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「寝ると食べるに困らない」が条件 北海道でワインの造り手になるまでの転身の日々

  • 2026.10.18

北海道では、ワイナリーが続々と誕生しています。
大地を切り拓いてブドウ畑を造り、その年のブドウの出来を見極めながら、繊細なワインを醸す。

小規模ワイナリーの造り手には、力仕事をいとわないたくましさと、研ぎ澄まされた感性の両方が求められます。

北海道南部の北斗市にある「トロッコワイナリー」で、醸造栽培責任者を務める石田幸子さんがワインを造ることを志したのは40代になってからのことでした。

「人生の転機ですか? いつも偶然です」

石田さんは屈託なくこう話しますが、その「偶然」を人生の新たな「きっかけ」に変えられたのは、時に迷いながらも前に進むことをためらわなかったからこそ。

そんな石田さんに、ワイン造りを志したきっかけや、この仕事にかける思いを聞きました。

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連載|私のきっかけ

果樹園だった場所をブドウ畑に。ゼロからワイナリーを立ち上げ

石田さんが働くtorocco winery(トロッコワイナリー)は、函館市街と津軽海峡を見渡す北斗市の丘の上にあります。
もともとプルーンやサクランボの果樹園だった場所を引き継いで、2021年からブドウ畑を造り始めました。

ブドウ畑は、日当たりの良い丘の斜面に、合計4haほど。果樹を植え替えながら少しずつ面積を広げてきました。
一方で「地域に溶け込む、という面もいろいろ考えました」と、地元で親しまれた果樹も残しているのだそうです。

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意外だったのは、実はブドウ畑は「やせた土の方が向いている」ということ。

「水はけが良くやせた土地の方が、ブドウの樹がミネラルなどの養分を求めて地中深くに根を張ってくれるんです」と教えてくれました。

「畑はこれからも拡張する予定です。ブドウの樹も毎年、増やしています。今、8,000本くらいあるかな」

北海道という地で、自然とともに生きる石田さん。
ここにたどり着くまでの道のりは、とても意外で、そして「きっかけ」がたくさんありました。

仕事選びの基準は、「寝るところ」「食べるもの」に困らないことだった

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秋田県出身の石田さんは、地元の高校を卒業後、専門学校への進学を機に一人暮らしを始めました。
ところが、実家を出て1年が経つころ、学業を続けるべきか悩む出来事が起こります。

「父が経営する会社の業績が思わしくなく、家計を助けるために、母が下宿屋を始めたんです。それを知って心が痛みました。弟や妹もいるのに、長女の私が好きなことをしていてもいいのかなって」

石田さんは専門学校を退学し、実家に戻って就職。最初に就いた仕事は、旅行会社の添乗員でした。

「添乗員なら、寝るところと食べるものには困らないんじゃないかと思ったんです(笑)」

そして20歳のころ、仕事で訪れた札幌の街が気に入り、札幌市内のホテルに転職。
レストランのスタッフとして働き始めました。

これもまた、「飲食業なら食べることに困らない」というのが前提だったそう。

生活のために選んだ仕事でしたが、慣れてくると「仕事を極めたい」と石田さんの中に変化が起きます。

「この仕事で生きていくなら、資格を取ろう」

仕事でワインを扱っていたこと、飲食業で3年以上の実務経験があれば受験資格があることなどから、選んだのは「ソムリエ試験」。

24歳で見事一発合格。晴れてソムリエとしてのキャリアが始まりました。
意外にも、ワインが好きになったのは、ソムリエに合格してからなのだそうです。

「食べるものに困らない」と飲食業に飛び込み、「飲食で働くための資格をとろう」とソムリエに挑戦する…次のステップを考えながら新しい世界に飛び込む決断がさらに石田さんの未来を変えていきます。

フランスに行ったきっかけは「経験値不足」

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ソムリエとして働くうちに、石田さんは新たな壁にぶち当たります。

「20代半ばの私よりも、お客さまのほうが、明らかにワインに関する経験が豊富なんです。ただ制服を着てソムリエって言って…知識も飲んだ経験もないのになんだか恥ずかしいなって」

「資格」だけではない、本当のソムリエになるために…。
もっとワインについて勉強したいという思いから、フランス行きを考えるようになったといいます。

その一歩を踏み出すきっかけになったのは、偶然手にした一冊の本『ブドウ畑で長靴をはいて 私のロワール・ワイン造り奮闘記』でした。

「著者の新井さんはワインのインポーターとして働く傍ら、フランスにブドウ畑を所有し、ワインを造っていたんです。それを読んで、本当にワインのことを勉強するなら、造るところから始めるのが一番だと思いました」

読み終えるか終えないかのうちに、石田さんは新井さんに手紙を書き、研修生としてフランスの畑で働かせてほしいと直談判しました。

「もちろん、断られましたよね(苦笑)」

しかし、石田さんはあきらめることなく、新井さんに手紙で熱い思いを伝え続けました。
そして、半年ほどが過ぎ、手紙の数が10通を超えるころに、その思いが受け入れられたのです。

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こうして石田さんは、29歳でフランスへ。
本場で1年間、ブドウ栽培からワイン造りまでを学びました。

札幌で再出発!ソムリエとして充実した日々

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フランスから帰国した石田さんは札幌に戻り、ナチュラルワインに力を入れるレストランでソムリエとして働き始めました。

そのお店でシェフを務めていたのが長尾彰浩さんでした。

「長尾シェフの作る料理にワインを合わせることが、ソムリエとして本当に楽しかったんです」と石田さんは振り返ります。

ワインに関する経験値も増え、30代に突入し、充実した毎日…。

ところが3年後、また転機が訪れます。
長尾さんが店から独立することになったのです。

「一緒に働けなくなるのなら、これを機に私は東京でスキルアップを目指そう」

信頼する同僚の独立をきっかけに、自分も新しい環境で挑戦しようと考え、今度は札幌から東京へ移住。
星付きレストランや高級和食店などでソムリエとしての経験に磨きをかけました。

そしてさらに「新しい環境」へ一歩を踏み出します。
そのきっかけは「東日本大震災」でした。

秋田の力になりたい…でも「厳しかった」

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次に選んだのは、経営の道。
少しでも故郷・秋田の力になれたらという思いで、浅草で秋田県の郷土料理「きりたんぽ」のお店をオープンさせました。

「きりたんぽの文化を残したかったし、浅草なら上京した秋田県人が立ち寄ってくれるかなと思ったんです」

しかし飲食店の経営は、簡単ではありませんでした。さらに店を始めて5年になるころ、新型コロナウイルスのパンデミックにも苦しみました。

「すごく厳しかったですね。東京の夏は売れないし…」

結局お店はたたむことにしましたが、それでも石田さんは「やってよかった」と話します。

「やったことがないことにもいっぱい挑戦することができたので。挫折したり難しいことがあったりしても、考える暇なく次のことがやってくるんですよね。だからなんかその流れに乗るみたいな」

その言葉通り、ちょうどそのタイミングで、長尾さんから連絡が入ります。

それは「北海道でワイナリーを手伝ってくれないか」という誘いでした。

「流れに乗る」と言いながらも、このときばかりは「実は正直すごく迷った」という、三度北海道へ移り住む…という選択。

次回の記事では、石田さんが北海道の地で見つけた、長年追い求めてきた生活とワイン造りの今についてお伝えします。

連載|私のきっかけ

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文:菅谷環
編集:Sitakke編集部あい

※掲載の内容は取材時(2026年4月)の情報に基づきます。

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