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40年前、日本中が震えた“生々しすぎる心の叫び” 社会現象となり今なお響く“10代の代弁者”衝撃の名曲

  • 2025.7.17

「40年前の今頃、どんな曲が心に響いていたか覚えてる?」

1985年、音楽業界は多くの名曲が生まれ、J-POPが新たな時代を迎える中、ひときわ異彩を放った曲があった。

その曲はーー尾崎豊の『卒業』(作詞・作曲:尾崎豊)だ。

共感を呼ぶ鮮烈な歌詞で若者たちの心を捉え、今もなお日本の音楽シーンにその足跡を残している。そんな尾崎豊の軌跡とこの名曲について、改めてその魅力を振り返っていきたい。

尾崎豊の鮮烈なデビューと『卒業』での大ブレイク

1983年12月、尾崎豊は彗星のごとく音楽シーンに現れた。

当時17歳になったばかり、高校在学中の彼が放ったデビューアルバム『十七歳の地図』とシングル『15の夜』。それは、一人の少年が抱える、あまりにも生々しい心の叫びそのものであった。

大人や社会への不信感、やり場のない怒り、そして純粋すぎるほどの愛と夢。そのすべてを叩きつけるような彼の歌は、たちまち行き場を失っていた若者たちの心を捉え、熱狂的な支持を集めていく。ライブを重ねるごとにその人気は拡大し、尾崎豊は“10代の代弁者”としての地位を確固たるものにしていった。

そして1985年。2枚目のアルバム『回帰線』からの先行シングルとして『卒業』がリリースされる。すでに一部の若者にとってはカリスマ的な存在であったが、この曲の大ヒットが起爆剤となり世間一般にも大ブレイク、彼の人気は社会現象へと発展。尾崎豊という名は時代を象徴するアイコンとなり、『卒業』はのちに彼の代表作のひとつとして数えられるようになったのである。

なぜ『卒業』が日本中の胸を打つ名曲たりえたのか

『卒業』の歌詞は、学校生活の終わりを迎える若者が抱える矛盾や葛藤、不安をリアルに表現している。

不真面目に遊び回り、暴れ続けた学生生活。身近な大人である先生への大きな嫌悪感と反発、そして怒り。その支配から卒業することによる開放感とは裏腹に訪れる未来への巨大な不安ーーそのどれもが、少なからず誰しもが抱えたことのある感情だろう。

“卒業”は誰もが経験するものであるが、その描き方は尾崎豊ならではの切なさと力強さを持ち合わせていた。単なる別れの悲しみや未来への希望に満ちた、いわゆる“卒業式”のシーンではない。学校生活に限らず、これからもさまざまなシーンで卒業を経験していくことになる自身の未来に対し、「卒業を繰り返せばそれで何か変わるのか?」という疑念が強烈に込められている。

そういった生々しすぎる、尖りに尖った感情を赤裸々に吐き出した言葉によって、聴く者はそれぞれ自身の経験や感情と重ね合わせ共感し、震えずにはいられなったのだろう。

その共感性の高い歌詞、AメロBメロの雰囲気からしっとり優しく進むかと思いきやサビで畳み掛けるような激情が押し寄せるような熱いメロディ、そして何より尾崎豊の“心からの叫び”ともとれる歌声ーーこれらが絶妙なバランスで組み合わさり重なり合うことで、日本中の胸を打ち、後世に語り継がれる名曲へと昇華されたのだ。

『卒業』と尾崎豊の社会的影響

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(C)SANKEI

尾崎豊の歌は、ただの音楽ではなく、彼自身の生き様を映し出すものでもある。

彼は社会に対する反発や自由を求める姿勢をそのまま音楽に込め、当時の若者にとって憧れの存在となったが、その中でも「卒業」は単なる青春の一曲にとどまらず、尾崎豊の音楽が社会に与えた影響を象徴する曲となったといって間違いない。

彼の没後も、そのメッセージは色あせることなく、今もなお日本の音楽シーン、また若者たちの熱い感情に影響を与えているのだ。

時代を超えて愛される『卒業』

『卒業』で尾崎豊が歌ったそのメッセージは、時代を超えて共鳴を呼び続けている。

学校を卒業する時、学生を終えて社会に出る時、さまざまな“初めて”から卒業しライフステージが変わる時、その自由と責任の狭間で感じる不安や期待。それは、時代が変わっても変わらない普遍的なテーマであり、尾崎豊の歌は、何度でもその心情を思い起こさせてくれる。

1985年にリリースされたこの楽曲と尾崎豊の熱い叫びは、40年経った今もなお、そして今後も色あせることなく、時代を超えて響き続けていく。


※この記事は執筆時点の情報です。