1989年、日本の音楽シーンを揺るがした衝撃の一曲
「36年前の今頃、どんな音楽が流れていたか覚えてる?」
1989年といえば、音楽ではプリンセス・プリンセス『Diamonds』が話題を集め、テレビでは『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』などバラエティ番組がテレビ業界を席巻。バブル景気のまっただ中、街は華やかさに包まれ、若者たちは新しい時代の空気に高揚していた。
そんな浮かれた時代に、真っ赤な衝撃をもって現れたのが、後のX JAPANによる名曲『紅(KURENAI)』。
その重厚なサウンド、鋭いビジュアル、そして魂を揺さぶる世界観は、日本のロックシーンを一変させた。
いまや伝説と語られるこの一曲。その魅力とインパクトを、あらためて振り返ってみよう。
“音楽を超えた衝撃”——X JAPAN『紅』とは?
『紅』は、1989年リリースのアルバム『BLUE BLOOD』に収録された、X(のちのX JAPAN)の代表曲のひとつ。バンド初期のライブでもたびたび披露され、ファンとのコール&レスポンスが生まれるなど、まさに“ライブの核”となる存在だ。
穏やかに始まるギターアルペジオから、突如として激しく展開するギターとドラム。哀しみを帯びたメロディと、圧倒的なスピード感の中に込められた切実な叫び。
そのすべてが、日本の音楽ファンにとって“体験”そのものだった。
メンバーは、YOSHIKI(ドラム/ピアノ)、TOSHI(ボーカル)、HIDEとPATA(ギター)、TAIJI(ベース)という黄金の布陣。派手なヴィジュアルと超絶技巧、そしてロックとクラシックを融合させたような壮大な音世界で、従来の「J-POP」にはない新たな価値を提示した。
なぜ『紅』は社会現象になったのか?
『紅』がここまで語り継がれる理由は、その圧倒的な“オリジナリティ”にある。
当時、日本の音楽シーンでヘヴィメタルやスピードメタルといったジャンルが注目されることはまれであり、ましてやそれをテレビ番組でパフォーマンスすることなどほとんどなかった。そんな中、Xはテレビに登場し、爆発的なパフォーマンスで“視覚と聴覚のすべて”を一気に持っていった。
『紅』の歌詞は、失った愛、孤独、怒りといった内面の深い感情を鋭く描きながら、どこか救いも感じさせるものだった。TOSHIの張り詰めたハイトーンボイスがその世界観をよりリアルに伝え、YOSHIKIのドラムが曲に重厚さと美しさを与えていた。
ライブでは観客の「紅だー!!」というコールとともに始まるのが恒例であり、バンドとファンがひとつになる瞬間として、今もなお語り継がれている。
X JAPANが音楽界に与えた影響とは?
X(後のX JAPAN)の登場によって、日本の音楽シーンは大きく動いた。
まず、“ヴィジュアル系”という新たなジャンルが形成されるきっかけとなった。Xの派手なメイクや衣装、世界観に影響を受けて登場したLUNA SEA、GLAY、MALICE MIZER、DIR EN GREYなどは、その後の90年代ロックシーンを彩る存在となった。
また、X JAPANは「ロックバンドが東京ドームを満員にできる」という前例を作り、メタルやハードロックといったジャンルがメジャー音楽として市民権を得る流れを作り出した。
YOSHIKIのクラシック的アプローチやドラマティックな曲構成は、“ロック=過激”というイメージを越えて、“芸術”としての価値を提示し、ロック音楽に新たな深みを加えただろう。
そして何より、“音楽で魂を叫ぶ”というX JAPANの姿勢は、多くのアーティストとリスナーにとって、時代を超えるメッセージとなった。
36年経っても色褪せない“音のドラマ”
1989年に発表された『紅』は、単なるヒット曲ではない。
それは、時代を超えて生き続ける“魂の叫び”であり、日本の音楽史に深く刻まれたひとつの到達点だ。
「紅に染まったこの俺を 慰める奴は もういない」——
その歌詞が持つ悲しみと力強さは、今なお多くの人の心に響き続けている。
どんな時代でも、どんな心境でも、この曲を聴くたびに揺さぶられる何かがある。
『紅』はこれからも、ロックの原点として、多くの人々の記憶と魂に焼きついていくだろう。
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