1. トップ
  2. エンタメ
  3. 「ここで終わり」元シャネルデザイナーが突然の退任を告白

「ここで終わり」元シャネルデザイナーが突然の退任を告白

  • 2026.10.4

カール・ラガーフェルドの後を継ぎ、2019年から約5年にわたってシャネルのクリエイティブ・ディレクターを務めたヴィルジニー・ヴィアール。2024年に同ブランドを去ってから沈黙を守ってきた彼女が、パリ・ファッションウィークに合わせて出版した著書で、退任の舞台裏を初めて明かした。(フロントロウ編集部)

「ここで終わりにしよう」のひと言で

ヴィルジニーの新著は、仏出版社ストックから出版された『Un Regard: Une Vie Chez Chanel(ひとつのまなざし:シャネルでの人生)』。米WWDによると、彼女は現地時間10月2日、フランスのトーク番組『Quotidien』に出演し、本について語った。

本によると、退任を告げられたのは、シャネルのオーナーで会長のアラン・ヴェルタイマーとの昼食の席だった。ヴェルタイマーはただ「ここで終わりにしよう」と口にしたという。ヴィルジニーはその瞬間を「言葉はわかる。でも意味がわからない。6月で、オートクチュールの準備は佳境。売上はかつてないほど好調。すべてうまくいっている。なぜ今? なぜこんなかたちで?」とつづっている。

実際、シャネルは2023年に197億ドルの売上を記録しており、ヴィルジニーの在任中にプレタポルテ事業は2.5倍に成長していた。ただ、2024年5月にマルセイユで発表したクルーズコレクションが悪天候に見舞われて以降、空気が変わったのを感じていたという。ネット上ではコレクションに対する否定的な声が強まり、交代を予想する見方も公然と語られるようになっていた。

「シャネルは私の背骨だった」

ヴィルジニーは1987年にインターンとしてシャネルに入り、一時クロエに移った後、1997年に復帰。デザイン・スタジオを率い、ラガーフェルドのスケッチを形にしてきた人物で、ラガーフェルド本人は彼女を「僕の右腕であり、左腕」と呼んでいた。長年にわたって働いてきた場所を突然失ったショックは大きかった。

「シャネルは仕事ではなかった。私の背骨であり、人生の骨組みでした」と彼女は書く。「通りを歩くのもつらい。怖いんです」。一部のチームはストライキも辞さない構えを見せたが、3週間後のオートクチュール・コレクションはクリエイション・スタジオが手がけたものとして発表され、ブランドは新たな体制へと動き始めた。

振り返って、彼女は自身の弱点も認めている。スケッチを描かず、コラージュでチームとイメージを共有する手法は「クリエイティブ・ディレクターと聞いて人が想像するものではない」。自分で説明できないことは他人によって定義されてしまう、と。さらに「男性の慎重さは厳格さや集中力と受け取られるのに、女性の慎重さは引っ込み思案や存在感のなさ、もろさと受け取られる」と、性別による評価の違いにも言及した。

ラガーフェルドへの手紙と、エディ・スリマン

本には、亡きカール・ラガーフェルドに宛てた手紙も収められている。そこでは感謝と同時に、チーム内の対立をあおっていたとして彼を責める言葉もつづられている。ラガーフェルドのミューズだったアマンダ・ハーレックが、ショーの直前になると彼の隣を占めることに疲れ、マーク・ジェイコブスが率いていたルイ・ヴィトンへの移籍を考えたこともあったと明かしている。それでもシャネルに残ったのは、ラガーフェルドとのコンビがかけがえのないものだったからだという。

また、退任後の2024年9月には、モナコのカロリーヌ公女とその娘アレクサンドラ・ド・ハノーヴルを通じて、後任候補とうわさされたこともあるエディ・スリマンと親しくなったとも明かしている。後任に決まったのがマチュー・ブレイジーだと聞いた時は「ほっとした」そうだ。

謎めいた存在だった元デザイナーが、自らの言葉で語り始めた。その率直さは、華やかなメゾンの内側にも、ひとりの働く人間がいることを思い出させてくれる。

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ