクに刺繍を施している。

長身で人目を引くピエールは、以前ニューヨークにあるトリーのオフィスで会った際に、まさか妻と働くことになるとは思わなかったと語っていた。パリで生まれ育ち、金融やコンサルの仕事に従事していたピエールは、その後LVMHに入社。グループを率いるベルナール・アルノーのもとでブランドの買収やクリエイティブ人材のマッチングといった業務を担当してきた。二人はパリのリッツ・ホテルで開かれたビジネスパーソンを対象とする朝食会で出会った。それから1年後、トリーが自身のショーにピエールを招待したことをきっかけに友人関係となり、さらに親しい関係に発展した。結婚式は、二人が歩んできた異なる世界感を融合させた華やかなものとなった。パリでのリハーサル・ディナー、サンジェルマン・デ・プレの市役所での挙式を経て、二人はアンティグア島でも、結婚を祝う宴を行った。その会場には、バーチが改装したことで再び話題となった、元祖ソーシャライトのバニー・メロンが所有していた邸宅が選ばれた。この時点では、二人はニューヨークとパリを往復する生活をしていた。だが当時、まだLVMHで働いていたピエールは、この仕事を辞めて、一度はニューヨークに移り住む決断を下した。「『外部から人を招くくらいなら、僕にやらせてくれないか』と彼女に伝えました」と、ピエールは振り返る。

家は2つのフロアにまたがり、造園家のマディソン・コックスが設計した庭を見下ろしている。アパルトマン自体、もとは教会の一部で、60~70年ほど前に分離されたものと考えられている。
家は2つのフロアにまたがり、造園家のマディソン・コックスが設計した庭を見下ろしている。アパルトマン自体、もとは教会の一部で、60~70年ほど前に分離されたものと考えられている。

ピエールのCEO就任は、「トリッサンス」と呼ばれる、トリー バーチのデザイン刷新の時期とも重なった。具体的には、上品すぎるデザインからの脱却、時に奇抜にも思えるシルエットの採用、よりエッジィな小物使い、ミニマリズムの拡大といったテコ入れが図られた。この変化が、トリーがクリエイティブ面の統括に専念するタイミングで起きたのは、決して偶然ではない。「今のデザイナーはレッテルを貼られ、狭いカテゴリーに押し込められています。でも今求められているのは、そうした枠を超えたものです」とトリーは語る。そして、ピエールとトリーの間に奏でられるハーモニーは、ビジネスへの向き合い方よりも、むしろ人生へのアプローチから生まれているようだ。二人はアート、文学、建築政治、そしてフォーミュラ1と、幅広い領域への関心を共有している(ピエールはF1チームのマクラーレンの取締役を務めており、取材の際にもブラッド・ピット主演の大ヒット映画『F1/エフワン』について、「リアルだが少し上映時間が長い」との評を披露していた)。「私たちの間にファッション以外の話題がなかったら、困ったことになっていたでしょうね」とピエールは語る。

6人がけのダイニングルーム。トリーとインテリアデザインを担当したダニエル・ロムアルデスは、ダイニングルームの壁に、カーブを描く装飾板を追加した。奥の壁にかかっている絵は、アンドリース・ベークマン(1628 - 1664年)作の《バタヴィアの市場》。
6人がけのダイニングルーム。トリーとインテリアデザインを担当したダニエル・ロムアルデスは、ダイニングルームの壁に、カーブを描く装飾板を追加した。奥の壁にかかっている絵は、アンドリース・ベークマン(1628 - 1664年)作の《バタヴィアの市場》。

新生活の拠点はパリのアパルトマン

そして今回、トリーはパリに、自身の新生活の完璧な拠点として、瀟洒な新居を構えることになった。ピエールが人生の大半を過ごしてきたパリに得たこのアパルトマンは、夫妻にとっての本拠地であり、進化を続ける美学を表現する、まっさらなキャンバスでもある。西向きで、どちらからも入退室が可能な2つのフロアと、階段でつながる裏庭からなるこのアパルトマンは、パリの枢機卿が駐在する建物に隣接している。裏庭に立つと、最もよく耳に飛び込んでくる音は、この教会の鐘の響きと、近くの学校で遊んでいる子どもたちの歓声だ。上階から見ると、窓越しに日本原産の楓、マルセイユから運ばれた柑橘類の木、そしてジャスミンやつる性のあじさいで覆われたトレリスが目に入る。トリーが所有するほかの家に比べると、このアパルトマンはよりミニマルなしつらえだ。これまでのトリーの家はめくるめく色彩やさまざまな柄が醸し出す絶妙な調和、ずらりと並んだ中国風の花瓶などを特徴としていた。とはいえ、このパリの家でも、彼女の洗練を極めた折衷主義が光る部分はある。パリのアンティーク・ショップで買い求めたテーブル、蚤の市で見つけた1920年代のラリックのペンダントライト、現代美術家のロミュアルド・アズメ作の仮面の隣に飾られた17世紀のキャンバスなどに、その美学を見てとることができる。

「これは今まで彼女が手がけたインテリアから見ると、新たなアプローチです」。こう語るのは、これまで彼女と多くのプロジェクトを手がけてきた、建築家でインテリアデザイナーのダニエル・ロムアルデスだ(今回はトリーとピエールが、ミラノに拠点を置くスタジオ・ペレガッリ・サルトーリとともに、建築部分の計画を担当。ダニエルはインテリアデザインに専念した)。プロジェクトがスタートした時点では、ダニエルはこの新機軸に不安を覚えたという。「彼女に冗談めかして言ったこともありました『ひょっとすると僕たちは今後、別々の道を行くのかもね』と。でももちろん、プロジェクトが進んでいくと、狙いがわかってきて、最終的にはこれまでのプロジェクトで一番のお気に入りになりました」

トリー・バーチの人生を象徴する品々

室内から庭を望む。
室内から庭を望む。

もちろん、トリーにとって常に大切な要素である、一貫した物語性も健在だ。ベッドのヘッドボードと天蓋を覆うファブリック、ベッドルームのカーテン、ルイ16世様式の椅子に新たに貼られた生地はすべて、歴史あるフランスの織物メーカー、ル マナックのアーカイブでトリー自身が見つけた、18世紀のメンズ物のベストにインスパイアされている。そしてこれは、ベルサイユのプチ・トリアノンに設けられた、ルイ16世の妃だったマリー・アントワネットのアパルトマンへのトリビュートでもある。

しかし、部屋のそこここに置かれた調度品よりも大切なのは、ここが二人の子どもや孫たちが暮らす家だ、ということだ。二人がこれまでの人生で築いてきた家族が集結することについて、「最初に、その点についてはじっくり話し合いました」と、ピエールは振り返る。「関わる者すべてにとって、これは大変な冒険になると感じ、確信しました」──「これ」というのは新居と結婚生活、どちらのことでしょう? と尋ねると、ピエールは両方だと応じ、そのうえで「この家は生活の基礎になります」と答えてくれた。この記事の写真撮影が行われる前日に、私はこの家を訪れる機会を得た。家の敷地に入ると、トリーは私に手を振って迎えてくれたが、非常に忙しい様子だった。何しろ、10のタスクを同時にこなしていたからだ──それも、あくまで物静かに。こうした人の呼び名としては「マルチタスキング」が一般的だが、さらりと複数のタスクをこなすトリーには、この言葉はふさわしくないようにも思える。

現代アーティストのウルス・フィッシャー作のランプ。
現代アーティストのウルス・フィッシャー作のランプ。

インテリアを担当したダニエル・ロムアルデスが到着し、さらにガーデンデザイナーのマディソン・コックスも現れた。マディソンは(予告なしで)昔からの友人を何人か伴っていた。義理の娘という立場でこの家に来ていたプーキーはトリーに「この家には今、ゲストを含めて9人の人がいるが、ディナーテーブルには8つしか席がない」と伝えた。するとトリーは、自分と友人でデザイン・コンサルタントのケイト・マッコロー(デザイナーのジャック・マッコローの姉妹にあたる)が、席を外し、他の場所でご飯を食べてはどうだろう? と提案する。だがこのアイデアは即座に却下され、テーブルには追加で席が設けられた。庭に向かう階段には、大きなテラコッタの鉢に植えられたツワブキ、「マーメイド」ラベンダー、サルビアが並ぶ。「トリーは、自分が好きなもの、嫌いなものについては、とてもしっかりした、鋭い感覚の持ち主です」とマディソンは語る。「この家のカラーパレットは、まさに彼女から生まれたものなんです」

ディナーの用意が整った。「一日中キッチンにいたんですよ」と、トリーは、なんでもないことのように私に語る。もちろん、彼女自身が一日中料理をしていたわけではないが、その役目を担ってくれた人がいたようだ。エアルームトマトのサラダを皮切りに、ステーキ、アスパラガス、薄切りのポテト、赤いクリームソースをかけたタラのムール貝添えが供されたのち、ブルーベリーが入ったフラン風のチーズケーキがこの日のメニューをしめくくった。

17世紀初頭の作者不詳の絵画。かつてトリーの友人のインテリアデザイナー、故ロバート・カイムが所有していたもの。
17世紀初頭の作者不詳の絵画。かつてトリーの友人のインテリアデザイナー、故ロバート・カイムが所有していたもの。

私たちが訪れた日は、一年で昼間が一番長くなる夏至をちょうど過ぎたあたりで、夜の10時近くまで外は明るかった。レトロなハリケーンランプが、ラベンダー色に染まる空をバックに、ごくわずかな光を放つ。すると隣の教会の鐘が鳴り、木の枝に止まっていたハトが飛び立った。「ピエール・イヴはあそこで、自分だけのデザートを楽しんでいますよ」とトリーは言う。ピエールはディナーの終わりに、小石を踏みしめながら庭の反対側に向かい、シガーを一服楽しんでいるようだった。「短いタイプだから」と彼はトリーに呼びかけ、シガーの吸いさしを振って見せた。そして翌日の朝になると、履いてきた靴にシューズカバーをかぶせた撮影クルーが、部屋の間を忙しく行き来し、カメラや三脚を準備していた。それを見ても、トリーに慌てる様子はない。「私はとても落ち着いたタイプなんです」と彼女は言う。確かに今のトリーには、今までの生活と比べて心から楽観的になれる理由がある。「この7、8年のように、仕事に理想的な形で集中できる時間は、それまでの私の人生にはありませんでした」と彼女は振り返る。「とにかくカオスでした。とても素晴らしいカオスでしたが、6人の子どもを育て、事業を軌道に乗せるというカオスです。本当にいっぱいいっぱいでした」

女性をエンパワーメントするクリエイション

リビングルームのデスクに置かれた小さな風景画は、アンドレ・ドラン作の絵画《クレタ島》(1930年頃)。
リビングルームのデスクに置かれた小さな風景画は、アンドレ・ドラン作の絵画《クレタ島》(1930年頃)。

では今後、彼女が注目し、エネルギーを注ぐ対象は何だろうか? もちろん、デザイナーとしての仕事は今後も続く。だが、女性の地位をさらに向上する必要があると、彼女は言葉を選びながら語る。「女性たちは、パワフルで自信に満ちていると感じている一方で、まったくそう思えなくなる場面にも直面しています」と、彼女は言う。例えば、人工知能(AI)は女性に敵対的な視点を持つように作られていると、憤りを込めて彼女は指摘する。おそらくこれも、夜遅くに彼女の頭をよぎる事柄の一つなのだろうと、私は察した。

「彼女は、女性の見た目と気持ち、両方を明るくしたいと考えているんです。それも、日常生活の中で、明るくできたらという強い思いがあります」と、友人で実業家のメロディ・ホブソンは評する。トリー自身は、「自信を揺るがすようなことが、女性の身には数多く起きます」と現状を嘆いている。「女性は一歩下がるようにと言われがちです。私にできることがあるなら、そういうところをただしていきたいです」と語る。数時間にわたる取材で、彼女はこれまでのライフストーリーを語ってくれたが、彼女自身にとっては、振り返るよりも前を向くほうが自然な姿勢のように感じられた。「人生に向き合っていて感じるのは、『このことから私は何を学んだだろう?』ということです」──そんな疑問を持つ彼女は、長年の経験を経ても、いまだに学生のようだ。トリー・バーチには、考え、称賛し、築き上げるべきものが、まだたくさん残されているのだ。

Profile

トリー・バーチ

アメリカ出身のファッションデザイナー。2004年、TORY BURCH(トリー バーチ)を創設。2009年、女性起業家支援のトリー バーチ財団を設立し、慈善活動にも注力。現在はブランドのチーフ・クリエイティブ・オフィサーとして活躍する。

Photos: Francois Halard Text : Chloe Schama Translation: Tomoko Nagasawa Adaptation Editor: Sakura Karugane

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