1. トップ
  2. エンタメ
  3. 元劇団四季のイケメン俳優、部員200人のサッカー強豪校でプロ選手を目指すも「僕がスタートしたのは4軍」

元劇団四季のイケメン俳優、部員200人のサッカー強豪校でプロ選手を目指すも「僕がスタートしたのは4軍」

  • 2026.6.30
徹子の部屋
ABEMA TIMES

俳優の柿澤勇人が、高校時代にサッカー強豪校でプロ選手を目指していたことを明かした。

【映像】サッカー強豪校のユニフォーム姿

柿澤は、6月26日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系列)に出演。プロのサッカー選手を目指していたという高校時代のエピソードを紹介した。

徹子の部屋
ABEMA TIMES

父方の曾祖父(清元志寿太夫)と祖父(清元榮三郎)がともに清元の“人間国宝”という名門に生まれながらも、父が家業を継がずサラリーマンになったため、柿澤も芸能に興味を持つことなくサッカー少年として育った。

幼少期からプロのサッカー選手を目指していた柿澤は、サッカー強豪校に入学するも、高校1年生の時に課外授業で劇団四季の『ライオンキング』を鑑賞し、人生が180度激変。当初はミュージカルについてまったく知識も興味もなかった柿澤だが、舞台が始まった瞬間から、釘付けになったという。

徹子の部屋
ABEMA TIMES

「やっちゃいけないんですけど前のめりになっちゃって。もうそっから3時間弱、もうロックオンですよね、舞台に。で、終演後に、担任の先生のところに行って『ここはどうやったら入れますか?』『僕はどうやったら、ライオンキングの主役のシンバっていうのできるんですか?』って聞きました」と熱っぽく語ると、黒柳は大爆笑した。

先生には無理だと一蹴されるも、翌日には『ライオンキング』のCDを購入。毎日聴いては同級生に歌って聞かせていると、同級生たちは「舞台やれんじゃないの」と乗せてくれ、柿澤は「それを真に受けて今に至ります」と笑う。黒柳が「すごいね。友達が良かったのね」と驚くと「彼らに否定されていたら諦めてたと思う。だから本当に仲間に感謝してますね」としみじみと振り返った。

徹子の部屋
ABEMA TIMES

そこで黒柳が「サッカーどうなったんですか?」と尋ねると、柿澤は「サッカーは…僕の学校、高校が結構当時強い学校で、部員が200人ぐらいいたんですよ」と説明。「で、僕がスタートしたのが、A、B、C、DのD軍なんです。つまり4軍。4軍からスタートして、3年生の時にやっと試合にちょっと使ってもらえるような控えの選手で。当然そうだったらプロサッカー選手なんて無理なんですよ」と厳しい境遇だったことを打ち明けた。

「でも『あ、プロなんて無理だな』と思ってた矢先の、ライオンキングとの出会い、ミュージカルとの出会いだったんで。何でしょうね…青天の霹靂というか、人生が180度変わったというか」と吹っ切れたように話すと、黒柳も「ありますよね、そういうのって」と理解を示す。

そして「若い時って、15歳、16歳って、きっとものすごく多感だったし、なんか根拠のない自信というか『俺やれるんじゃないか?』っていうのがあって。だから、そこから一直線に舞台のことばっかり考えるようになりました」と話すと、黒柳も笑顔で頷いた。
(『徹子の部屋』より)

元記事で読む
の記事をもっとみる