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30年前、日本中が体温を上げた“色気に満ちた1曲” 濃厚な夜を描く“激情ミリオンナンバー”

  • 2025.7.25

1995年、“恋愛”はもっとむき出しだった

「30年前の夜、好きな人のことばかり考えて眠れなかった記憶があるなら、それはきっとこの曲のせいかもしれない」

シャ乱Q『My Babe 君が眠るまで』(作詞・作曲:つんく)――1995年10月21日リリース。

前年の大ブレイク以降、勢いに乗っていたシャ乱Qが、真正面から“愛の重さ”にぶつかった一曲だ。

柔らかさも、優しさも一切いらない。この曲にあるのは、夜の闇に飲み込まれそうなほどの情念と、それでもそばにいたいという欲望。どこまでも真っ直ぐで、だからこそ危うい、恋の熱が詰まっている。

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ボーカルのつんく(左)とギターのはたけ(右)(C)SANKEI

優しいシャ乱Qとは別人格の、剥き出しのロックナンバー

『My Babe 君が眠るまで』は、シャ乱Qにとって9枚目のシングル。1995年は『ズルい女』『空を見なよ』とリリースが続き、バンドの多面性が見え始めた時期だったが、この曲はその中でも最も攻めた“ロック”と“激情”が凝縮された一作だ。

ギターは鋭く、ビートは力強く、音のすべてが“引き裂かれるような愛の熱気”を描き出す。

そしてなにより、つんくのボーカルが荒々しくもひたむきに響く。愛を語るのではなく、愛に溺れていくような歌声。それはまるで、夜中に電話口でこぼれ落ちる感情そのものだった。

“恋はロジックじゃない”と突きつける、セクシャルな衝動

この曲の核心にあるのは、“愛されたい”よりも“触れていたい”という欲望の温度だ。

言葉で何を伝えるかではなく、そばにいて、息づかいごと確かめ合うような距離感。優しさや誠実さなんて“昼間の価値観”を、夜のテンションが飲み込んでいく。

そこにあるのは、論理では説明できないフィジカルな感情。だからこそこの曲は「甘い」でも「切ない」でもなく、「濃い」。耳から入って、脈拍を上げて、気づけば体が揺れている。

つんくのボーカルも、まさにそれを体現している。

甘さと色気の間を絶妙に行き来する声が、リスナーの“夜のスイッチ”をそっと押してくる。

1995年という時代が、この“ちょっと危ない恋の形”をむしろ歓迎していた。テレビでもラジオでも、無自覚にこの曲が流れ、思春期の感情に火をつけた。

きれいな愛だけじゃ満たされない夜の正体を、10代も20代も肌で感じていた。

“つんく=プロデューサー”のイメージを裏切る、熱量の塊

2000年代以降、「つんく=ヒットメーカー」のイメージが強まったが、この楽曲を聴けばわかる。

彼は本質的に、“恋の苦しさ”を歌うことに異常なほど長けたアーティストだった。

作詞・作曲・ボーカル、そのすべてから、ひとつの恋を貫くためにすべてを捧げるような覚悟がにじみ出ている。

『My Babe 君が眠るまで』は出荷ベースでミリオンを突破。シャ乱Qの人気を確固たるものにした楽曲でもある。

“聴き返すたびに、胸が苦しくなる”30年後のリアル

この曲を30年ぶりに聴くと、大人になった今のほうが痛みを理解できるのかもしれない。

当時は「かっこいい」と思って聴いていた歌が、今では「あのとき抱えていた不器用な愛そのもの」だったと気づかされる。

恋はうまく伝えられないものだし、愛は重たくて、面倒で、でも離れがたい。そういう“未完成な愛”こそが、本当は一番リアルだったと、30年経って思い知らされる。

シャ乱Qの“陰の名曲”として語り継がれる理由

『My Babe 君が眠るまで』は、チャートの記録以上に、“心の記憶”に残り続けている楽曲だ。

思い返せば、深夜にこの曲が流れたあと、なぜか寂しくなって電話をかけたことがあった。何も話せなくても、声が聞きたいだけだった夜。そんな感情を、この1曲が完璧に音にしてくれた

派手でもない、きれいでもない。でも、“こんな愛、確かにあった”と思わせてくれる名曲だ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。