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人と自分の比較をやめよう。それこそが生きていくための知性なのだから

  • 2026.8.11

推し活疲れを訴える人が急増。人を推すより、自分が目立ちたい時代?

推し活に忙しい人はみんな幸せ……ずっとそう思っていた。目標が明快で心も体も暇にならないうえ、ストレスや失望のない軽やかな恋愛感情が続くから。そして同じ目的を持つ推し活同士、初対面からいきなり友達になれるような新しい人間関係が生まれるから。こういう幸せの仕組みって今までなかったから……と。

ところが昨今、妙な形にエスカレートしてきて、推し活系のSNSは大変なことになっていると言われる。推し活疲れを感じている人が今や半数を超え、本来が問題など起こりようもない推し活の人間関係に、厄介な問題が起きていると言われるのだ。どれだけのお金を注ぎ込んでいるか的なマウンティングはもちろん、若い層では同じ人を推す“同担”同士が、自らのビジュアルを過激に競うことが社会問題化すらしているとか。ちょっと意味がわからないが、推しに認知され、選ばれたいという生存競争はロックグループなどの追っかけがグルーピーと呼ばれた大昔からある現象だけれど、そうした独占欲とは別に、今はなぜか「推し活コミュニティー内で有名になること」という自己目的化へとすっかりすり替わってしまっている。最近の推し活は幸福感まで生む尊い行動とされていたのに、健全なはずのコミュニティーでも人より上に行きたい人が増えるのは、やはり人間のサガなのだろう。狭い世界の中では、どうしても不必要な比較が始まってしまう。ましてやそこには、推し活ならではの落とし穴があって、残念な話だけれど、輝く推しをある種の使命感を持って支えようとするうちに、試験でよい成績を取るようなモチベーションから、順位のような見えないヒエラルキーを意識するようになってしまうのだ。自分も輝かなきゃという強迫観念や、推しと同じように自分も尊い存在だと感じてしまう余計なミラーリングが働き、一生懸命な人ほどみるみる承認欲求が強くなるからとも言われる。

もちろんみんながそんな推し活をしているわけではないが、推し活の結束感がつくるSNSの世界にどっぷりはまり込むことにより、一般的なSNSよりも強烈な集団意識が働いて、そんな流れになってしまうのだ。ここは冷静に純粋に、推しを心から応援する清らかさを持ちたいもの。でないとせっかくの推し活美容効果……つまり淡い恋愛感情によって、ドーパミンなどといった幸せホルモンが分泌されてキレイになる効果が失われてしまう。比較によって人と争うことには、何の美容効果もないこと、改めて知っておくべきなのだ。

そもそも何のための推し活なのか? 時々はそれを見直すべきだ。推し活は本来が現代最強のメンタルヘルスで、フロー状態とも言える没入がマインドフルネス的効果を生み、疲弊した心をほぐし、孤独感も消え、自分の居場所をもたらしてくれる……という具合に。さらに言えば、他者を評価することで自分もそのレベルに達したいとの素直な向上心が糧となる自分磨きができるはずで、ある知人は、推しのアーティストができるたびにその人の母国語を勉強して、いつの間にかマルチリンガルになっていた。推し活のエネルギーは、人と比較したり人に勝つことでなく、そういうところに使ってほしい。本来がいいこと尽くめなのだから。まさに人生と心のサプリメントともされる推し活で、何でそんなにざわつき、苦しむの? 何で疲れてしまうの? もう一度そこを見直したい。人の才能に感動する……それこそが推し活の素晴らしい本質なのだから。

「嵐」は、人と比較しない知性が全員にあったからこその成就

先ごろ活動を終了した「嵐」は、仲のよさで知られる、ある意味稀有なユニット。これまでさしたるトラブルもなく、年齢を経たことで自然な解散を果たしたかに見える。でもなぜ、このグループだけ特別と言われるのか? 考えられる理由はいくつかあって、まず一人が突出していないこと。それぞれの役割がふんわり分けられ、そのバランスが非常によく取れている集団としての成熟度が高いこと。二つ目に、リーダーというよりまとめ役というべきメンバーが二人いる(ある種の父親のように精神的主柱となってきたのは大野智で、一方、母親的な示唆役のように全体をまとめてきたのが櫻井翔)と言われたこと、優れた集団には必ず父と母がいるらしい。

ちなみにグループとして成功するには、ビジネスでも超優秀な人間がいるよりも、人の心を読めるメンバーがちゃんといて、影のまとめ役になっているほうがはるかに重要、成功率も高いという。そういう意味で、嵐は理想的な人物構成になっていたということなのだろう。お互いを比較しない知性がそれぞれにあって、だから不公平感が生まれないことも、みんな仲よしの鍵だったのではないか。

また、オーディションによってメンバーが決められたことで有名な「NiziU」は、選考において人柄をとことん重視したと言われる。仕掛け人であるプロデューサーJ・Y・Park氏は「人柄の3大要素」を掲げ、ここに当てはまらない候補者はいかに才能があろうと選抜することはなかったというのだ。その3大要素とは、一つ目に、カメラがあってもなくても、同じ言動ができる。つまり裏表のない人間であること。二つ目に、毎日やるべき課題やレッスンを地道に続け、自分との戦いにも勝てる、誠実な性格であること。そして三つ目に、謙虚であること。つまり自分の至らなさを自覚し、仲間を評価し、学び、感謝までできる精神性を持っていること。一人でもこれらに反するメンバーがいると、大人数のユニットほど破綻しやすいという。そもそもアイドル系ユニットは、人気を競い合う中で宿命的に軋轢が起こりやすい。残酷なまでに常に比較され、ポジションの奪い合いや人気投票を強いられる。当然のように嫉妬や潰し合いも起きやすく、一人でも自己中心的でスタンドプレイが目立つ人物がいると、チームワークやモチベーションはあっという間にくずれていく。だから一人残らず、見せかけではない謙虚さを持っていないといけないというのだ。その時初めて、全員で困難に打ち勝ち、目標を達成する強い団結力が生まれるということ。仕事における組織やチームでも同じことなのだと思う。やはり重要なのは一人一人の人格なのだ。

仲間内で、他のメンバーの活躍が気になるのは人として当然のこと。でも、相手の長所を評価できる精神性があれば、足の引っ張り合いなどは決して起きない。せめて比較しないようにする意識がマストで、一人一人がそう意識しないとお互いのネガティブ要素ばかりが目につく関係性が生まれて、もう最悪。結局のところもっとも重要なのは、繰り返しになるけれど“それぞれが人と比較しない知性”を持っていることなのだ。

そう、それは明らかに知性であり知恵。社会で生きていく上で、極めて重要な地頭のよさなのである。嵐もNiziUも、その対人偏差値がとても高いということだろう。

人と比較しない知性とは何か? その知性を養うために知るべきもの

そこで改めて考えたいのは、人と比較しない知性って、そもそも何なのか? それは今からでも養えるのか?ということ。まず知るべきなのは、そもそもみんな比較の仕方が間違っているということ。なぜならだいたいの場合、相手が持っているプラスの要素を、自分が持っているマイナスの要素と比較してしまう傾向にある。これも人間のサガなのか、わざわざ200%負けまくるのがわかっている不利な比較をしているのに、それに気づかないことなのだ。たとえば、SNS上で加工しまくりの誰かの顔と、ナマ鏡に映る自分の寝起き顔を比較してしまうみたいな。人との比較は、どうしたって隣の芝生は青く見える比較になってしまうのを思い知ろう。

かつてベストセラーとなった『世界がもし100人の村だったら』というユニークな本がある。たとえば、銀行に預金があり、今、財布にお金があるなら「あなたは世界でもっとも豊かな上位一桁パーセントに入る」というふうに、世界を基準にして考えたら自分がどんなに恵まれているかをあの手この手で教えるような、そんな一冊だったのだ。“当たり前”に思えることも、「安全な水道水を当たり前に飲めるのは、村人の一部だけ」「大学まで教育を受けられるのは、村でたった一人だけ」。そう知ると、比較すればするほど、申し訳ないほど自分がいかに一握りの幸せな人間なのかを思い知らされる。これはぜひ一度開いてみてほしい本。たべもの編や、子ども編、総集編などが出版されているが、わかりにくい統計をそのまま見せるのではなく、100人という小さな村に置き換えることで、世界における自分の立ち位置がはっきり見えてくる。会社やクラスやママ友や近所の小さなコミュニティーで勝った負けたと言っている小さな視点ではなく、一気に視野が広がり、客観的な正しい比較ができる。まさしくちっぽけな比較で一喜一憂している可笑しさ、虚しさを見せつけられることになるのだ。ともかく実際「自分がその村の住民だったらどうか」を覗いてみてほしい。日々の比較のバカバカしさに気づくはずだから。それこそが人と比較しない知性を養うことになるのだから。

そして、比較するなら自分と自分を比較させたい。去年より今年の私のほうが、何だかずっとイキイキしている。昨日より今日の私のほうがはるかに元気。そんなふうに比較の自分軸をつくるのだ。ただ言うまでもないことだが、10年前の自分より今の自分のほうが衰えている、みたいな当たり前の比較に沈むのは愚かなこと。むしろ10年前より今のほうがキレイという、順当ではない意外な気づきにだけ、比較の意味があるのだから。逆に、以前の自分のほうが機嫌がよかったかも、優しかったかも……としたら、これはまずい! そんな気づきにしてほしい。それこそが知性。自分と自分を比較するほどプラスに成長していける、それこそが向上心であり、生きていく上で最も重要な知性なのだから。

そもそもみんな比較の仕方が間違っている。だいたいの場合が、相手のプラス要素を、自分のマイナス要素と比べている。それも人間のサガなのか、わざわざ200%負けまくるのがわかっている不利な比較をしているのに、それに気づかないのだから。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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