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40年前、日本に現れた“絵になる俳優” 世界中を魅了し“日本人俳優”のイメージを変えた“衝撃”

  • 2025.5.2
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(C)SANKEI

1980年代、ドラマの中に“ただ立っているだけで絵になる男”が現れた。

「40年前のテレビに、誰よりも目が離せない俳優がいたのを覚えてる?」

バブル経済の気配が濃くなり始めた1980年代、日本のテレビドラマや映画は華やかで軽快な作品が人気を集めていた。そんな中で、“目立とうとしないのに目が離せない”異質な俳優が登場する。

渡辺謙ーーその存在は、初登場時からただならぬ雰囲気をまとい、やがて時代を超えて世界の映画シーンをも制する日本人俳優となっていく。

強くもなく、優しくもなくーーただ“静かに深い”

渡辺謙が広く知られるようになったのは、1987年放送のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』での主演。眼帯をした若き伊達政宗を演じた彼は、硬派でリアルな演技で一躍注目を集め、最終回の視聴率は歴代大河ドラマの中でもトップクラスを記録する社会現象となった。

以降も『天と地と』『御家人斬九郎』など時代劇のイメージが強かったが、渡辺の魅力は“古風”にとどまらない。
真面目で誠実、でもどこか影を感じさせるその存在感が、現代劇でも独自のポジションを築いていくこととなる。

なぜ彼は“世界に通用する俳優”になったのか?

2003年、映画『ラスト サムライ』でハリウッド進出を果たした渡辺謙。渡辺が演じた武士・勝元盛次は、物語の軸を支える人物であり、観る者に“日本人の誇り”を再認識させた。

この演技は世界的に評価され、第76回アカデミー賞で助演男優賞にノミネート。以後も『SAYURI』『バットマン ビギンズ』『インセプション』など話題作への出演が続き、“ハリウッドが求める日本人俳優”というポジションを不動のものとする。

なぜ渡辺謙だったのかーーそれは「英語力」や「ルックス」だけではない。言葉を超えて伝わる“魂の重み”、場面を支える“沈黙の演技”、そして国境を超える“品格”。彼が体現したのは、“演技力以上の存在力”だった。

渡辺謙が変えた“日本人俳優”のイメージ

彼の登場以前、日本人俳優が世界の大作映画で主要キャストとして扱われる例は少なかった。だが渡辺の成功は、日本の俳優たちに「世界は挑戦できる場所だ」という現実を示した。

その後に、海外で評価される俳優が続々と登場する流れは、まさに渡辺謙が切り拓いた道の延長線上にある。また、東日本大震災以降は被災地支援のメッセージを公に発信するなど、“俳優”という枠を超えた社会的な存在感も増していく。

今なお、真っすぐに。重ねた年輪が“新しい謙”を作る

現在も舞台、映画、CMなど多方面で活躍を続ける渡辺謙。主演に立つこともあれば、静かに物語を支える役にまわることもあるーーそれができるのは、“主役を張れる器”と“引き算のできる技術”を兼ね備えているからにほかならない。

年齢を重ねるごとに、演じる役柄の深みが増し、「渋さ」や「孤独」さえも魅力として変えていく姿は、今の日本のエンタメ界において唯一無二といえる。

40年前、ひとりの俳優が静かに立ち上がったあの日から、彼はずっと“背中で語る表現者”であり続けている。


※この記事は執筆時点の情報です。