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〈WHO’S HOT〉水樹奈々「“水樹奈々”という可能性をさらに広げていくための『実験』を続けたい」

  • 2025.3.22

2000年から本格的に活動を始め、アーティストデビュー25周年となる水樹奈々さんに、最新アルバム『CONTEMPORARY EMOTION』に至るこれまでの道のりを聞きました。

声優アーティストという、今では当たり前のポジションを広めた第一人者といえる水樹奈々さん。常に笑顔を振りまくポジティブさ、アグレッシブで聴くものを奮い立たせる歌声は、デビューから変わらないどころかますます進化している。最新アルバム『CONTEMPORARY EMOTION』に至るまで、アーティストとして歩んだ25年に迫ります。

――15作目のアルバムがいよいよリリースです。「これからがスタート」と言わんばかりの疾走感や青さが感じられる内容ですね。

アーティスト25周年という節目ではありますが、まだまだ攻めていくぞ! と湧き上がる気持ちを詰め込んだ一枚です。今って、何でもありのボーダーレスな時代で、これまで合わさることがなかったもの同士が融合できる土壌があるじゃないですか。それが面白いと感じていて、私も水樹奈々の世界をさらに広げていくために、いろんなサウンドを組み合わせる実験を続けていきたいんです。

――実験という言葉がありましたが、リード曲の「拍動」ではラップも盛り込むなど、ミクスチャー要素が強い楽曲になっています。

これは『#コンパス2.0』というTVアニメのオープニング主題歌なのですが、ボカロPの方々とコラボして楽曲を制作するのがテーマになっているんです。私はこれまでボカロPの方とコラボしたことがなかったので、チームに「ぜひチャレンジさせてください」と。その中でアニメとの親和性を考えながら作っていったのですが、かなりぶっ飛んだものに(笑)。

――EDM的でもあり、展開も激しいですね。

もう人間の限界を超えるじゃないですけど(笑)、やはりボカロだから歌いこなせるテンポ感や音の“飛び”があって。あの“飛び”を、人間だからこその味わいになるようなニュアンスが付けられたらと。結果的に25周年イヤーの決意表明のような、「まだまだ行くぞ」というメッセージになりました。

――そもそも、水樹さんの楽曲は難易度が高いことがひとつの特徴にもなっていますよね。

そうなんです。もともとちょっと変態的というか(笑)、テンポは速いし転調はするし、キメも多い。人の限界を超えていくような楽曲がこれまでもたくさんあったのですが、さらに高い山を求めていくもので(笑)。「拍動」以外でも、新曲を作るたびにビシバシとしごかれ続けていて。

――限界に挑み続けるスパルタな楽曲ばかり。

スパルタになりました(笑)。ただ、それは自分で選んでいるんです。最初は作家さんも歌いやすいメロディラインを提案してくださるのですが、私が「もっとドラマティックに、もっと激しく情熱的に」とリクエストして。それがどんどんエスカレートして、「うわ、やっちゃったかも」というとんでもない領域の曲に。

――レコーディングであればまだしも、それをライブで披露することになると思うのですが、そのことは考えないのでしょうか?

考えません! なんとかなるではなく、なんとかする(笑)。私は“楽曲筋”(がっきょくきん)と呼んでいるのですが、その楽曲を歌うために必要な筋肉があって、それが鍛えられると、自然とライブでも平気で歌えるようになるんです。

――どんどん高いレベルの楽曲が歌えるように。

そうして研ぎ澄まして突き詰めていった結果、今に至っています。だから、今回のアルバムの曲は、デビュー初期の水樹では歌いこなせない難易度の高い曲ばかりになっています。

――変化だけでなく進化もし続けているわけですね。

どの楽曲も驚きがあると思うのですが、軸はこれまで水樹が歌ってきた世界の延長線上にあります。ガラッと変わったというよりは、こういうアプローチがあったんだと驚いてもらえるような。水樹奈々のこれからのアーティスト活動をより太く、長くするための「実験」が詰まっています。

衣食住と同じくらい歌が私のライフワークです。

――水樹さんが歌手デビューしたのは2000年。1stアルバムは『supersonic girl』というタイトルで、これは今年夏の再結成が発表されたオアシスの楽曲をもじったものだとか。

そうなんです。すいません、好きすぎて(笑)。

――(笑)。デビュー当時に思い描いた未来に到達することはできましたか?

思い描いていた未来よりも100倍、大きい規模になりました。想像もしえなかったことがたくさん起きて、幸せな25年でした。まず、レコード店に自分のCDが並んでいるのが嬉しい。デビュー作は、発売日にどこのお店にも置いておらず、すごく悲しい思いをして。ですが、それから何作かして、「み」の棚に「水樹奈々」のプレートができたときは本当に嬉しくて!(笑) そこに店員さんが手書きのポップを飾ってくださるのを見つけると、もう感動で。そこから少しずつ認知されて、大きな会場やドームでライブをやらせてもらうようになって――軽々しくは言いたくないですが、本当に奇跡の連続でした。

――アニメを取り巻く環境が日に日に変わる中で、水樹さんとして貫いていることはありますか?

常に危機感を持つことですね。だから、出し惜しみせず、何事にも全力投球。それはずっと変わっていないです。余力を残したことで後悔したくない。だからいつも熱い感じになっちゃってます(笑)。

――2009年の紅白出場など、華々しい記録を数多く残していますが、水樹さんにとってのターニングポイントは?

いくつかあります。シンガーとしての明確なベースができたのが、2002年にリリースされた『POWER GATE』という5枚目のシングルのときですね。「あ、私はみんなの背中を押せるような応援ソングを歌いたいんだな」と気づいたんです。それまでは歌えるだけで幸せだったのですが、どんな思いを届けたいかが明確になって、それから積極的に楽曲制作のミーティングにも参加するようになったんです。

――シンガーとしての適性やモチベーションを得たわけですね。

そこから作詞もするようになりました。次に転機となったのは2005年の『ETERNAL BLAZE』というシングルで、初めてチャートで2位をいただいたんです。声優としても出演していた『魔法少女リリカルなのはA’s』の主題歌でもあったのですが、この曲をリリースしてから、テレビへの出演を依頼されたり、アリーナ規模でのライブが決まったりと、アーティスト活動が広がるきっかけになりました。

――なるほど。

それから2009年には西武ドームでのライブがあり、7枚目のアルバムがチャート1位にもなり、紅白歌合戦にも出場できて……夢なのかな? という(笑)。達成感もありますが、急激に環境が変わっていったので、少し怖かったですね。「何が起きているんだろう…」って。だから、全力で真面目にやり続けるんだという意志を固く持ったのかもしれません。

―― 一方で、コロナ禍で2020年からは強制的に活動が止まってしまいました。

ちょうど20周年イヤーで、記念のツアーもキャンセルに。私は5歳の頃からずっと歌っているので、衣食住、そして歌がライフワークなんです。それくらい自分の生活の一部であったものが突然なくなるのはショッキングでした。アフレコも止まってしまい、家に毎日いる状況が信じられなくて。唯一、週1回だけ外に出かけて、テレビ番組『満天☆青空レストラン』のナレーション録りはできたんです。あの収録がなければ、かなり滅入ってたと思います。

――そんな水樹さんを支えてきたのは、デビュー当時から所属しているキングレコードのチームだと思うのですが、水樹さんにとって彼らの存在とは?

家族のようです。キングレコードのプロデューサーである三嶋(章夫)さんが言っているのですが、みなさん会社員なので普通は異動があり、こんなに長く担当が変わらないのはレアケースらしいんです。私にとっては家族のような距離感で切磋琢磨でき、一緒に成長でき幸せです。

――その中で、声優アーティストというポジションや世間からの見え方も変わってきましたよね。

ずいぶん変わりました。今はもう、声優さんがテレビに出ない日はないですよね。しかも、アニメ特集とかではなくて、ドラマやバラエティ、ニュース番組にも出演していて。マルチな才能を持っている方が増えたので、逆にこれから声優を目指す人は大変な時代だなと思います。

――水樹さんは周囲の反対に遭いながらも、声優とアーティストを両立させてきた過去があります。

そうですね。どちらも好きなことだったので。当時は「どちらかにするべきだ」と、周りから厳しい意見を多くいただいたんですけど、私は「どっちもやりたいんだもの!!」と突き進んで(笑)。声優さんがアニメやゲームのキャラクターソングを歌う機会もたくさんありましたし、音楽との縁が深い存在だったので、その両立は絶対に可能だと思ったんです。今ではこのスタイルが定番化していて、「信念を貫いてよかった!」と思っています。

――そんな「声優アーティスト」水樹奈々としての今後の目標は?

まず、生涯現役でいたいですね。そのひとつの目標として考えているのは、奈々という名前に掛けて77歳ライブを実現させたいということ。もちろん、テンポもキーも今と変えずに歌える人になりたい、それが一番の目標です。あとは地元の愛媛でフェスを開催するなど、地元を盛り上げたい気持ちもあります。何が起きるかわからない時代ですが、だからこそ、今まで以上に強い決意を持ってひとつひとつのステージを大切にしたいと思います。

PROFILE

水樹奈々

みずき・なな 愛媛県出身。幼少時代から演歌歌手を目指し地元・愛媛で活動を開始し、高校入学を機に上京。1997年、声優としてデビューを果たす。2000年にシングル『想い』で歌手デビュー。声優アーティストとして初となるNHK紅白歌合戦への出場や単独での東京ドーム公演を実現。今年でアーティスト活動25周年を迎える。

INFORMATION

アーティストデビュー25周年イヤーにおくる、約2年半ぶりとなるアルバム『CONTEMPORARY EMOTION』を3月19日にリリース。12月6日からは、北海道を皮切りに全国7か所全14公演のライブツアーが決定。「いつか、1年かけて全国47都道府県を一気に巡るツアーをやりたいです!」と意気込む水樹さんの今後にも注目です。

写真・飯田エリカ インタビュー、文・森 樹

anan 2438号(2025年3月12日発売)より

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