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46年前、日本中が腕を振り上げた“謎の頭文字ソング” 自分の全力肯定を肯定した“バズりのパイオニア”

  • 2025.7.22

「こんなに真っすぐで、明るくて、全力な曲ってあるだろうか?」

1979年、日本は高度経済成長から次の時代へとシフトしていた。戦後の“頑張る空気”が一段落し、「明るさ」や「華やかさ」が文化の前線に立ち始めた時代。街はカラフルに、テレビは派手に、そして歌番組は一種のお祭りのような賑わいを見せていた。

そんな中、見る者すべての肩を揺らし、両腕を上げさせた曲が登場する。

西城秀樹『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』(作詞・作曲:J.MORALI-V、WILLIS-H.BELOLO・訳詞:あまがいりゅうじ)。

その登場は、まさに「事件」だった。

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(C)SANKEI

誰もが真似した“Y・M・C・A”の振付

この曲は、1979年2月21日に発売された西城秀樹の28枚目のシングル。

原曲は、アメリカのグループ「ヴィレッジ・ピープル」が1978年に発表した『Y.M.C.A.』だが、日本で“国民的ヒット”になったのは、間違いなくこのカバー版だった。

テレビの前で、学校の教室で、街の広場で、「Y」「M」「C」「A」の形を全身で表すあの振付を、誰もが一度は真似した。

一糸乱れぬダンサー陣とともに笑顔で踊る西城の姿は、「明るさ」そのものだった

そして何よりも驚くのは、この大胆なアレンジと、異国のダンスナンバーを“応援歌”にまで昇華させたセンス

日本語詞は、YMCA(キリスト教青年会)の本来の意味からは離れ、“若者たちよ、未来へ向かって突き進もう”というポジティブなメッセージに置き換えられていた。

この大胆さ、潔さが、逆に日本中の心を掴んだのだ。

“秀樹感激”の時代に炸裂したエネルギー

当時の西城秀樹は、すでに「新御三家」としてトップアイドルの座を確立していた。

だが『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』で見せた姿は、それまでの“かっこいいアイドル”像とは一線を画していた。『傷だらけのローラ』(作詞:さいとう大三・作曲:馬飼野康二)など数々のヒット曲で見せていたセクシーでワイルドなこれまでのヒデキ像とは、いい意味で“違った”。爽やかで力強く、ユーモラスで親しみやすい。だからこそ、この曲のインパクトは尋常ではなかった。

当時の歌番組では、観客総立ちで手を振り上げるシーンが毎週のように見られた。

コンサートでは、まるで体育祭か応援団のような一体感が生まれた。ヒットチャートでは1位を獲得し、累計売上は約80万枚に達した。

何よりも、この曲は「老若男女問わず楽しめる」という意味で、今で言う“バズった”曲の原型だったとも言える。

笑顔で踊ることが“時代の答え”だった

1979年という年は、日本が“社会としての余裕”を見せ始めた頃だった。第2次オイルショックという衝撃こそあったが、世の中はモノが増え、文化が成熟していた時代へとなっていた。

そんな空気の中で、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』はまさに「生きてることが楽しい!」を象徴するような楽曲だった。

そして現代の私たちがこの曲を聴いて驚くのは、その真っすぐさとポジティブさが、まったく古びていないということ。「自分を信じて 明日に向かえ!」と元気にヒデキが呼びかけてくる。こんなメッセージが、46年経った今も違和感なく心に響くのは、むしろ今の時代のほうが“応援されること”に飢えているからかもしれない。

今でも、あなたの中に“Y”はある

西城秀樹の『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』は、単なるカバー曲ではなかった。

それは、時代のテンションを体現した「一つの現象」だった

腕を振り上げ、大声で叫び、全力で自分を肯定するーーそんな機会は、大人になるほど減っていく。

でも、あの4つのアルファベットを身体で描くとき、なぜか心が明るくなる。肩が軽くなる。笑えてくる。そう、46年経っても、私たちはきっと「Y・M・C・A」の途中にいる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。