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倍速視聴にハマった私の脳に起きたこと。再生速度を速めてのコンテンツ消費には本当にメリットがあるのか?

  • 2025.6.29

私たちを静かに変えている「倍速視聴」という現代習慣

すべての始まりはボイスメモだった。効率化を口実に1.5倍速で再生するようになったのだが、実際はテンポの悪さや言い淀み、話の脱線に耐えられなかったからだった。次第にメイクチュートリアルやYouTube動画、ポッドキャストを、ついにはドラマまでも作業のように全話通して倍速視聴するようになった。楽しむためではなく、ただ「観た」と言うためだけに。

やがてその影響は実生活にも現れ始めた。友人が会話の途中で考えを整理しようと黙り込むと、私の脳は早送りボタンを探そうとしてまぶたが痙攣した。別の友人は、テレビドラマ「アドレセンス」(2025)のテンポが遅すぎて1.25倍速で観たそうだ。何も起こらないから、と彼女は言うが、緊張感を生み出し、不安感を掻き立てる長回しのワンテイクや沈黙、登場人物が何も話さずにただ存在する時間こそがこのドラマの見所だ。けれど彼女は倍速でやり過ごしたし、そうする人は多い。静寂は私たちを落ち着かない気持ちにさせる。

行動トレンドに敏感なインスタグラムは、そもそも集中力が低下している現代人のために設計されたリール機能にさらに倍速再生オプションを追加した。高速にできるボタンがあれば、私たちはそれを押してしまう。私たちはこれをマルチタスク、最適化、タイムマネジメントと呼んでいるが、実際そうなのだろうか。それとも、生産性を装った一種のパフォーマンス不安なのだろうか。

トラウマのケアに特化した心理療法士のアヌーシャ・マンジャニは、倍速視聴を奇癖というより神経系の順応と見ている。より速いことはより良く、より効率的とみなされているのだ、と彼女は言う。「私たちの神経系は動き続けることに慣れていて、静止状態には慣れていないどころか危険さえ感じるのです」。つまり、私たちはあらゆるものを高速で観たいのではなく、じっとしている方法をもはや知らないということなのかもしれない。

また、多くの人が過剰な刺激にさらされているのに休むことができないという、ある種の永続的なノイズの中にいるのだと彼女は付け加える。「今ここにあること」が筋肉だとしたら、私たちはそれを保つ力を徐々に失っているのだ。

臨床心理士で心理療法士のネヤマット・グルバンズ・シンは、私たちがコンテンツ消費の習慣程度に考えている倍速視聴が、実は集中力のキャパシティを変えている可能性を指摘する。「社会全体として、私たちは退屈に対する耐性を失ってしまったのではないかと懸念しています」と彼女は言う。「時間とともに、この傾向は確実に私たちの集中力を長時間維持する能力と意欲を衰えさせ、社会的な関わりや人間関係の深さに悪影響を及ぼす可能性があります」

まるで静かに進む侵食だ。ドラマティックでも、ディストピア的でもない。ただ物語や他者、自分自身との関わり方をゆっくりと静かに変えていく。

重要なのは背後にある意図

Oversize woman watch something on mobile phone

だが、違う視点もある。The Thought Co.,の創設者で心理学者のプリヤンカ・ヴァルマは、ポッドキャストの倍速視聴を公言しており、その習慣が本質的に有害だとは考えていない。「時間は私たちの最も貴重な財産。必ずしも悪いというわけではなく、やり方と何故そうするのかによります」

彼女によれば、倍速視聴は必ずしも反射的な回避行動ではなく、戦略的な選択にもなりうるという。「誰もが自分の時間をもっと大切にし、もっと有効に使いたいと思い始めています。1日は24時間で、睡眠や仕事、ジムで1時間運動する時間も必要だとすると、実際に何かを学ぶ時間はどれくらいあるでしょう?」

そして、本当に重要なのは背後にある意図だ。「コンテンツを何故、どうやって消費するのか。その方法がよりバランスの取れた生活に役立つのであれば、悪いことではありません」。とはいえ、この傾向を無視することはできない。現在、多くの人たちがまるでメールを読むように、片手間に手早く物語を消費している。あらゆるすき間時間を最適化しようとする衝動は、かつて私たちの拠り所であった経験そのものを味気なくしかねない。

「私たちは、自分がどう感じるかではなく、どれだけ多くのことをしたかで自分自身の価値を測るようになっています」とマンジャニは言う。生産的であろうとするあまり、余暇にさえも喜びのない達成感を感じがちなのだ。「倍速視聴や飛ばし見では、物語の中で何が起こったかを知ることはできても、それを感じることができないのです」。その結果、ある種の“感情の栄養失調”に陥ってしまう。瞬間、瞬間の間の息遣いや、ゆっくりと親密さが育まれていく過程、何かを心に長く留めることでしか得られない余韻を失ってしまう。

このようなせっかちさは視聴行動だけに留まらず、私たちの会話や人間関係、不快感に向き合う能力にも影響する。話の間に気まずさを感じ、かつては心地よかった静寂は、徐々に埋めるべきものになっていく。

だが、高速がデフォルトになる中で、遅さはもはや新鮮になりつつある。三人の専門家全員が、人々が深さを求め、長尺で静かで、感情に訴えかけるものに回帰しているという変化を指摘している。プラットフォームは高速化しているかもしれないが、一部の人は減速を求めているのだ。

それでも、どうすればよいのか私はわからない。先日、標準スピードで動画を視聴したのだが、登場人物がドアを開けるのにかかった時間に理不尽なほどイライラした。彼らがドアノブを不器用にいじくり、立ちつくし、息をするのが永遠に感じられたのだ。

だから、私の次のウェルネス・チャレンジは、朝のコーヒーにコラーゲンを入れることでも、コーヒーを完全に止めることでもないだろう。多分、何かたったひとつのものを標準スピードで観ることであり、すべての感情を早送りしたくなる衝動に耐えることなのだろう。例えそれがつまらないものでも。つまらないものなら、なおのこと。

Text: Sara Hussain Translation: Motoko Yoshizawa

From VOGUE.IN

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