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不登校の娘が“変わった”中3の夏休み 終わらないイジメに泣いたあの日【前編】

  • 2026.11.4
cocrecoイラスト:べるこ

18歳と16歳の女の子を子育て中のママ(48歳)です。

思い返せば、娘の学校生活は、常に「人間関係」との戦いでした。特定の仲良しグループができるたびに、なぜか娘だけが仲間外れにされてしまうのです。

小学1年生から繰り返された仲間外れ。人を信じられなくなり、不登校になった娘が、再び笑顔を取り戻すまでには長い時間がかかりました。

これは、そんな私たち親子の記録です。

※本記事はママの実体験を取材しプライバシーに配慮し構成したものです。

「どうしてうちの娘だけ?」小学1年生から始まった仲間外れ

始まりは、娘が小学1年生のころでした。当時、娘には仲良しの友だちが何人かいたのですが、そのグループの子たちから急に無視されるようになったのです。

小学1年生の幼い子どもたち。多少のぶつかり合いやケンカがあることは想定していました。でも、まさか無視や仲間外れなんて……。小学1年生でも、無視や仲間外れがあるのかと、私はびっくりした記憶があります。しかし、仲間外れは、そのときだけでは終わりませんでした。

その後、進級してクラスメイトが変わっても、なぜか毎年のように繰り返されるのです。いつも似たような流れで、仲間外れは始まります。仲良しグループからの無視に始まり、陰口を叩かれ、根も葉もない噂話を流される。他のクラスメイトに「あの子とは遊ばないほうがいいよ」と根回しをされることも多々ありました。

そのたびに私は学校と話し合いを重ね、家では傷ついた娘を励ます日々。「明日はきっと大丈夫だよ」「次は気の合う子が見つかるよ」根拠のない言葉を放つ自分に、嫌気がさすこともありましたが、なんとか娘の気持ちが前向きになるようにと考えていた気がします。

娘はもともと明るくて、裏表のない素直な性格。噓をつくのが下手で、人の悪口を言うことを嫌うようなところがありました。素直でまっすぐなタイプだと思います。

娘は比較的育てやすい子で、私はそれまで、子育てで大きく困った記憶がありませんでした。だからこそ、この出来事は、私にとって初めて直面した“子育ての壁”だったのです。どうして娘ばかり嫌われるのか、どうして標的にされてしまうのかが、ずっとわからなかったのです。

今思えば、最初に仲間外れを経験したころから、娘は友だちの表情や言葉を必要以上に気にするようになっていたのかもしれません。

仲間外れの原因は娘にはない そう信じてきたけれど…

仲間外れが発覚するたび、学校側は迅速に対応してくれました。相手の子やその保護者から、直接謝罪を受けたことも一度や二度ではありません。

謝罪のあとは、一時的に状況が落ち着くのですが、数ヵ月もすれば元どおり。今度はまた別のグループから娘は距離を置かれたり、陰で何かを言われたりするようになってしまいます。

最初のうちは、娘を仲間外れにする子たちへの激しい怒りしかありませんでした。けれど、毎年のように繰り返す仲間外れを経験するうち、娘が高学年になるころには、私は自分自身を責めるようになっていきました。

仲間外れの原因は娘にはないはず、そう信じてきました。すべて、仲間外れにする側に原因や責任はあるのだと。けれど実際には「私が知らないだけで、もしかして、娘の性格に原因があるんじゃないか」「私の育て方が悪いから、こんなにも仲間外れが続いているのではないだろうか」と考えてしまうこともあったのです。

学区外の中学なら変われる そう信じていたのに

cocrecoイラスト:べるこ

小学校では、つらい人間関係が6年間続きました。娘にとっては、学校が安心できる場所ではなかったのだと思います。

小学校での人間関係をすべて断ち切りたくて、中学校はあえて学区外の学校を選びました。電車を乗り継いで通うその学校なら、誰も娘の過去を知りません。「きっと新しい人生をやり直せる」そう信じて、希望を胸に娘を送り出したのです。

しかし、その期待はあっけなく裏切られることになりました。入学して間もなく、娘は「学校へ行きたくない」とこぼすようになったのです。理由は、またしても仲間外れ。

「また……?」そう思わなくもありませんでした。でも、せっかく入った学区外の中学校です。しばらくは、なんとかなだめながら登校を促していましたが、ゴールデンウィークが明けるころには、娘は学校を休むことが増えていきました。

「もう死にたい」娘のひとことで私は我に返った

「せっかく新しい中学校に入ったのに、このまま不登校になったらどうするの?」「高校だってあるのよ? 将来のことちゃんと考えてるの?」私はパニックに陥りました。

小学校時代は娘のペースに合わせてきたけれど、娘はもう中学生。学校を変えても、何も変わらないなんて……。私は、もうどうしていいのかわからなくなっていました。焦れば焦るほど、娘への言葉が鋭くなり、私と娘は毎日のように衝突するようになりました。

行き渋る娘を無理やり車に乗せて、校門まで連れていったこともあります。しかし、娘は頑なに車から降りようとせず、後部座席で小さくなってガタガタと震えているだけ。

「どうしてわかってくれないの?」という娘への苛立ちと、「このままでは社会から取り残されてしまうのでは?」という将来への不安。それらが交錯して、私の気持ちは、もうグチャグチャでした。

でも、ここで不登校になってしまったら、仲間外れに屈してしまったことになるのではないか。娘に原因がないのであれば、娘が不登校になるのは理不尽だ。そんなふうに感じていた私は、なんとしてでも、娘を学校に行かせなければと思っていたのです。

そんなある朝、相変わらず起きてこない娘を起こすために寝室まで行ったときのことです。布団を引っ剝がし「ほら、学校に行くわよ」という私に、いつものように泣きながら「行きたくない!」と抵抗する娘。

そんな娘の腕を引っ張ろうとした瞬間、娘がか弱い声で呟いたのです。

「……もう、死にたい」

「え……今、なんて言った……?」一瞬、娘が何を言ったのか理解できませんでした。そして次の瞬間、頭を殴られたような衝撃が走りました。

ああ、私はなんていうことをしてしまったんだろう。大切な娘に「死にたい」とまで言わせてしまった。学校へ行くかどうかよりも、この子が生きていることのほうが、何万倍も大事だったはずなのに。

私はいつの間にか、娘の心ではなく“学校に戻すこと”という世間体ばかりを追いかけていたのです。

文/構成・橘サチ

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