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37年前、日本中がハマった“伝説の深夜バラエティ”  笑いの革命で一世を風靡し、スター芸人を輩出した“名番組”

  • 2025.3.31
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(C)SANKEI

1988年、深夜に“笑いの革命”が起きていた

「37年前の今頃、どんなテレビ番組を観ていたか覚えてる?」

1988年といえば、音楽では中山美穂や光GENJIが人気を博し、ドラマでは『抱きしめたい!』が注目を集めていた時代。ファッションはバブル絶頂期らしく華やかさを増し、テレビもまた、多彩な番組が生まれていた。

そんな中、深夜帯に突如伝説のバラエティ番組が現れた。

『夢で逢えたら』——1988年10月14日、フジテレビで放送開始。

人気お笑い芸人たちが全力でコントに挑み、その斬新な世界観と構成は、深夜テレビの常識を覆した。
今や日本のバラエティの“原点のひとつ”として語られるこの番組の魅力を、改めて振り返ってみよう。

深夜帯に笑いの革命を起こした『夢で逢えたら』とは?

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(C)SANKEI

『夢で逢えたら』は、1988年10月からフジテレビ系列で放送された深夜バラエティ番組。出演者は、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン、野沢直子、清水ミチコという、今では考えられないほど豪華な顔ぶれ。

まだブレイク前だった彼らが、毎週交代で登場し、オリジナルのコントやミニドラマ、パロディ企画を繰り広げるという、まさに“お笑い実験室”のような番組だった。

コントの中には、夢の中で繰り広げられるような不条理な世界観や、社会風刺、ナンセンスギャグが巧みに織り込まれており、深夜ならではの自由さと実験精神に満ちていた。

当時はまだ、ダウンタウンもウッチャンナンチャンも全国区ではなく、若手芸人としての“生きの良さ”がそのまま画面に映し出されていた。そんな彼らの姿を“リアルタイム”で楽しめた視聴者にとって、『夢で逢えたら』はまさに“青春の番組”だった。

なぜ『夢で逢えたら』は伝説となったのか?

この番組が多くの人の記憶に残り続ける理由は、大きく3つある。

ひとつは、出演者たちが後に日本のバラエティ界を代表するスターになったこと。ダウンタウンはこの番組で東京へ進出、ウッチャンナンチャンも知名度が向上し、全国区へとステップアップしていく。

ふたつ目は、深夜番組らしい“自由度の高さ”。毎回異なるコンセプトで展開されるコントや企画は、型にはまらない面白さがあり、「次は何をやってくれるんだろう」というワクワク感があった。視聴者との距離も近く、ファンにとっては“身内感”のある番組でもあった。

そして三つ目は、“夢”というキーワードが象徴するように、現実のしがらみを忘れて楽しめるファンタジックな空気感。笑いの中にどこか切なさやロマンを漂わせる作風は、他のバラエティとは一線を画していた。

『夢で逢えたら』がテレビ界に与えた影響とは?

この番組は、ただのお笑い番組ではなく、「深夜の実験的バラエティ番組」というジャンルを確立した存在だった。

その後の『ダウンタウンのごっつええ感じ』や『笑う犬の生活』、『はねるのトびら』など、コント中心のバラエティ番組は、間違いなく『夢で逢えたら』のDNAを受け継いでいる。

また、若手芸人を深夜に起用し、試行錯誤しながら“面白さ”を磨いていくスタイルも、後のテレビ演出に大きな影響を与えた。当時番組のADだった片岡飛鳥氏は、のちに『めちゃ×2イケてるッ!』を生み出し、バラエティ界に新たな潮流を築くことになる。

出演していた芸人たちは、番組終了後もそれぞれが独自の道を歩み、日本のテレビ文化そのものを動かしていく存在へと成長。『夢で逢えたら』は、まさに“スターの原点”であり、“笑いの進化のはじまり”だった。

今も心に残る“夜のワクワク”

1988年から1991年にかけて放送された『夢で逢えたら』は、当時の若者たちにとって“特別な深夜”を彩る番組だった。

お笑い芸人たちがまだ若く、粗削りなまま夢を追いかけていたあの時間。笑いの中に、熱と希望があった。
あの頃の深夜バラエティには、テレビにしかできない魔法があった。

“夢”という言葉にふさわしい、きらめきと刹那を放っていたこの番組は、30年以上経った今も、テレビの原点として語り継がれている。


※この記事は執筆時点の情報です。