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仮面ライダー誕生55周年記念! 仮面ライダー1号=本郷 猛を演じた藤岡 弘、氏特別インタビュー

  • 2026.11.4
cocrecoインタビュー冒頭でも語られる、エキスポランドの階段をサイクロン号(変形前)で駆け上る本郷 猛=藤岡 弘、氏 ©石森プロ・東映 PHOTO/講談社

今年2026年、テレビシリーズ開始から55周年を迎える「仮面ライダーシリーズ」。今も大人気を誇るシリーズの元祖こそ、1971年に始まった『仮面ライダー』でした。

その主役である本郷 猛(=仮面ライダー1号)を演じた藤岡 弘、氏に、2026年9月3日に発売される「テレビマガジン特別編集 仮面ライダー 昭和46年~48年 講談社所蔵写真集 究極」(講談社刊。税込み定価:1万9800円)を見ていただきながら、当時の思い出を語ってもらいました。

『仮面ライダー 究極』の掲載スチールを見て

cocreco『仮面ライダー 究極』のページを前に、撮影の思い出を語る藤岡 弘、氏 PHOTO/講談社

これも自ら挑戦したものでした。主役自ら(大阪・エキスポランドの)階段をオートバイで駆け上がったり、ダイダラザウルス(ジェットコースター)のレールの頂上でアクションをするなんて、取材に来た記者さんも想像しなかったでしょうね。

私はさまざまな武道の段や大型自動二輪の免許を持っていたので、それが、『仮面ライダー』という作品にマッチしたんでしょう。私も自分の特技が活かされる作品に出会えるなんて思ってもみませんでした。

(仮面ライダー1号の単体スチールを見ながら)ああ、これも、これも私だなぁ。事故が起きる(第9話~第10話前後)前の仮面ライダーは、ほとんど私が演じていましたからね。

俳優になった私

cocrecoジェットコースターのレールの頂点で、敵を待ち受ける本郷 猛 ©石森プロ・東映 PHOTO/講談社

映像界に憧れて故郷(愛媛県)から上京してきた私は、小さな劇団の俳優養成所で訓練を受けながらアルバイト中にスカウトされ、“松竹”という大きな映画会社のニューフェイスとしてデビューを果たすことができました。そこには眩しいほどのきらめきを放つ俳優さんや、優秀なスタッフの方々がいらっしゃって、私も新人ながら、先輩方の背中を必死で追いながら、夢を追っていたんです。

しかし、当時の松竹は“都会的な香り”が漂う青春路線の映画を中心に制作していて、私も何本かの作品で主役に選ばれ、“青春をテーマに活動する若者”を演じていましたが、山の中を走り回って育った“野生児”で、武道の鍛錬に明け暮れていた私には、なんとなく馴染めないものがあってね(笑)。

もしも、あのまま松竹に残って映画に出続けていたら、今とは異なる“俳優・藤岡 弘、”になっていたかもしれませんね。

本郷 猛を演じることに

この作品に出会えたことで、本来の“アクティブさが表現できる藤岡 弘、”という俳優になり、それが、後に東宝映画でのハードアクション作品(『野獣狩り』『野獣死すべし 復讐のメカニック』)やスペクタクル作品(『日本沈没』『東京湾炎上』『エスパイ』『大空のサムライ』)、USA映画『SFソードキル』主演、大河ドラマへの出演に繫がっていったんだと思っています。

撮影に入る前、石森(石ノ森章太郎)先生の原作漫画を読んだのですが“仮面ライダーが空中を飛び回る場面”に驚いたことを覚えています。「私が仮面ライダーの姿で演じるのはいいけれど、これ(空中アクション)、どうやってやればいんだろう?」と、何もわからず不安を覚えたこともありますね。

ただ、武道の経験があり、擬闘にも大変興味があり、大型二輪免許も所持し、経験があったので、アクション全般には自信もありました。とにかく、「この作品を乗り切らないことには、私の未来はない!」と考え、不安はありましたが、プロのスタントマンたちから学ばせていただきながら、撮影に挑んでいました。

撮影現場のプロフェッショナルたち

cocreco当初は変身後の仮面ライダー1号も、藤岡 弘、氏が演じていた ©石森プロ・東映 PHOTO/講談社

『仮面ライダー』の撮影時、東映生田スタジオには各映画会社から“プロフェッショナル”な職人が集まってきました。そんな人たちが、私の“命懸けの芝居に向き合う姿”を見ていたと思うんです。日本の映画界を背負ってきた超プロの技術者が持つあらゆる技術を駆使し、撮影に挑み、不自由なことも多いなか、素晴らしい仕事をこなしていました。

生田スタジオの所長さんもそんな1人ですが、当時の映画界には優秀なプロフェッショナルなスタッフが数多くいらっしゃいました。人間の生き様に好奇心を持って取り組み、それぞれの“哲学”のようなものを持ちながら映画制作に取り組んでいくような方たちでした。

小道具はもちろん予算が無いなか、さまざまなアイディアで苦労していました。撮影、照明係の方たちは、日本映画で鍛えたプロの照明技術を駆使し、見事な恐怖の場面を醸し出してくださいました。撮影キャメラマンの皆さんは、自動車のボンネットやオートバイを運転するスタントマンの背中に自身の体をロープで固定し、走行させながら被写体を狙うというアクロバットのような撮影にも挑戦していましたが、すべては“キャラクターのかっこいい映像を押さえて番組をヒットさせる”ための努力だったのでしょう。

大野剣友会の皆さんはすごい連中で日夜、過酷な鍛錬をして擬闘の技を高めて、備えていましたが、それを私にも求めてきましたが、一筋縄ではいかないものでした。高い崖でアクションをしているとき、殺陣師さんが私に「藤岡~っ。絶対に大丈夫だから飛び降りてこい!」と言うんですが、仮面ライダーのマスクは視界が悪いから着地点が見えない。しかもそこには、座布団のような小さなマットが2つ敷いてあるだけなんですよね(笑)。でも、やらないと次に進めないので勘を頼りに飛び降りる。常にそんな感じで撮影に挑んでいました。

あの名場面はこうして生まれた!

cocrecoインタビューでも語られる、ロープウエイのゴンドラ内でのアブゴメスとの戦い! ©石森プロ・東映 PHOTO/講談社

サイクロン号(変形前)でのオートバイアクションも大変でした。後部についている6本のマフラーが鉄製のダミーパーツで、バランスが悪いんですよ。だから、急発進させると前輪が浮き上がってウイリー状態になってしまうので、スロットルを調整して減速し、着地させる。しかも、車体が重いからブレーキが利きにくいという、やっかいなマシンでした。だから、後の撮影中のオートバイ事故は、起こるべくして起こったともいえるのかな。

撮影も2年目となり、初夏を迎えたころの私は、周囲の方からの応援もあってかなり忙しい状況になっていました。一般ドラマ(『私は忘れたい』『さすらいの狼』)への出演や、その後、次々と続いていく東宝映画の撮影準備などが重なり、時間に制約が生まれましたが、それでも『仮面ライダー』の撮影には限界まで参加しました。

あまりにも忙しすぎて寝不足の状態で現場に行くこともありましたが、監督さんたちは、淡々と現場をこなしていく。「今日はここの芝居ね。これやって。次はこんな動き!」って感じで撮影を進めていく。殺陣師さんも「ここで殴ってからジャンプ。藤岡ちゃん、できるよね!」といきなり言ってくる。

「ちょっと、待ってよ!」ということもありましたが、当時の私は、撮影前に必ず柔軟体操をしてコンディションを整えていました。これは“現場で生き残るための手段”みたいなものでした。

神戸・六甲山での撮影では、命綱なしで怪人(アブゴメス)と走行するロープウエイのゴンドラで格闘シーンを行いましたが、後から映像を見て「よく落ちなかったな」と肝が冷えました。実はゴンドラの床に油が塗ってあり、滑りやすい状態だったので本当に怖かった。しかもその後、動いているゴンドラのふちに摑まって宙吊りになりますが、人間って“覚悟を決める”とかえって冷静になるんですね。演じているときは恐怖を感じなかったな。

俳優・藤岡 弘、としての“想い”

cocreco藤岡 弘、氏から、熱い想いのこもった言葉が伝えられた PHOTO/講談社

私は“生きていることが芸術”“生かされていることが芸術”で、「これ以上の幸せはないな!」と思っています。この命が続く限り、表現者として映像業界でさまざまなことに挑戦していくことが、私の“使命”であり、生き様ですね。実を持って虚となす想いで挑み、すべてに感謝し全力で生き抜く。試練に立ち向かい、天命に生きる。

仮面ライダーは永遠に不滅です!

合掌、藤岡 弘、

藤岡 弘、氏プロフィール

1965年に松竹映画でデビューし、1971 年に『仮面ライダー』の主人公・本郷 猛役で一躍人気俳優となる。『野獣狩り』『日本沈没』『大空のサムライ』などの映画をはじめ、『特捜最前線』などテレビドラマでも主演多数。その後もNHK大河ドラマに主要キャストとして8作に出演。アクションシーンはスタントを使わず自らが行いアクション俳優として映像界を牽引してきた。1984年ハリウッド映画『SFソードキル』に主演、日本人として初めて全米映画俳優組合のメンバーとなる。武道家でもあり、さまざまな武道に精通。世界数十ヵ国の紛争地域や難民キャンプを訪れ、ボランティアによる救援・支援活動を行ってきた。2023年大河ドラマ『どうする家康』に織田信秀役で出演、2025年には時代劇『三屋清左衛門残日録 永遠の絆』で榊甚左衛門役を熱演。2024年には芸能生活60周年を迎えた。

まさに究極の一冊! 『仮面ライダー 究極』2026年9月3日発売!

「テレビマガジン特別編集 仮面ライダー 昭和46年~48年 講談社所蔵写真集 究極」(講談社刊。税込み定価:1万9800円)は、その名のとおり、「仮面ライダーシリーズ」とともに歩んできた講談社の所蔵する全写真を洗い直して、全バリエーションの掲載に努めた400ページ超の写真資料集です。

スチールカメラマンはもちろん、講談社の雑誌・ムック掲載の特撮スチールを撮影し続けてきた大島康嗣カメラマン! 放送順ではなく制作順にページを構成していますので、制作の過程にも思いをはせることができるかもしれません。

仮面ライダーファンには必読の本となっています!

cocreco「テレビマガジン特別編集 仮面ライダー 昭和46年~48年 講談社所蔵写真集 究極」(講談社刊。税込み定価:1万9800円)

©石森プロ・東映

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