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35年前、日本中が夢中になった“異色の渋谷系ポップ” 短命すぎる伝説のバンドが生んだ“革命的な青春ソング”

  • 2025.8.27

「35年前の春、街を歩けばどんな音が聴こえていただろう?」

1990年、平成という新しい時代にまだ慣れきれない日本。バブルの光と影が交錯する東京の街角を、軽やかなギターと胸を高鳴らせるメロディが駆け抜けていった。

フリッパーズ・ギター『YOUNG, ALIVE, IN LOVE - 恋とマシンガン -』(作詞・作曲:DOUBLE K.O.corporation)——1990年5月5日発売。

フリッパーズ・ギターの2枚目のシングル。TBS系ドラマ『予備校ブギ』の主題歌として、主演の緒形直人らが描いた青春の空気と絶妙にシンクロしていた。タイトルに込められたスピード感とロマンティックな響きは、当時の若者たちにとってまさに“未来へ走り出すテーマソング”のように響いたのだ。

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ライブコンサートで歌うシンガーソングライターの小沢健二(C)SANKEI

渋谷から生まれた“時代の旗手”

フリッパーズ・ギターは1987年に小山田圭吾と小沢健二らによって結成された「ロリポップ・ソニック」を経て、1989年に改名。海外のギター・ポップをベースにしつつ、映画やファッション、雑誌カルチャーまでを自在に取り込み、“ただの音楽グループ”を超えた存在感を放っていた。やがてその感覚は“渋谷系”と呼ばれるカルチャームーブメントへとつながっていく

作詞・作曲を手がけたDOUBLE K.O.corporationとは、小山田圭吾と小沢健二、2人のクリエイティブ名義。彼らが放った音は、とにかくおしゃれだった。

従来のニューミュージックとは一線を画し、都会的で洗練されながらも、どこかウィットに富んでいる。レコードジャケットや衣装、MVに漂う空気感までもが、“音楽とファッションの境界線を曖昧にする”新しいスタイルだった。

当時の若者にとって、フリッパーズを聴くことは音楽を楽しむ行為以上に、“ライフスタイルの選択”そのものだった。プレイリストではなく価値観を共有する――そんな特別な意味を帯びていたのだ。

疾走するメロディと青春の香り

『YOUNG, ALIVE, IN LOVE - 恋とマシンガン -』の最大の魅力は、そのスピード感と透明感にある。歌声は都会的でありながら、どこか無邪気さを残している。聴けば自然と足取りが軽くなる、そんな“音楽で青春を走らせる”感覚がこの曲には宿っている。

曲全体に漂うキラキラとした瑞々しさは、バブル終盤の“まだ少しだけ未来を信じられた頃”の空気と重なる。恋に、夢に、まだまっすぐ向かえると信じていた青春の一瞬を、音の粒にして閉じ込めたような1曲だった。

短命だからこそ鮮烈だった輝き

フリッパーズ・ギターは1991年に解散と、活動期間はわずか数年に過ぎない。だが、彼らが残した音楽は、その後の日本のポップカルチャーを大きく動かすことになる。

小沢健二はソロとして90年代を代表する存在となり、小山田圭吾はCorneliusとして世界に評価されるアーティストへと進化した。

その2人が肩を並べて作り上げたこのシングルは、のちのキャリアを見渡しても「若さと勢いがすべて詰まった奇跡の瞬間」として光り続けている。

今も鳴り響く“恋とマシンガン”の衝動

ヘッドフォンを通して聴けば、当時の渋谷の街のざわめきや、学生たちの高揚感が蘇るようだ。音楽がただの娯楽ではなく、“生き方や価値観を変えるカルチャー”として広がっていった瞬間が、ここに刻まれている。

短い活動期間にもかかわらず、彼らの音楽はファッション、映画、雑誌カルチャーとリンクしながら今なお語り継がれている。だからこそ、この楽曲を耳にすると、時代を超えて“おしゃれであることの意味”を改めて問いかけられるのだ。

フリッパーズ・ギターの短くも鮮烈な旅路を象徴する1曲。あのときの風を知る世代も、今の若い世代も、耳を傾ければきっと同じように胸が熱くなるはずだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。