時代を駆け抜けた光GENJIという“伝説”
「37年前の今頃、どんなアイドルが人気だったか覚えてる?」
1987年といえば、音楽では中森明菜や近藤真彦がチャートを賑わせ、ドラマでは『男女7人秋物語』や『パパはニュースキャスター』などが話題に。ファミコンは全盛期を迎え、街にはバブル景気の空気が漂い始めていた時代。
そんな中で、ジャニーズ事務所からローラースケートで颯爽と登場したのが、7人組アイドルグループ・光GENJI。
当時のテレビ・雑誌・音楽シーンすべてを席巻し、“社会現象”とも言える人気を誇った彼らの魅力を、いま改めて振り返ってみよう。
ローラースケートで駆け抜けたスーパーアイドル——光GENJIとは?
光GENJIは、1987年にデビューした旧ジャニーズ事務所(現:STARTO ENTERTAINMENT)の男性アイドルグループ。メンバーは内海光司、佐藤アツヒロ、大沢樹生、諸星和己、山本淳一、赤坂晃、佐藤寛之の7人。
「光」と「GENJI」、もともとは別々に活動していた2つのユニットが合体する形で誕生したグループで、そのインパクトあるビジュアルと、何よりローラースケートを使ったパフォーマンスが一世を風靡した。
デビュー曲『STAR LIGHT』はオリコン初登場1位の快挙。翌1988年には『パラダイス銀河』で日本レコード大賞を受賞し、年間シングル売上1位を獲得。1980年代後半のアイドル界において、まさに“トップの存在”となった。
なぜ光GENJIは社会現象になったのか?
まず注目されたのは、当時としては斬新だったローラースケートを使ったステージ演出。ステージ上を自由自在に駆け回るその姿は、他のアイドルとは一線を画す新鮮さがあり、テレビやライブで観るたびに「次はどんな動きを見せてくれるのか」とワクワクさせられた。
また、楽曲も魅力的だった。『ガラスの十代』『剣の舞』『パラダイス銀河』など、どれも耳に残るメロディーと“ちょっと切ない”歌詞で、当時の若者の気持ちに寄り添うような作品が多かった。
さらに、メンバーそれぞれのキャラクターも絶妙だった。やんちゃでアイドルらしからぬ発言も多かった諸星和己を筆頭に、端正な顔立ちでクールな魅力を持つ内海光司、弟キャラで人気を集めた佐藤アツヒロなど、まさに「全方位型」のグループだった。
光GENJIが芸能界に与えた影響とは?
光GENJIの登場は、旧ジャニーズ事務所の“アイドル像”を大きくアップデートした出来事だった。
それまでのアイドルは、どちらかといえば歌唱力や清潔感を重視していたが、光GENJI以降は“見せるアイドル” “動きのあるアイドル”という路線が定着。そのスタイルは、SMAP、KinKi Kids、嵐、Kis-My-Ft2といった後続グループへとしっかり受け継がれていくようになっただろう。
また、グッズ展開やテレビ・雑誌とのメディアミックス、ファンイベントの充実など、今で言う“推し活”の原型とも言えるファン文化を形成したのも、光GENJIの功績のひとつ。
さらに、“アイドルでありながらも個々でバラエティ番組やドラマに進出していく”という流れも、この時期に加速しはじめた。諸星和己のソロ活動を筆頭に、メンバーそれぞれが多彩な才能を発揮し、マルチタレントとしての基盤を築いていった。
今も心に残る、青春の象徴
1987年にデビューし、1995年に解散するまでの約8年間、光GENJIはまさに“時代の象徴”として走り続けた。
彼らの曲を聴くと、あの頃の教室、放課後、テレビの前で夢中になった瞬間が、今でも鮮やかによみがえる。ローラースケートを履いたあのシルエット、光り輝く衣装、そしてどこか儚げな笑顔。
光GENJIは、ただのアイドルグループではない。
日本中の若者たちの青春に、確かに寄り添ってくれた存在だった。
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