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西川美和監督「子どもが見られる戦争映画、それが基準」|『わたしの知らない子どもたち』

  • 2026.10.27
CEDRIC DIRADOURIAN

戦争は、戦闘が止まった日に終わるわけではない。日本の終戦から81年が過ぎた2026年、西川美和監督の『わたしの知らない子どもたち』は、その事実を私たちに突きつけます。

東京大空襲で両親を、戦後に復員した兄も亡くして12歳で天涯孤独となった少女・琴子は、身を守るために少年の姿になり、生き抜く道を選びます。音楽家の家に生まれ育ち、ピアノが得意だった少女は、同じ境遇の少年たちと支え合いながら懸命に毎日を過ごしていきます。

『わたしの知らない子どもたち』2026年10月16日(金)全国公開 ©2026 K2 Pictures・AOI Pro.

戦後の混乱のなかで、暴力や悪意に晒され続けながらも生命力を煌めかせた子どもたちの物語はどのように生まれたのか。戦争を知らない世代として、戦争を伝えることの意味を西川監督に語っていただきました。

現代の子どもたちが戦争を感じるために

─戦争を題材にした映画はたくさん作られてきましたが、戦争によって孤児になった子どもたちを描く本作を見て、子どもたちにとっては、戦闘状態が終わった後の方がさらに厳しい時間が訪れたのではと思いました。戦争が終わるとはどういうことなのか、考えさせられました。

CEDRIC DIRADOURIAN

西川美和さん(以下、西川) 最近、長崎の小学生や大阪の高校生に見ていただく機会がありましたが、皆さんも全く同じ感想でした。教科書を読んだだけでは、広島、長崎の原爆が落ちて8月15日に戦争が終わり、翌日からいまと変わらない平和な時代が始まったと想像していたけど、「終わらないんだ」と初めて実感したという感想を子どもたちがくれました。

─いまを生きる子どもたちにとって、本当に意味ある作品だと思います。主人公は琴子ですが、『わたしの知らない子どもたち』というタイトルの通り、孤児になった琴子が出会う将吉たちをはじめ、登場する子どもたち全員の群像劇でもありますね。

西川 琴子だけで描いていく方法もあったのかもしれませんけれど、今回は私自身がこの題材をやろうと思い、いろいろ調べていくなかで「知らないことが多すぎる」と感じました。

何を抽出して書いていこうか、その悩みとのせめぎ合いでした。子どもたち一人ひとりの置かれた苦境もそれぞれ本当に千差万別で、時間の中に収まる限りバリエーション豊富に描きたかったので、タイトルを複数形の“子どもたち”にするのは絶対条件だったと思います。

─今回初めて少女を主人公にされましたが、戦争孤児というテーマと向き合うとき、少年ではなく少女に目が向いた理由をお聞きしたいです。

西川 戦争孤児の資料を調べていると、男の子の写真が多く出てきますし、路上生活していたのは男の子が多かったと思いますが、その中にちらほら女の子の写真が出てきます。

空襲で同じ数だけの女の子が焼け出されているはずですが、彼女たちはどこに行ったのか。それを調べていくと、男の子にも増して特に性暴力に遭う可能性が多かった。自ら判断がつかないような時期から体を売って生活する少女もいたと思います。

その後どういう大人になったにせよ、彼女たちはそんな自分の過去をおそらく話してないと思うんです。そういった資料が散見される中で、女の子はどうサバイブしたのかを描いてみようと思いました。

─私の母は琴子と年齢が近く、昭和20年に小学6年生でした。この映画について彼女に話すと、「その子どもたちだった人はどう思うのかしら。つらいんじゃないかしら」と言いました。母は当事者ではないですが、この映画は世代によって受け止め方がさまざまなのだろうなと感じています。

西川 おっしゃる通りだと思いますね。「思い出したくもない」と語られない方が大半だったと聞きますし、そんなことをいまさら掘り返されて当事者たちが喜ぶことではない、というのはひとつの確かな意見だと思いますね。

─ 一方、西川さんはノンフィクション・ノベル「深海の船」(小学館)の連載第4回で、実際に戦争孤児だった吉田由美子さんから聞いたお話をまとめられています。

あれだけで本当に1つの作品が作れるくらい壮絶な内容でしたが、琴子のキャラクターに直接は反映しなかったと聞いています。それでも琴子の中に何か残したもの、そのお話から受けた影響をお聞きしたいです。

西川 吉田さんだけでなく、何人かにお話を聞いたり、さまざまな証言を読みました。現実の当事者たちは、この映画で描く個人の状況とは比較にならないほど辛い経験をしています。それを子役に演じさせて実写で描くとなれば、とても人に見せられないものになってしまいます。

それゆえに個人の語りは研究書の中に留まったり、小説やエッセイとして書かれるくらいなのだと思います。吉田さんたちから何度もそういうお話を聞くことで、むしろ直接描かない方がいいのではないか、と思うようになりました。

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実態を描けばおそらく多くの人が見ることを避ける作品になってしまうし、描いたからといって、戦後12万人以上あふれていた孤児たちの無念を晴らせるわけでもない。

何のためにこれをやるのか、ということを考え込むうちに、自分の中に出てきたのは、過去の戦争にほぼ全く触れる機会がなくなった現代の子どもたちが「戦争がもたらすものは何なのか」を少しでも感じ取るための一番柔らかいステップになるような作品を作るということでした。

当事者の方と全面的に向き合う態度ではない形で作りましたが、だからこそ「深海の船」は、それでもお話を聞かせてくださった吉田さんの話をあまり脚色なく、多くの人が読める機会にしたいと思って書きました。

この映画のなかで唯一、吉田さんたちからのお話で再現したのは、非常に過酷な体験ばかりのなかで、隣に住んでいた誰かや学校の先生、幾人かの大人が時折優しい言葉をかけてくれたことです。それが人生の転換点や支えになり、ずっと忘れずに大切な思い出として持っていることが重要だと思いました。

周りの大人たちの言葉や一つの行動で全てを救えるわけではないけれど、局面ごとに手を差し伸べようとするところは、映画で描こうと思った部分です。

広島出身だからこそ考える子どもの感じ方

─琴子を演じた小八重葵美(こやえあみ)さんはほぼ初めてのお芝居だったそうですが、素晴らしかったです。普段の様子を見ると、ごく普通のいまどきの少女ですが、どのように演技を引き出されたのですか。

西川 やっぱり感覚があるんでしょうね。上手い俳優は普段は普通なんですよ(笑)。そういう星のもとに生まれた人という感じがします。スイッチが入ればすぐにそうなれる子なんだと思います。あの年齢にして、脚本が読めるということも最初から感じていました。

映画初主演を務めた琴子役の小八重葵美さん。戦後の混乱のなか少年の姿で生きる少女という難しい役どころを堂々と演じきり、観る者を惹きつける圧巻の演技力を見せた。 ©2026 K2 Pictures・AOI Pro.

とはいえ、時代設定の理解は全くできていない。戦争というものへの知識がほぼなくて、疎開という概念すらわからずにオーディションに来ていました。こういう子たちが演じるということが私たちにもわかったので、スタッフと時間をかけて勉強会を何回かやりました。

ただ、子どもたちがどう感じるのかも個人差があります。そこで大きな言葉を子どもたちの中から引き出すのが目的ではなかったので、感じ方はそれぞれだし、受け止めきれなくても仕方がないとも思っていました。

私は広島出身なので、子どものころから原爆の被害の話を繰り返し聞かされてきましたが、それを聞いて子どもの立場で大人が納得するような言葉を発するのは意外と簡単なんです。

だからといって、それで本当に戦争について向き合えるようになったかはまた違う話ですから、私たちが納得するようないい言葉を言ってくれなくても、この子たちが「何を背負ってこの役をやればいいのか」を感じてくれれば十分だと思っていました。

子どもたちは実生活で体験したことのない激しいマイナスな感情も劇中で演じなければいけなかったので、スタッフと一緒に繰り返しリハーサルをしました。彼女や彼らがいままでの人生で経験したこともないような感情を出したんじゃないでしょうか。よく頑張ってくれたなと思います。

─琴子が少年の姿になって、靴磨きや新聞売りの少年たちと仲間になってからの生活は映画『スタンド・バイ・ミー』(1986)のような印象も受けました。

西川 子どもたちだけで生きていくのは非常に過酷な反面、ある種、子どもが憧れる要素もあるのではないでしょうか。現実の悲惨さだけで描き切るのではなくて、子どもたちだけの冒険物語としての魅力もなんとか保ちながら、大人も子どもも夢中になって見られるような映画にしたいと思っていました。

いま見てほしいからこそ、あえて描かないもの

─リーダー格の将吉には、前作『すばらしき世界』(2020)の主人公・三上を思い出しました。洞察力があり、自分はもうここから抜け出せないという諦めがあると同時に、琴子には別の道があってほしいという希望がないまぜになっています。

西川 まさに、戦争孤児たちと育った『すばらしき世界』の主人公の幼少期版というイメージで書きました。身寄りがなくなって、最終的に救いがあるわけでもなかった子どもが一体どういう人生に陥っていくかということを将吉で描きたかったんです。

琴子とは別軸でのもう一人の主人公だと思っていたので、もっと長くドラマを描けるのであれば、琴子について戦時中から書いたように、将吉が東京大空襲に遭う以前も同時並行的に描きたかったですね。

─琴子の担任教師だった曽根文美子は戦後、乳飲み子を連れて琴子の行方を探します。曽根は戦中から戦後にかけての大人の立場の1つを象徴する役割でした。演じた二階堂ふみさんとは脚本ができる前からお話されていたそうですね。

西川 二階堂さんの『ELLE』の対談連載に出させていただいたのがきっかけでした。俳優と映画の撮影以外でお付き合いすることはほとんどないので、その人の人となりや物の考え方に触れる機会は、実は映画監督にはあまりありません。ですが、対談のなかで、二階堂さんがどういう考えで社会活動や動物の保護活動に取り組んでいるか、また政治や歴史についての認識などを垣間見てお人柄がわかってきました。

琴子の担任教師、曽根文美子を演じた二階堂ふみさん。戦後の価値観の変容のなかで葛藤する大人の姿を繊細に演じている。 ©2026 K2 Pictures・AOI Pro.

その時点でこの役を、という発想はなかったですけれども。曽根はいまの20代とは価値観も経験してきたことも全然違います。それは子どもたちと条件が同等なのですが、沖縄出身でもある二階堂さんは戦争に対する知識や考え方も含めて、ベースがあるから任せられると思いました。

実はあまりカタルシスがないというか、自分の感情を爆発させるようなことも少なく、ひたすら内省を繰り返す“忍耐”の役だったので、非常に悩まれながら、お芝居をされたのではないかと思います。

─この作品の素晴らしさは、悲惨な物語を生々しく描写せず、なおかつその過酷さがしっかり伝わってくるところにあると思います。描くうえで、何を見せて何を見せないか、その判断でこれだけは譲らなかったということはありますか。

西川 子どもでも何とか見られる戦争映画という、それだけが基準でした。若いお母さん世代は子どもが痛め続けられるようなものを見たくないという話も聞いて、それはそうだなと納得しました。

戦争孤児の映画といえば高畑勲監督のアニメ『火垂るの墓』(1988)がありますが、若い世代は『火垂るの墓』ですら悲惨すぎて子どもに見せたくないという方もいるそうです。極端な悪意や流血、空襲、肉体的な損傷や死体などは、戦争を描くうえで避けて通れない要素ですが、逆にそういうものは観客にはもはや想像の範疇で補えるので描かないことにしました。

─音楽について、『国宝』(2025/李相日監督)の原摩利彦さんが手がけられていますが、かなり早い段階で参加されたそうですね。

西川 2019年に『すばらしき世界』を撮っていたころ、李相日組と共通する録音技師の白取貢さんから、原さんという非常に素晴らしい才能を持った音楽家がいるから、ぜひいつか仕事をしてほしいと言われまして。李監督も、白取さんからの紹介で原さんの起用を決められたはずだと思います。

原さんの音楽をCDで何曲か聴かせていただいているときに、いろいろな映像が浮かぶ人だなと思っていました。まず一緒にCMのお仕事をする機会があり、本作については2023年時点で声をかけさせていただきました。

─原さん作曲のテーマ曲を演奏するのが東北ユースオーケストラ*です。この作品は本当に、さまざまな分野で年若い10代の人が関わっていますね。

西川 東北ユースオーケストラは原さんからのご提案でした。子どもと音楽というのがひとつのテーマですし、東日本大震災で一度音楽をする機会を失った経験がある彼らと琴子には近いものがあると思います。彼らも積極的に関わってくれまして、楽しそうに演奏するのを見ることができたのは何よりでした。

*東北ユースオーケストラ=東日本大震災の復興支援をきっかけに誕生し、岩手・宮城・福島出身の小学生から大学院生までの若いメンバーで構成される混成オーケストラ。故・坂本龍一さんが音楽監督・代表を務めた。

“知らない人間は書けません”では、何も伝わっていかない

─最後に、戦争を描くということについてお聞きします。別のインタビューでは、経験したことのない戦争を描くことにためらいがあったとお話しされています。ただ、殺人や、大切な人が亡くなるという映画を撮ることに対しては、そこまでのためらいはないはずなんじゃないかと思うんです。

経験していないことを描くことに対するためらいが、戦争という題材に限って、なぜこれだけ強く働くのか、どうお考えですか。

西川 作家が自分の経験してないことを描けないんだったら、何も描けないと思いますね。

でも先の戦争についてのためらいを持つのは、 やっぱり、その痛みを実感している人がまだいらっしゃるし、その過失や喪失が、この国を沈めるほどの重さであったことを感じるからじゃないでしょうか。私が学んで描く“本当”と、体感した人の“本当”はズレがあるはずで、そんなものではないと怒りを覚える人がまだそこにいる怖さは常にある。

「お前にはわからない、経験しないものには決してわからない」という感情は、過酷な思いをした戦争経験者のなかにはあるものなので、その感情を受け止めながら、それでも描くかどうかというところだと思いますね。

─それでも描くのは……

西川 それは伝えていく人たちがもういなくなるからです。そういう感覚に切り替わったのは、脚本を書き始めて1、2年してからですね。

単純に知らないことがこれだけあるから記録しておこう、というのが始まりでしたが、ウクライナ侵攻が始まって世界の戦争は止まないんだということがわかったときに、それと並行してどんどん日本の体験者たちは亡くなっていくことに気づきました。つまり語りが絶えていくわけです。

“知らない人間は書けません”では、何も伝わっていかないという考え方に変わっていったのです。

CEDRIC DIRADOURIAN

【インタビューを終えて】

笑顔を交えながら穏やかに話す姿から、飾らず気負いのない人柄が伝わる西川美和監督。けれども、その穏やかさの奥には妥協のない芯があります。

吉田さんの証言を直接描かなかった理由、画面に映さないと決めたもの、戦争を描くことへのためらい。どの問いにも、監督は言葉を探しながら、ご自身の考えをそのまま話してくださいました。迷いを隠さず、その迷いに責任を持ち続ける方です。この映画の誠実さは、その向き合い方から生まれているのだと感じました。

最後に「それでも描くのは」と尋ねると、柔らかく語ってきた口調が一瞬、熱を帯びました。そのひと言は、考え続けてきたその先でたどり着いた答えなのでしょう。

琴子をはじめとする子どもたち一人ひとりの物語は、戦争が彼らにもたらした過酷な現実を伝えます。ひと足先にこの映画を観た長崎や大阪の子どもたちが実感したその感覚を、もっと多くの人に、特に若い世代に分かち合ってほしいと切に願います。

映画の原案小説も発売中! 『わたしの知らない子どもたち』

Hearst Owned

映画では語られなかった物語を収めた西川監督の原案小説も発売中です。身を守るため少年の姿になり生き抜く少女・琴子をはじめ、「生きる」ことに向き合った子どもたちの心象や情景がより深く描かれています。

撮影=セドリック・ディラドリアン スタイリスト=梅山弘子 ヘア&メイク=西澤亜沙美 取材・文=冨永由紀 編集=井本茜(婦人画報編集部)

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