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35年前、日本中が腰をグルーヴさせた“情熱の旋律” 異国のリズムが巻き起こした“ダンス革命”

  • 2025.8.18

「平成初期の夏、あなたはどんな音に揺れていた?」

熱気が街を包み、ネオンの光が夜を昼のように照らしていた1990年。ディスコのフロアでは最新の洋楽と邦楽が混ざり合って響き、カラオケはスナックから新しいボックス型施設へと広がり始めていた。そんな中、南米から届いた鮮烈なビートが、瞬く間に日本中を熱狂させる。

石井明美『ランバダ』(日本語詞:麻木かおる・作曲:チコ・デ・オリベイラ)――1990年3月21日発売。

耳に残るアコーディオンの旋律と、腰をくねらせる情熱的なダンスが、日本の音楽シーンに異国の風を吹き込んだ瞬間だった。

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石井明美(1989年11月撮影)(C)SANKEI

ブラジル発祥のリズムが海を越えて

原曲は1981年、ボリビアのフォルクローレ(民族音楽)のグループであるロス・カルカス(Los Kjarkas)による『Llorando se fue』。

この曲を、ブラジルで広まった情熱的で妖艶なペアダンス“ランバダ(Lambada)”のリズムに合わせ、フランスのKaomaが1989年にアレンジしたのが世界的ヒット『Lambada』である。石井明美版は、このKaoma版に日本語詞をつけたカバーだった。

石井明美といえば、デビュー曲『CHA-CHA-CHA』で大ヒットを記録した“都会派ディスコ歌謡”の象徴的存在。彼女の艶やかな声質は、ランバダの持つ情熱と哀愁の両方を引き立て、日本版ならではの魅力を生み出している。

体が勝手に動き出す、圧倒的なダンス感

イントロから響くアコーディオンのフレーズは、聴く者の耳を一瞬で異国へと連れ去る。そこに絡むパーカッションとベースのリズムは、都会の夜景よりも熱帯の夕暮れを想像させ、気づけば体が揺れてしまう――そんな魔力を秘めていた。

石井の歌唱は力強さと色気を絶妙にブレンドし、日本語詞ながらも南米音楽特有の情熱的なリズムに自然に溶け込む。その声はまるで、夏の湿った空気を切り裂く潮風のようで、当時のリスナーにとってはまさに“聴くダンス”だった。

社会現象化した“腰振りダンス”

『ランバダ』は、発売と同時にテレビやラジオで大量にオンエアされ、特に振付が話題を呼んだ。ペアで密着し、腰を左右に揺らす“腰振りダンス”は賛否を呼びつつも、ディスコやイベントでは瞬く間に定番化。音楽番組でもダンサーが登場し、その情熱的なステップを披露していた。

セールス記録としては爆発的ヒットとまではいかなかったが、テレビやラジオ、街角のスピーカーから頻繁に流れ、そのインパクトは数字以上。

特に、男女が密着して腰をくねらせる“セクシーなランバダ・ダンス”はワイドショーや音楽番組で何度も映し出され、日本中を巻き込む話題となった。曲の売上よりも、その映像とリズムが作り出したムードこそが、当時の“ランバダブーム”の正体だった。

90年代初頭の空気を象徴する1曲

1990年という年は、バブルの光と影が交錯する転換期でもあった。海外文化や情報をむさぼるように吸収していた時代。『ランバダ』は、そんな時代の好奇心と開放感を体現した楽曲といえる。

今、あの旋律を耳にすると、煌びやかなディスコの照明や、真夏の海辺のフェスティバル、あるいはテレビ越しに見た派手な振付が蘇る。“あの頃の日本”の浮かれた熱を、たった数分で呼び戻す魔法のような1曲だ。

情熱のリズムに身を委ねれば、平成初期の夏が、すぐそこに戻ってくる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。