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「嫌いな人」を三流は無視する、二流は我慢する、では一流は…ブッダが説いた「人間関係に悩まない極意」

  • 2025.6.17

社会人が抱える悩みの一つが、職場での人間関係だ。福厳寺住職の大愚元勝さんは「2600年前にも人間関係をめぐる苦悩は存在していた。お釈迦様は『好き』『嫌い』に苦しんでいる人に対して、その滑稽さに気づきなさいと説かれた」という――。

成功に向けたネットワークの構築
※写真はイメージです
「みんな仲良しな職場」という幻想

どんな職場にも嫌な人がいるものだ。

その人が上司であれ、同僚であれ、部下であれ、嫌な人と顔を合わせて仕事をしなければならないことほど、辛いことはない。

特に上司が嫌な人だった場合、そこで働き続けることはかなりしんどい。その上司がトップであれば尚更だ。実際、退職を決断する人の多くが、職場の人間関係を理由に挙げるという。

逆に、大好きな人、気の合う人、尊敬できる人ばかりの職場で働けるなら、こんな幸せなことはない。

しかし実際には、そのような職場を求めて転職する勇気も無いし、そもそも、そんな理想的な職場などめったに無い。

私は10年ほど前からYouTube上で、人生に苦悩する人々にお釈迦さまの智慧を届けたいと『大愚和尚の一問一答』と題する番組を配信しているが、そこに寄せられる相談の中には、職場の人間関係に関するものが少なくない。

人間関係の苦悩。それは今に始まったことではない。

古今東西、人々は様々な人間関係に苦しんできた。

今から2600年前も前に説かれたお釈迦さまの教えにも、その様子を窺い知ることができる。

嫌いな人と会わなければならない苦悩

お釈迦さまは、人生は「楽」ではなく「苦」がデフォルトとして、私たちが直面する苦悩を、8つに分類なさった。

①生:すべて母任せの胎内から自立せねばならぬ苦
②老:若さを失って老いる苦
③病:心身の病にともなう苦
④死:死にたくないのに死ななければならない苦
⑤愛別離苦あいべつりく:愛する人と別れなければならない苦
⑥怨憎会苦おんぞうえく:嫌な人と会わなければならない苦
⑦求不得苦ぐふとっく:欲するものを求めても得られない苦
⑧五蘊盛苦ごうんじょうく:己の肉体や思考に執着することで起こる苦

このうち、⑥の「怨憎会苦おんぞうえく」がまさに、嫌いな人と会わなければならない苦しみだ。

多くの社会人にとって、寝ている時間を除けば、家にいる時間よりも職場にいる時間のほうが長い。

その職場でずっと苦痛を感じていなければならないとしたら、人生はまさに「苦」の連続である。

社会人に必須な「人間関係力」

しかしよく考えてみてほしい。

「苦」の感情はどこで起こるのか、を。

「苦」も「楽」も自分の内側で起こる。
「好き」も「嫌い」も自分の心の中で起こる。

だからこそお釈迦さまは、「目の前の人やコトに対して『好き』とか『嫌い』とか、いちいちレッテルを貼って、喜んだり苦しんだりしている自分の心をよく観察して、その滑稽さに気づきなさい」と説かれたのだった。

ところで、社会人にとって最も基本的かつ重要な能力とは何だろう。

それは「人間関係力」である。

学生時代は、記憶力や与えられたテストで高得点を取る能力があれば、評価された。

けれども会社では、プレゼン能力や相手の気持ちを察する能力、チームと協調する能力など「人間関係力」が評価される。

よく芸能人やスポーツ選手、インフルエンサーなどで、自由奔放に発言したり、身勝手に振る舞ったりして「人間関係力」が低そうな人を見かけるが、実は本当に仕事ができる人、永く成功し続けている人と実際にお会いすると、周囲に対する気配り心配りがもの凄い。そしてまた、彼らが一緒に仕事をしている人の種類が幅広い。

「本当に仕事ができる人」というのは、好き嫌いを超越して、自分とは全く反対の思考や行動をとっているような人との交流を大切にしていたりするものだ。

嫌いな人を活かす「一流」のさらに上

どんな業界にでも、一流と呼ばれる仕事人がいる。

一流とは何だろう。二流、三流の違いは何だろう。

お釈迦さまはその違いが、私たちの「心」にあると分析なさった。

私たちは出会う人を、無意識のうちに3つに分類する。

「好き」「嫌い」「自分とは関係ない」の3種類だ。

三流は、「好きな人」だけを求めて、「嫌いな人」を排除する。
二流は、「嫌いな人」でも仕事だから仕方ないと、我慢する。
一流は、「好きな人」とも「嫌いな人」とも付き合いながら、彼らの長短を活かす。

しかし上には上がいるものだ。

超一流は、「好きな人」にも「嫌いな人」にも、そして「関係ない人」にさえ積極的に関わって学ぼうとする。

「好きな相手」と戦っていても強くなれない

私は、学生時代から空手を修行していることもあり、「武道」が好きだ。

合気道のクラス
※写真はイメージです

武道で強くなるためには、自分の心技体を鍛え、そのポテンシャルを最大限に引き出す必要がある。

「好きな稽古」ばかりしていても強くなれないし、「好きな相手」とばかり対戦していても強くなれない。

「好きな稽古」とは、例えばサンドバッグ打ちだったり、ライトスパーリングだったり、自分にとって楽な稽古、楽しい稽古のことだ。

「好きな相手」とは、自分より弱い相手、自分の技が面白いように決まって優越感を感じられる相手のことだ。

強くなるためには、どれだけ「嫌いな稽古」に取り組み、どれだけ「嫌いな相手」と拳を交えるかが重要になる。

「嫌いな稽古」とは例えば、走り込みだったり、打たれ強さの稽古だったり、とにかくしんどい稽古、苦しい稽古のことだ。

「嫌いな相手」とは、自分より強い相手、自分の弱点を突いて苦痛を与えてくる相手のことだ。

三流は、「好き」だけ求めて、「嫌い」から逃げようとする。
二流は、「嫌い」を我慢しつつ、どこかで自分を追い込めない。
一流は、「好き」にも「嫌い」にも、果敢に挑戦する。

そして超一流は、「好き」も「嫌い」も「関係ない」も取り込んで、長期にわたって、あらゆる角度から自分を高める努力を怠らない。

人間どこかしらに弱点はある

最近、”超一流”ボクサの一戦を見て、非常に感銘を受けた。

5月4日に米ラスベガス、T・モバイルアリーナで行われた、井上尚弥選手とラモン・カルデナス選手の一戦だ。

井上選手は2ラウンド、カルデナスからダウンを奪われた。

しかしマットに膝をつきながらも冷静にカウントを聞き、ギリギリまで回復を待って立ち上がった。

そして、そこから猛反撃の手を緩めることなく、8ラウンドまで戦い抜いてTKO勝ち、世界戦通算23KOという世界記録を打ち立てた。

井上選手に対して顎が弱い、ガードが甘いなど批判もある。

しかし弱点がない選手など存在しない。

心技体、どこかに何かしらの弱点がある。

超一流は、自らの弱点を知っているからこそ、常に油断することなくその弱点を自覚して稽古する。

井上選手の練習を見たわけではないが、「倒されない」稽古だけではなく、意識して、倒されてからの稽古までも積み重ねていなければ、あんな冷静な行動は取れない。

これまでどれだけの「嫌い」と向き合う稽古を積み重ねてきたのだろう。その姿勢が、その生き様が、たまらなくカッコいい。

「嫌いな人」は世界を広げてくれる

超一流は、「好き」とだけ関わっていても、世界が広がらないことを知っている。

「嫌い」とも、「自分には関係ない」とも関わることで、何倍にも成長できることを知っている。

能力があるから、人格者だから「嫌い」と関われるのではない。

「嫌い」と関わることで、その人の能力や成長が促されるのだ。

「嫌いな人」を無理に好きになる必要はない。

しかし、いい年をして「好きな人」とだけ群れているのはもったいない。

なぜなら世の中には、好きな人ばかりではない、嫌いな人も、どちらでもない人も、多様な人がいることを知って受け入れることで、人は成長するのだから。

大愚 元勝(たいぐ・げんしょう)
佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表
空手家、セラピスト、社長、作家など複数の顔を持ち「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。僧名は大愚(大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意)。YouTube「大愚和尚の一問一答」はチャンネル登録者数57万人、1.3億回再生された超人気番組。著書に『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社)、『最後にあなたを救う禅語』(扶桑社)、『思いを手放すことば』(KADOKAWA)、『自分という壁』(アスコム)、『愚恋に説法: 恋の病に効く30の処方箋』(小学館)などがある。

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