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32年前、日本中がいきなり恋した“謎すぎる大ヒット曲” 170万枚超を売り上げた“最強の夏ウタ”

  • 2025.8.3

「夏って、なんか無性に1993年を思い出すんだよね」

理由もなく、情景だけが記憶に刺さる。声、風、空の色。言葉ではうまく説明できないけれど、あの年の夏には、たしかに“何か”があった。

その“何か”を鮮やかに封じ込めた一曲が、1993年4月21日にリリースされた、classのデビューシングル『夏の日の1993』(作詞:松本一起・作曲:佐藤健)だった。

“なつのひのいちきゅうきゅうさん”と読むこのタイトルは、一度見ただけでは覚えにくい。

それでもこの曲は、日本中を席巻していった。

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※Google Geminiにて作成(イメージ)

30歳を超えての遅咲きデビューが生んだ“いびつな奇跡”

classは、津久井克行と日浦孝則の二人による男性デュオ。『夏の日の1993』は、デビューシングルでありながら、170万枚を超えるセールスを記録した大ヒット曲となった。

だが、そのデビューはあまりにも“型破り”だった。ふたりとも30歳を超えての遅咲き。アイドル的な売り出し方は皆無。テレビへの出演もほとんどなく、知名度もゼロに等しい。夏ウタなのにリリースは4月。

それでも楽曲は、ラジオや街角からじわじわと広がり、やがて口コミで火がつく。最終的には、誰もが知る“夏の代表曲”として、その年を象徴する一曲になっていった。

つまりこの曲は、“知名度ゼロの30代新人”が、奇跡的に社会現象を巻き起こした稀有なケースでもあったのだ。

名を売る前に“時代に刺さった”その理由

『夏の日の1993』が多くの人の心を掴んだ理由は、その“感情を一気に引き上げるドラマティックな構成”にあった。

イントロから立ち上がる壮大なストリングスとシンセの重なり。そこから一転して、静けさを孕んだAメロに入る構成は、まるで短編映画のように心をさらっていく

このアレンジを手がけたのは、CHAGE and ASKA『SAY YES』(作詞・作曲:飛鳥涼)などのアレンジャーとして知られる十川知司。

言われてみれば、彼がアレンジャーとして関わったCHAGE and ASKA『LOVE SONG』(作詞・作曲:飛鳥涼)を彷彿とさせる、感情をなだらかに、でも確実に押し上げてくる壮大さが、ここにも確かに存在している。

全体としてはメロウで懐かしさを感じさせるのに、サウンドの厚みや展開には、“静かな派手さ”がしっかりと組み込まれている。語らずに感じさせる構成。情感を過不足なく引き出す音づくり。

その職人技が、リスナーの心に「気づいたら泣きそうになってる」感覚を自然に呼び起こしていったのだろう。

J-POPの文脈からもはみ出した“無所属感”

1993年といえば、小室哲哉プロデュースやビーイング系の台頭で、J-POPが加速的にメジャー化し始めた時代。classのこの楽曲は、そうした“トレンド”とは少し距離を置いていた。

アコースティックなギター、流れるようなメロディ、ドラマティックなイントロと切ない余韻。

都会的でもなく、田舎っぽくもない、“どこにも属していない”感覚が逆に新鮮だった。それが、多くの人にとっての“引っかかり”として記憶に残ったのかもしれない。

“一発屋”では終わらなかった、永遠の一曲

この後、classは一定の活動を続けつつも、セールス的にはこのデビュー曲を超えることはなかった。

だが、『夏の日の1993』は、たとえ一度しか大ヒットを出していなくとも、“一発屋”という言葉では到底片づけられない名曲である。

今なお、夏の定番曲として、カラオケでは世代を問わず選ばれ、CMやドラマでもたびたび使われる。つまりこの曲は、音楽史の中で確実に“残るべきもの”として、定位置を確保したということだ。

誰の心にも残る、“あの年の、あの感じ”

『夏の日の1993』が描いたのは、明確なストーリーでも、特定の誰かとの恋でもない。

説明できないけれど確かに心に残っている、“あの時の感覚”そのものだ。

それが、どの世代の人にも自分なりの“あの夏”を呼び起こさせる。

しかもその記憶は、30年以上経っても、なぜか瑞々しいまま蘇る。

だからこそ――『夏の日の1993』は終わらない。

季節が来るたびに、私たちの記憶をそっとノックし続けるのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。