“いい歳して●●●”、“女なんだから●●●”と社会的な常識、世間体に抑圧されて、苦しい気持ちになることが多い昨今の日本。働き方の自由が社会的にも認められてきたように、自分らしく、多様な価値観で生きるということはできないのでしょうか? 最終回はTRILLのテーマでもある「自分らしく生きる」ことについて、一緒に考えていきましょう。
なんであの人はいつまでも結婚できないのか。あのシングルマザーの父親は誰なのか、なぜ離婚したのか……etc.
そうした非常に個人的なことに対し、赤の他人が「道徳的でない」「許せない」と憤慨し、有名人でもあろうものなら、公の場に引っ張り出し糾弾する、という現代日本のメディアバッシングやSNSでの批判というのは、非常にプライベートな部分に関する他人からの干渉や倫理観の押しつけであって、本来はあってはならないこと。
生き方の寛容性が広いフランス人にはなかなか理解のできないことかもしれません。
例えば、「不倫」という言葉はフランス語にうまく訳せません。
もちろん“婚外恋愛”は、概念的には存在しますが、日本のように「不倫」=モラルに反したもの、といった表現をしないのです。
もちろん人を傷つける婚外恋愛を無差別に肯定するものではありませんが。
妻以外の女性を愛していることが表沙汰になった政治家がいたとしても、きちんと公務を果たしていさえすれば、国民はプライベートな部分に関して問題視しない、という大人の国。
たとえそれが公には許されぬ愛の形であったとしても。アムールの国といわれるだけあって、恋愛に関しては寛容なのです。浮気から始まった恋も本気になれば、そこで“大人の責任”をとって清算します。世間体を気にして元サヤに収まるとか、愛がなくなったのに仮面夫婦で共同生活を続ける、ということは滅多にないのです。
同じように、人が何歳まで独身でいようが、いつ結婚しようが、父親の違う子どもを何人か産んでいようが、そういったことはすべては、他人には関係のないこと。
基本、クールにそう振る舞う人がほとんどなのです。
実際のところ、心の奥底ではどう思っているかはわかりませんけれどね。
なぜ日本とフランスで、このような違いが生まれたのでしょうか。その大きな原因のひとつは、教育の方法論の違いと哲学教育、そしてその実践訓練にあると考えられます。
日本の学校教育、特に算数や数学においては、正解か不正解かのどちらかしかありません。問題に対する答えはただひとつ。
ですから、テストの解答用紙も選択肢型や穴埋めであることが非常に多いのです。
また、算数や数学だけでなく、国語の読解や歴史教育など、本来は多様な価値観によって様々な解答が出てくるであろう問題にいたるまで、<正解はひとつ>を前提として教育しているように感じます。
でも、実際に世の中に出れば、人生は正解がない問題ばかり。
選択肢すら与えられず、自分で答えを導き出すしかないことも多いですよね。
子育てのマニュアル、健康雑学、都市伝説の真偽、はたまた個々に事情の異なる人生相談まで、自分で判断しなければならないことはいっぱいあります。
現代は便利なネット社会ですから、WEB上に答えを探す人は多いですが、二次元のバーチャル世界では、自分の人生にとっての本質的な答えが見つかることはないでしょう。
対してフランスはというと、それが算数や数学であっても、正解・不正解という基準のみで点数をつけることはありません。
テストの多くは選択肢型ではなく、論述式です。まっさらな白紙が配られるのです。
生徒たちはただ最後の解答を書けばいいのではなく、そこに至るまでの計算式、またその答えに至るまでの思考回路を美しく、またわかりやすく表現し、説明しなくてはならないのです。
ですが、たどりついた結論自体は間違っていたとしても、途中までのロジックが正しければ点数がつきますし、さらに解答用紙が美しい文字で仕上げられていたら、それに対する加点すらあるそうです。
ひとつの正解を出すことよりも、他人を説得できる論述力、そして美意識が必要とされている、といえます。
子ども時代から繰り返しそのような教育を受けることで、自分独自の考え方、表現の仕方が確立していきます。
また、正解はひとつではない、という教えがあるからこそ、自分と違う価値観で生きる他人の生き方に対してとやかく言うことがなくなるのでしょう。
ひとつの正解が求められがちな日本では、そこからはみ出した人生を歩むことに肩身の狭い思いを抱かなければなりません。
大人になったら結婚することがひとつの正解だ、と、みなが理由もわからず従っていることをきっかけに、あらゆる弊害が起こっているのです。
「どうして結婚したいのか、もはやわからない。さらに言えば本当に結婚したいかもわからなくなってきた」と。
「私はなぜ結婚したいのだろうか」と。
そして、もし結婚を考えている人がいるのなら「この人は、どうしても他人に渡したくないかけがえのない相手、と思えるのだろうか」と。
結婚したいのは、本当にあなたですか?
もしも<結婚することが必ずしも正解でない>という意識がこの日本に広まったならば、多くの未婚の人たちの苦しみは軽減されるでしょう。
いろんな人がいていいんです。
多様性があるからこそ、社会は面白いのです。
そして、社会が変わらないのであれば、まずは自分から変わりましょう。
自分自身が周りの人の多様性を受けいれることで、ありのままの自分も受けいれられる突破口を作ることができるかもしれません。
人の数だけ生き方や意見の違いがあるものです。
まずは自分自身がどうしたいのか。
そこを基準に考えられる<ミーファースト>思考で生きようではありませんか。
単に自己中心的にわがままに生きることではありません。
相手にも相手の人生があることを尊重し、そこには立ちいらない。
逆にパートナー同士であれば、お互いがお互いの生き方を尊重しあう、それがミーファーストの真髄です。
一度きりの人生、自分らしく生きていきませんか?
前回の記事はこちら→好きな男に去られたときに読みたい。男に選ばれるって?
最初から見る方はこちら→【年齢×結婚の相関関係】ってなんだろう?
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第2回の記事はこちら→【婚活】って何なんだろう?本当に必要なの?
第3回の記事はこちら→「若くない=女性として魅力がない」ってこと?
Edit:TRILL編集部