1. トップ
  2. カルチャー・教養
  3. あらゆる境界を超越する、国の宝。歌舞伎女方・坂東玉三郎

あらゆる境界を超越する、国の宝。歌舞伎女方・坂東玉三郎

  • 2026.9.25

男の役者が女を演じる歌舞伎女方。その人間国宝・坂東玉三郎へのインタビューを実施。ひたすらに技を磨き、芸への深い造詣と愛情をもって歌舞伎界を牽引し続ける一方で、海外の芸術家とのコラボレーションや映画監督、シャンソンのライブからアイヌ伝統文化との交流まで、あらゆる境界を超えながら浮世の輝きを生み出している。そんな国の宝が誘うのは、ここではないどこか、ひとときの夢。

photo: Takashi Okamoto, Norio Kidera / text: Masae Wako

坂東玉三郎 『鷺娘』の白鷺の精
BRUTUS

歌舞伎女方は、劇場を訪れた人の魂をひとときの夢の世界へ誘う案内人

女方とは、現実の女ではない者が女を描く「作品」であると、歌舞伎女方の人間国宝、坂東玉三郎は言う。

歌い、舞い、技で人を楽しませる歌舞伎は、17世紀の江戸時代に生まれた演劇だ。女性の演者はおらず、男性が女性を演じる「女方」が存在する。

2027年で初舞台から70年を迎える玉三郎も、たくさんの女性を演じてきた。思わず目を奪われる『籠釣瓶花街酔醒』の花魁(おいらん)や、『京鹿子娘道成寺』の恋する娘。この世のものとは思えぬほど美しい白鷺の精も、女方・玉三郎の代表作だ。

坂東玉三郎 『籠釣瓶花街酔醒』の八ツ橋
『籠釣瓶花街酔醒』の八ツ橋(かごつるべさとのえいざめのやつはし)  豪華絢爛な花魁道中にうっとり、吉原を取り巻く悲哀の物語。/江戸の吉原で実際に起きた事件を基に、歌舞伎狂言作者・三代目河竹新七が書いた名作。花魁にすべてを捧げた商人・佐野次郎左衛門と、悲哀を背負う吉原一の花魁・八ツ橋の物語だ。写真は2010年の舞台より、花魁道中の八ツ橋と出会い、あまりの美しさに次郎左衛門が心を奪われる「見染め」の場面。次郎佐衛門を故・十八代目中村勘三郎、八ツ橋を玉三郎、花魁の情夫・繁山栄之丞を片岡仁左衛門が演じた。名セリフも多く、初心者も楽しめる。
坂東玉三郎 『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子
『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子(きょうかのこむすめどうじょうじのしらびょうしはなこ)  嬉しい、切ない。万華鏡のような娘心を描く、女方舞踊の最高峰。/能の『道成寺』を歌舞伎に取り入れた歌舞伎舞踊の名作。女が大蛇と化して愛する男を焼き殺した道成寺伝説が基になっているが、一番の魅力は、さまざまな舞踊を楽しめること。主役・白拍子花子の華やかな衣装や早替えも見どころだ。玉三郎自身の演出が話題となった『京鹿子娘二人道成寺』も人気が高く、花子を玉三郎と尾上菊之助(現・八代目尾上菊五郎)が演じた舞台は、シネマ歌舞伎にもなっている。26年5月22日より全国で上映された。

「私はいつも客観的に自分を見ています。自分が男であると客観視することが、女を演じるうえでの基盤なのです」

子供の頃から女方の修業を積み、若くして実力を認められた玉三郎はある時、自分が女性の目で世の中を見ていないことに気づいたという。

「女性の目で見る世界がわからないからこそ、その仕草や眼差しを観察し、化粧の仕方や声の出し方を学び、自分の中から自然に滲(にじ)み出るようになるまで体に覚え込ませる必要があるのです。そのうえで舞台に上がる時は、細部まで極めた女性らしさを削ぎ落とし、できる限り端正な形を見せることを意識する。そこに醸し出されるニュアンスに、人は女を感じるのだと思います」

演劇は、今ここにいる人間の肉体表現だと話す玉三郎は、頭で考える前に体で覚えるということを、子供の頃から徹底的に教えられた。

「いいと思ったら終わりだよと、師である父から言われ続けてきました。努力するしかない。それも並大抵の努力ではダメなのです。小細工をしないこと、稽古を大事にすること、人様が言っていることを素直に聞いてすぐ応えること。これがすべてです」

歌舞伎の舞台は、役者の魂と観客の魂が対話する場所

劇場は、生身の人間であることを取り戻せる場所だ。目の前で行われる芝居の意味やあらすじがわからなくても、心がざわめき、興奮と幸福が胸に溢れ、理由のない涙がこぼれ落ちることがある。舞台は時に奇跡を起こす。

「そもそも芸能や芸術は、意味はわからないものだと思うのです。(2017年に国宝を特集した『ブルータス』の表紙を見て)円山応挙の『雪松図屏風』も、松の細部から構図までこだわって描かれているけれど、感動するのはたぶんそこではない。

細部が作る全体を目にした瞬間“応挙の魂がある”と心が動くんです。意味を求めようとせず、空っぽのまま見て受け取ればいい。全部理解できてしまったら見る必要がないでしょう?意味はわからないけれど、この感動は何だろう。そんな対話ができるから、何度でも見たくなるんです」

そう話す玉三郎は、衣装や鬘(かつら)、舞台美術に小道具まで、最大限の手間と時間を費やして、美しい細部を作り上げることでも知られている。

「『熊野(ゆや)』という演目では、衣装を相談するために、上演の2年前から京都の〈佐々木能衣装〉さんへ通いました。そんな時にある方が見せてくださったのが江戸時代の能装束。あまりに素晴らしく、これを復元させてくださいとお願いしたところ、ご快諾いただいたのです。佐々木さんとお引き合わせし、機織りの機械から作り直して国産の絹を手に入れて……ようやく完成した衣装は、忘れられないものになりました」

そこまで手を尽くすのは、昔の役者が衣装も鬘も職人に注文していたと知り、自身もそうしたいと思ったから。

「職人さんの仕事に学ぶことは大きいし、直接会って会話を重ねることでしか伝わらないニュアンスがありますから。それで言うと、今、生のコミュニケーションがどんどん減っていることが本当に心配。人間として生きている実感が得られず、スマートフォンに逃げ込んでいる人が多いように見えるんです。

スマホの中の情報しか信じられない人は、楽しいかもしれないけれど、幸せではない。それでも、彼らには美しいものを求める気持ちもきっとあって、自分は本物に触れていないと渇望する時が訪れるのではないでしょうか」

いわく、舞台役者は、観客をあの世へと連れていく案内人。

「あの世というのはつまり、今ここではないどこか。ひとときの夢の世界です。演じたいという魂と、美しいものを見たいと渇望する魂が、交信する場所。それが舞台だと私は思います」

境界を超え、未知の世界にも挑戦する。すべてはお客様を喜ばせるため

2026年3月、玉三郎は歌手として、新日本フィルハーモニー交響楽団との初共演を果たした。満員御礼の〈すみだトリフォニーホール〉で歌ったのは、例えばシャンソンのスタンダード。発する歌詞が旋律とともに真っすぐ飛び込んできて、歌舞伎俳優ならではの、言葉を届ける力に圧倒される。

〈すみだトリフォニーホール〉内観
新日本フィルとの初共演  26年3月7日、約1,800人の観客が待つ〈すみだトリフォニーホール〉大ホールで、新日本フィルハーモニー交響楽団と共演。第1部はバンド編成、第2部は藤野浩一の指揮によるフルオーケストラと。「愛の讃歌」などのスタンダードを情感豊かに歌う声と姿から伝わったのは「音楽って美しい!」という純粋な喜びだった。

「66人もの皆さんと舞台に立つ日が訪れるなんて、直前までプレッシャーで頭がパンパン!けれど、始まってみたらもう嬉しくて」

朗らかに笑う玉三郎が、歌うことを始めたのは26年前のこと。

「歌舞伎座のような大きな舞台で女方の声を届けるためには、しょっちゅう声を出していないとうまくいかないんです。それで50歳の時に発声の練習を始め、歌のレッスンにも通いました」

2026年は2021年に始めた〈ブルーノート東京〉でのライブも行ったほか、北海道でアイヌ民族伝統芸能との文化交流をするという初の試みにも挑戦。「変わりゆく伝統芸能の形について理解を深める場にしたい」と、雪の中を前日から現地入りし、豊作を祈る儀式や伝統衣装を見学したうえで、自身の舞台に臨んだ。

〈BLUE NOTE TOKYO〉内観、坂東玉三郎
BLUE NOTE TOKYOでライブ  26年3月2日と3日は、〈BLUE NOTE TOKYO〉でシャンソンをメインとしたライブを行った。バンドはストリングス中心のアコースティック編成。その中心は、玉三郎の歌手活動を支えるピアニスト・三枝伸太郎だ。敬愛する井上陽水の曲も披露。艶やかで透明で、一人一人の心に沁(し)み入る温かな歌声が親密な客席に広がった。

また、地方の文化会館やホールで行うトークと素踊り(衣装を着けず袴姿などで役を演じ分ける踊り)の会は、3月だけで6都市へ。もちろん、歌舞伎座や京都・南座、新橋演舞場での歌舞伎公演にも立ち続け、さらには歌舞伎の舞台映像を映画館で上映する「シネマ歌舞伎」の監督も。

人間国宝として研鑽を積みながら、こんなにも精力的に革新的な試みと向き合い続けていることに驚いてしまう。

「人間国宝というのは重要無形文化財保持者、つまり、大切なのは積み重ねてきた“技術”でしょう?私自身がどうだということではないですし、革新的だとも思っていません。お客様に喜んでいただくために、少しでも興味深いものを取り入れたいというだけです。

『シネマ歌舞伎』も、芝居や舞踊の細かいニュアンスを一番わかっているのは、歌舞伎の中で生きてきた私たち。ですから編集もすべて自分で行います。『京鹿子娘二人道成寺』や『鷺娘』には、舞台で観ることのないシーンも入っているんですよ。そうやって誠心誠意続けたことが、偶然、革新になるのであって、革新的であろうと思ってものを作ることはできないのです」

坂東玉三郎 『鷺娘』の白鷺の精
『鷺娘』の白鷺の精(さぎむすめのしらさぎのせい)  白鷺の精の叶わぬ恋心を踊り上げ、世界を震わせた代表作。/「美が、完璧な人間という器を得ることはまずない。坂東玉三郎の『鷺娘』を除いては」。これは公演を観たバレエダンサーのミハイル・バリシニコフの言葉。玉三郎の『鷺娘』初演は1978年。84年にメトロポリタン・オペラハウスのガラコンサートで上演し、大喝采を浴びた。十数kgもの衣装で踊り続ける体力を要するため、全編を通して踊るのは難しいと自ら明言しているが、自身で監督した映像作品が「シネマ歌舞伎」という形で上映され続けている。

木造りの芝居小屋で観客とともに夢を見る

「稽古が忙しくて旅行もできなかった若い頃は、ヨーロッパやアメリカの映画を夢中で観ていました。お金なんてなくなってもいい。コンサートもオペラも劇場へ足を運び、体験できるものはすべて吸収していたように思います」

そんな玉三郎が長年夢見ていたのが、昔の芝居小屋のような木造りの劇場を体験すること。その夢に一歩近づいたのが、1989年、熊本の温泉街・山鹿にある〈八千代座〉を知ったことだった。

それは明治43(1910)年に建てられた芝居小屋。時代が変わり存続の危機に瀕した時、青年会議所の有志が、「一度見にきてください」と玉三郎に手紙と写真を送ったのだ。木造りの建物に惹かれてすぐに山鹿を訪れ、地元の人たちとの交流が始まった。

「最初に舞台に立ったのは90年。木が響くというのでしょうか、音響がとても良かったことを覚えています。なにより舞台と客席の距離が近く、役者の感情がお客様にすぐ伝わる。都会の劇場では味わえない熱を感じました」

やがて大修理が行われ、2001年に再始動。復興に尽力した玉三郎も、毎年のように公演を続けてきた。

「2026年の公演は5月です。舞台と客席で交わす“言葉にできない何か”を待っていてくださる皆さんのため、華やかに幕を開けたいと思います。年齢や体力もあるので、来年のことはわかりません。今、目の前のお客様一人一人に心から満足していただける舞台を作ること。大事なのはそれだけです」

熊本 芝居小屋〈八千代座〉外観
BRUTUS
熊本 芝居小屋〈八千代座〉内観
芝居小屋〈八千代座〉を復興  明治43年に建てられた熊本の芝居小屋・八千代座は、国の重要文化財。玉三郎の尽力もあって大修理の後、2001年柿(こけら)落とし。1階席は四角に区切られた枡席で、天井広告も華やか。廻り舞台は人力で動かしている。26年は5月19日~23日に『坂東玉三郎特別公演』があり、演目は長唄の舞踊劇『元禄花見踊』と、能を歌舞伎舞踊にした『羽衣』。

玉三郎さん、伝統芸能という国の宝は未来へ伝わりますか?

2026年の2月1日、ウポポイの皆さんとの文化交流として雪の北海道で地唄舞『残月』を演じてまいりました。18世紀の後半、この地唄を作ったのは作曲家の峰崎勾当(こうとう)。彼の門人の娘が若くして亡くなったことを偲(しの)び、「彼女の魂は月にいるのだろう」と歌った追善曲です。

月が見えない時は2人で過ごした楽しい時が蘇るも、再び現れた月を見て、ああやっぱりいないのだとその人の不在を思う。寂しいけれど清々しさもあるのです。

『ウケㇱコㇿ~紡がれるアイヌ伝統芸能と歌舞伎~』
アイヌ伝統芸能との文化交流  26年2月1日、北海道白老町(しらおいちょう)にある〈ウポポイ民族共生象徴空間〉で、『ウケㇱコㇿ~紡がれるアイヌ伝統芸能と歌舞伎~』が開催された。前半は、全編アイヌ語で演じられる力強い儀礼の舞台『イノミ』。
『ウケㇱコㇿ~紡がれるアイヌ伝統芸能と歌舞伎~』
後半は月に照らされた素舞台で玉三郎が地唄舞『残月』を披露。会場全体に豊かな叙情と余韻を残し、カーテンコールへ。

アイヌの舞踊も歌舞伎も、その始まりには月や太陽に手を合わせる祈りの気持ちや自然の中の神を崇め、感謝する思いがあったでしょう。けれど私たちが受け継いでいる伝統の在りようは、おそらく、元の形のままではありません。

江戸時代に芝居小屋のろうそくの明かりの中で行われていた歌舞伎の本当の様子は、私たちにはわからないし、かつてのアイヌで行われていた儀礼の舞踊と、ウポポイの舞台で上演された踊りは同じではないはずです。

それでも、「魂を受け継ぐのだ」という祈りをもって誠心誠意、伝統に向き合い続けていれば、やがて天の声のようなものが聞こえてくる。それが芸能というものなのだと私は思っています。

歌舞伎で言えば、長い時間をかけて修業し積み重ねてきた技や思いを、未来の人たちへ継いでいきたい、そう思うのは人として当たり前。ことさら力説するようなことでもありません。若い人であろうが同世代であろうが年長者であろうが、大切なのは、今日も互いに良い舞台を務めることだけ。

努力を惜しまず、細部まで最善を尽くし、全身全霊をもって幕を開ければ、舞台というものは誰の魂にも伝わるのだと思います。

坂東玉三郎 地唄舞『残月』
玉三郎の地唄舞が終わった後、会場後方で観賞していたウポポイの皆さんが客席内の階段を下りてきて、舞台上でずらりと勢揃い。玉三郎のアイデアで急遽加わった粋な演出に、客席からは大きな拍手と笑顔が送られた。

profile

坂東玉三郎(歌舞伎女方)

ばんどう・たまさぶろう/1950年生まれ。57年、『寺子屋』の小太郎役で坂東喜の字(あざな)を名のり初舞台。64年に十四代目守田勘弥の芸養子となり、歌舞伎座『心中刃は氷の朔日』のおたまほかで五代目坂東玉三郎を襲名。2012年、歌舞伎女方として人間国宝認定。演出家としても高く評価される。

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ