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初めての手紙が祖父母宛てでモヤモヤ⋯ 母の日・父の日の園行事は廃止なのに敬老の日はなぜ残る?

  • 2026.10.13

こんにちは!保育士のはるです。先日、フォロワーさんからこんなご質問をいただきました。「母の日と父の日に製作をしないのはいない家庭に配慮してのことだとわかる。でも敬老の日はなくならないまま残っていて、保育園で子どもが初めて書いた手紙が祖父母宛てだったことに、なんだかモヤモヤしてしまった」私が勤めている保育園ではそもそも「敬老の日」で何かをするということはありません。ただ、子どもたちが通う園では敬老の日用に手形を作成して一枚持って帰ってきていました。母の日・父の日を園行事から外す園が増えているのは肌感覚として知っていましたし、その理由にも納得しています。でも「じゃあ敬老の日は?」と聞かれると、確かに立ち止まってしまいます。母の日・父の日は保護者がいない家庭への配慮で見直されたはずなのに、祖父母がいない家庭だってある敬老の日は、私の周りではなぜか残っている園が多いように感じます。しかも、初めての「お手紙」という特別な瞬間が、親ではなく祖父母に向けて書かれるとしたら……。そこで、付き合いのある園長先生に「保育園でどんなことしている?」「実際手紙って書いたりするの?」と聞いてみることにしました。園によって家庭行事の在り方、考え方は様々。「廃止する園」「続ける園」「かたちを変える園」、それぞれの理由をたどっていくと、単純に「敬老の日を残すか残さないか」という二択の話ではないことが見えてきました。

「敬老の日」を続ける園、やめる園、それぞれの現場の声

敬老の日に対して何かをするという園はあっても、それが「個々人宛てに何かをつくる」なのか「施設に行く」なのかは異なります。私が以前勤めていた園は、近隣の施設に歌を歌いに行っていました。そもそも家庭行事が園でどう考えられているのでしょうか。

母の日・父の日が園行事から消えた理由

まず前提として、母の日・父の日を園の製作や行事から外す園が増えている背景について、簡単に整理しておきます。 理由としてよく挙がるのは、家族のかたちが一様ではない、という現実です。ひとり親家庭、里親家庭、児童養護施設などで暮らす子ども、両親のいずれかを亡くしている子ども、同性カップルの家庭など、「お母さん」「お父さん」という言葉が必ずしもすべての子どもに当てはまるわけではありません。以前は「お母さんの顔を描きましょう」「お父さんに似顔絵を渡しましょう」という活動が当たり前のようにありました。私が新卒で勤めた園は父の日、母の日の製作があり、ひとり親家庭に対しては保護者と相談して製作をすすめました(祖父母宛てにしたりしたことも)そして、自分自身が幼稚園の時も確かに何か作って渡したし、その結果小学校にあがっても「父の人母の日には何かを渡す」というルーティンができました。ただ、先生に「うちはお母さんいないよ」と小さな声で伝えてくる子がいたり、配慮を求める家庭も増えてきました……そうした場面を積み重ねてきた結果、廃止に踏み切った園やそもそも新設の保育園では「やらない」という判断をしているよう思います。では、なぜ敬老の日は同じように扱われないのでしょうか。

「祖父母への手紙」ではなく「交流のある方への手紙」という発想

ひとつめにお話を伺った園は、系列に高齢者施設があり、保育園と施設が併設されているという、少し特殊な環境にありました。この園では、敬老の日に合わせて子どもたちが手紙を書く活動があるそうですが、園長先生いわく、それは「祖父母への手紙」という位置づけではないのだそうです。「手紙を書く相手は、日頃から交流のある施設の方々です。散歩の途中で顔を合わせたり、一緒に歌を歌ったりする、いわば『顔の見える関係』がある方に向けて書いています。だから自分の『おじいちゃん・おばあちゃんへ』というより、『いつも遊んでくれるあの人へ』という感覚に近いです」そして何より「手紙を書く」ということは強制ではなく、あくまで子どもの主体性から。「子どもに手紙を書くことを強制したことは一度もありません。文字を書くこと自体に興味を持ち始めた子が『あの人に渡したい』と自分から言い出すことが多くて、私たちはその気持ちを後押ししているだけなんです。文字への興味、誰かに気持ちを伝えたいという思い、そのふたつが自然に重なったときに手紙という形になる。行事だからやる、ではなく、子どもの中から出てきたものを大事にしたいと思っています」この園の場合、そもそも「宛先が祖父母かどうか」という論点自体が、少しずれているのかもしれません。子どもたちが手紙を書く相手は、家族という枠組みではなく、日常的に関わりのある大人。家庭の事情によって手紙を書く相手がいない、という状況そのものが起こりにくい設計になっているんですね。

「Familyデー」として対象をまるごと保護者に一本化

ふたつめの園は、母の日・父の日という個別の行事をすでに廃止し、代わりに「Familyデー」というかたちに変えていました。こういった「Familyデー」や「家族の日」といった枠組みにする園をフォロワーさんからも実際に聞いたことがあります。「文字を書くこと自体が難しい年齢の子もいますし、たとえば『お母さん大好き』という言葉ひとつでも、その子の家庭にとってしっくりくる言葉かどうかはわかりません。だから私たちは、まず『ありがとうの気持ちを形にする』という製作の部分に重きを置いて、言葉は『いつもありがとう』のようなシンプルなものを、保育士が代わりに書き添えるようにしています。Familyデーという名前にしたのも、家族のかたちを園が決めつけたくなかったからです。お父さんお母さんという枠でも、おじいちゃんおばあちゃんという枠でもなく、その子にとって家族と呼べる人に向けて渡してもらえたらいい、というスタンスです」この園長先生が強調していたのは、「誰が」「何を」「誰宛てに」書くのかという要素を、あえて切り分けて設計しているということでした。手紙という形式そのものが持つ誰に向けて書くか問題を、子どもが自分で考えて渡すという部分で緩和しているのだと思います。

行事は伝えつつ、「渡す・渡さない」は保護者の判断に委ねる

最後にお話を伺った園長先生は、母の日、父の日、敬老の日、そのいずれについても「いない家庭があることは理解している」と前置きしたうえで、行事の説明はクラスで行っているというスタンスでした。「園で作ったもの、書いたものを、実際に渡すかどうかは各家庭の判断に委ねています。もし祖父母に渡したくない事情があるなら、渡したことにするのでも構わないと保護者の方には伝えています。園としては書く・作るという体験を大事にしていて、そのあと誰にどう渡すか、渡さないかまでは踏み込まない、という線引きです」つまりこの園では、行事そのものをなくすのではなく、「最終的な使い道」を家庭に委ねることで、多様な家庭の事情に対応しているということ。「以前、敬老の日の由来を保育の中で話したときに、ある子が『じゃあ、いつも会ってるおばあちゃんに書きたい』と自分から言い出したことがありました。私たちが書きなさいと促したわけではなく、由来を知ったその子自身の中から出てきた気持ちです。ああ、こういう自然な形が一番いいんだろうな、と感じた出来事でした」園が一方的に「敬老の日だから手紙を書きましょう」と決めてやらせるのと、由来を伝えたうえで子ども自身の気持ちから行動が生まれるのとでは、同じ「敬老の日の手紙」でも意味合いがまったく違ってくるように思います。母の日・父の日も同様で、CMやデパートの広告で見た子どもたちが「ママに渡したい」という思いに対してはそれを手伝ってあげる、というスタンスです。子どもの主体的な活動は、こういった「渡したい」という思いも繋がるのではないでしょうか。

モヤモヤの正体は「行事の有無」ではなく「決め方」だった

保育園側で家庭行事に様々な工夫を凝らしている一方で、その工夫が保護者に十分に伝わっていないのではないかと感じることもあります。フォロワーさんのモヤモヤもそんな「園の工夫が見えない」というところからでてきているのではないでしょうか。

違和感はどこから来るのか

さて、ここで最初のご質問に戻ってみたいと思います。「母の日父の日はいない家庭がいるからわかる。でも敬老の日はなくならないのはなぜ?」というモヤモヤです。3つの園の話を聞いたあとであらためて考えると、この違和感は「敬老の日という行事の存在自体」から来ているというより、「なぜうちの園は敬老の日だけ残したのか、その理由が自分には伝わっていない」というところから来ているのではないか、と私は感じました。もし、先ほど紹介した一つめの園のように「祖父母ではなく日頃交流のある方への手紙です」という説明が事前にあれば、印象はかなり変わったはずです。あるいは3つめの園のように「渡すかどうかはご家庭の判断で大丈夫です」という一言が添えられていれば、モヤモヤは軽くなっていたかもしれません。逆に言えば、行事自体をやめていたとしても、その理由が保護者にきちんと共有されていなければ、別のモヤモヤが生まれていた可能性もあります。「うちはなぜ母の日をやらないんだろう」「子どもに何も経験させてもらえないのはさみしい」と感じる保護者の方も、実際にいらっしゃるのではないでしょうか? つまり問題の核心は、行事を「やるか・やらないか」ではなく、「その判断がどう決まり、どう伝えられているか」にあるのではないか、というのが、今回の一見を通して私が一番強く感じたことでした。

配慮の対象と手段を分けて考える

3つの園の事例をもう一度整理してみると、実はそれぞれが「配慮すべき対象」と「配慮の手段」を分けて考えていることに気づきます。たとえば一つめの園は、「対象」を祖父母から日常的に交流のある人へと広げることで、家庭の事情による差が出にくい設計にしていました。二つめの園は、「手段」である手紙という形式そのものを見直し、言葉の部分を保育士が担うことで、子ども自身が言葉選びに悩む場面を減らしていました。三つめの園は、「渡す・渡さない」という最終的な使い道を家庭に委ねることで、行事はそのままに、対応の柔軟性を持たせていました。このように見ていくと、「敬老の日をやめるかどうか」という一点で判断するのではなく、誰に向けたものにするか、誰が言葉を選ぶか、最終的にどう使うかを家庭に委ねられないか、という複数の切り口で検討している園ほど、結果的にモヤモヤの生まれにくい運用になっているように思います。

モヤモヤが生まれやすい園に共通するもの

一方で、これは今回お話を伺った園に限った話ではありませんが、モヤモヤが生まれやすいケースにはある共通点があるようにも感じます。それは、行事の存在や内容について、保護者に向けた説明や対話の機会がほとんどないまま、園からの一方的な通知だけで進んでしまっているケースです。たとえば、「今年も敬老の日にはおじいちゃんおばあちゃんへの手紙を書きます」というお便りが一枚配られるだけのケース。なぜその行事を続けているのか、渡す相手に配慮の余地があるのかどうか、といった背景がまったく見えず、保護者としてはその一枚の紙だけを見て、園の姿勢のすべてを判断せざるを得なくなってしまいます。これは園側にとっても、決して悪意があってのことではないと思います。長年続けてきた行事だから当たり前のように続けている、あるいは他の行事に比べて特に問題視されてこなかったから見直すきっかけがなかった、という現場も少なくないはずです。ただ、結果として、保護者との間に「相互理解が足りていない」という空白が生まれてしまっているのだとしたら、そこは見直す余地があるようにも感じます。

モヤモヤを減らすために、園と保護者にできること

保育園に対して感じるモヤモヤは行事のことだけではありません。些細なことでも共有されていないことが増えると「あれ?」と感じる場面は増えてくるかと思います。

良かれと思った配慮が、伝わりきらないジレンマ

今回お話を伺った園長先生たちは、皆さん共通して「保護者の方に負担や違和感を与えたくない」という思いを強く持っていました。それでも今回のようなモヤモヤが生まれてしまうことがあるのは、その配慮の中身が保護者に十分伝わっていないから、というのが正直なところだと思います。 行事のねらいや配慮の中身を、もっと丁寧に保護者に発信していく。それは行事だけではなく、園のルールも同様です。 行事の是非そのものよりも、「なぜその形にしているのか」を伝える努力が足りていなかったかもしれない、という振り返りは、どの園にとっても共通の課題なのかもしれません。

モヤモヤを溜めずに、園に聞いてみるという選択肢

同じようなモヤモヤを抱えている保護者の方がいたら、私からひとつお伝えしたいのは、「その気持ちを園に伝えてみてもいい」ということです。「なぜこの行事だけ続けているんですか?」「うちの家庭の事情もあって、少し配慮してもらえたら嬉しいのですが」といった声は、決してクレームではなく、園にとっても行事を見直すきっかけになります。園と保護者は、どうしても「お願いする側」「お願いされる側」という関係になりがちですが、子どもを真ん中に置いたとき、本来は同じ方向を向いているはずの存在です。モヤモヤを溜め込んでしまう前に、一度言葉にしてみることは、決して悪いことではないと思います。

私自身が現場で意識していること

私自身も、行事のひとつひとつについて「これは誰のための、何のための行事なんだろう」と立ち止まって考えるようにしています。長年続いてきた行事だからこそ、見直すタイミングを逃しがちですが、家庭が少しずつ多様になっていく中で、「昔からそうだったから」だけでは説明のつかない場面が増えてきているのも事実です。だからこそ、行事を続けるにしても、なくすにしても、かたちを変えるにしても、その理由をきちんと言葉にして保護者の方に伝える、ということを大切にしたいと考えています。完璧な正解はきっとどこにもありませんが、「なぜこうしているのか」を説明できる状態であることは、園として大切にしたい姿勢なのではないかと思います。誰に向けた行事にするか、誰が何を強制するか、最終的な判断を誰が持つか。それぞれの園が、それぞれのやり方で、目の前の子どもたちと家庭に向き合いながら試行錯誤している。そして、保護者として感じるモヤモヤの多くは、行事そのものへの不満というより、「その理由が自分に届いていない」という孤独感から来ているのではないでしょうか。だとすれば、園と保護者がお互いに、もう少しだけ言葉を交わす機会を持てたら、そのモヤモヤはきっと今より小さくなっていくはずです。もしお子さんの園で同じようなモヤモヤを感じたことがある方は、一度、その気持ちを園の先生に話してみてくださいね。それは決して、わがままな要望ではありません。きっと、その一言が、園にとっても子どもたちにとっても、より良い行事のかたちを一緒に考えるきっかけになると思っています。

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Blog:保育士ママのリアルな毎日

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