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光子は「切ろう」とすると無限に増える――でも外からは1個に見えた

  • 2026.6.1
光子は「切ろう」とすると無限に増える――でも外からは1個に見えた
光子は「切ろう」とすると無限に増える――でも外からは1個に見えた / Credit:Canva

ギリシャ神話に、ヒュドラという怪物が登場します。首を一本切り落とすと、その切り口から二本の首が生えてくる、たいへん厄介な相手です。

ところが光のつぶ(光子)の世界では、それよりもっと奇妙なことが起こるようなのです。

ノルウェーのオスロ大学(UiO)の研究チームによれば、光のつぶの端を少しだけ切り取ろうとすると、首が二本どころか、理想的な切り方をすれば、なんと無限にたくさんのつぶが生まれ得ることが、理論的に示されました。

ところが、本当に不思議なのはここからでした。無限のつぶがざわめいているはずなのに、切れ目の左右をのぞいてみると、片側には「つぶが1個」、反対側には「空っぽの真空」。

まるで何も増えていない、ありふれた景色が広がっていたのです。

無限に湧いたはずのつぶは、いったいどこへ消えたのでしょうか?

そして、そもそも割れないはずの光から、なぜつぶが生まれるのでしょうか?

研究内容の詳細を示した論文は2026年5月18日に『Physical Review Letters』に受理されました。

目次

  • 割れないはずの光を、切るということ
  • 光子を切ろうとすると無限に湧く——―なのに、見ると1個
  • 光のつぶは「何もない空間」から湧いていた
  • なぜ「無限個」なのか——―狭く閉じ込めるほど、つぶは増える

割れないはずの光を、切るということ

割れないはずの光を、切るということ
割れないはずの光を、切るということ / Credit: Rukan, Gulla & Skaar (2026), arXiv:2510.21636 / CC BY 4.0

世の中のものは、どこまでも細かく分けていけそうに思えます。ケーキを半分に、その半分をまた半分に。包丁さえあれば、いくらでも続けられそうです。

けれど、ものをどんどん細かくしていくと、最後には「これ以上は分けられない」という、究極のつぶにたどりつきます。それが素粒子です。自然界をかたちづくる、いちばん基本の部品。それ以上は、どんな刃物を使っても割れません。

たとえば、原子の中心にある陽子。これは3つのクォークというつぶからできています。けれど、そのクォークを取り出してさらに半分に、というわけにはいきません。クォークは、もうそれ以上は分けられない。これが素粒子です。

そして、光のつぶ——光子も、この素粒子の仲間です。つまり光のつぶは、原理からして「半分に割る」ことができないのです。

ここで、ひとつ引っかかります。

「割れないなら、そもそも切りようがないのでは?」

もっともな疑問です。ふつう「切る」といえば、1個のものを刃物で2つに割ること。割れないものを切る、というのは、言葉からして矛盾しているように聞こえます。

ところが、ここで光ならではの不思議な性質が効いてきます。

私たちはつい、光のつぶを、空中にぽつんと浮かぶ小さなビー玉のように思い描いてしまいます。けれど、実際はそうではありません。

量子の世界では、光は「つぶ」であると同時に、「波」でもあります。波だということは、一点にぎゅっと固まってはいない、ということです。

水面に立った波が、ひとところにとどまらず、すうっと横に伸びていくのを思い浮かべてください。

光のつぶも、あんなふうに空間へうっすらと広がった、細長い帯として、光の速さで流れているのです。

帯ならば、その全部を真っ二つにしなくても、流れていく途中で「一部分だけ」を狙うことができそうです。

たとえば、帯が通り過ぎるところに、すばやくオン・オフを切り替えられる鏡——いわば光のシャッター——を置く。

すると、帯のうち鏡に当たった一部分だけが、はね返されます。

つぶを真っ二つに割るのではありません。

広がった帯の一部に鏡を当て、そこだけを断つ——そういうイメージです。

割れないはずのものでも、こうすれば「一部を切り取る」ことができるはずです。

では、帯の一部をさえぎったら、残りはどうなるのでしょうか。

光子を切ろうとすると無限に湧く——―なのに、見ると1個

光子を切ろうとすると無限に湧く——―なのに、見ると1個
光子を切ろうとすると無限に湧く——―なのに、見ると1個 / Credit:Canva

帯の一部を鏡でさえぎったら、残りはどうなるのか。

素直に考えれば、答えはこうなるはずです。

こちら側に1個。そして向こう側には、何もない空っぽの空間——真空が残る。

光のつぶは割れないのだから、これ以外の答えはなさそうに思えます。

ところが、研究チームが光と電磁場のふるまいを記述する量子の方程式を使って、きちんと計算してみると、この素直な予想は、まちがいだとわかりました。

光のつぶを切ろうとすると、減るどころか、新しいつぶが次々に生まれてきたのです。

しかもその数は、0個、1個、2個……と、どこまでも続いていく。

無限個までのあらゆる可能性が、いっぺんに含まれた状態でした(※より正確に言えば、「光が何個ある状態か」という見方をしたときに無限個ぶんまでふくらんでいた、ということです)。

「0個でもあり、1個でもあり、2個でもあり、それらが重ね合わさったり混ざり合ったりして含まれている」——これは、リンゴのように数がはっきり決まっている世界とは、まるで違います。

ふたを開けるまで何個あるか決まっていない。量子ならではの、ふしぎなあり方です。

割れないはずの光のつぶを、ほんの少し切ろうとしただけ。

なのに結果は、無限個のつぶがざわめく、おそろしく複雑な状態でした。

神話のヒュドラは「1本切れば2本」でしたが、光のつぶは「少し切れば無限個」。

神話の怪物さえ、はるかに上回る奇妙さだったのです。

実験の様子を模式的に示したもの
実験の様子を模式的に示したもの / 横軸が空間の位置x、縦軸がエネルギーの密度です。鏡はx=0の位置にあります。

——と、ここで話が終われば、「光を切ると、とんでもなく複雑になる」という、それはそれで面白い結論でした。

ところが、本当に不思議なのはここからです。

研究チームが、切れ目を境にして、その左右を詳しく調べてみると、まったく予想外のことが見えてきました。

切れ目のあたり——専門的には「遷移領域」と呼ばれる、ごく狭い区間——をはさんで、その片側だけを見ると、「光のつぶが、ふつうに1個あるだけ」。

反対側を見ると、「ただの空っぽの真空」。

そんな、拍子抜けするほどありふれた景色が、そこにはあったのです。

全体としては、無限個のつぶが重なり合った、超のつく複雑な状態のはずです。

それなのに、見る場所を切れ目の左右にしぼると、まるで無限個など最初からいなかったかのように、ごく当たり前の顔をしている。

この研究について取材に対しコメントを寄せた、英ヨーク大学のサミュエル・ブラウンスタイン氏は、この不思議さをこう言い表しています。

量子の世界では「恐ろしく複雑なものが、まったく単純なものに見せかけることができる」のだ、と。

正体は、無限のつぶがひしめく途方もない怪物なのに、こちらが見ている範囲では、すました顔で「ただのつぶ1個ですよ」「ここは何もない空っぽですよ」と、すっかり単純なふりをしてみせる——そんなイメージです。

ここまでで、なぞなぞは3つに増えました。

割れないはずの光から、そもそもなぜ、つぶが湧いて出るのか。
湧いたつぶは、いったいどこにいるのか。
そして——なぜそれが、よりによって無限という数になるのか。

以降では、この3つの謎を、ひとつずつ見ていきます。

光のつぶは「何もない空間」から湧いていた

光のつぶは「何もない空間」から湧いていた
光のつぶは「何もない空間」から湧いていた / Credit:Canva

なぜ、鏡で光のつぶを切ろうとすると、無限のつぶが湧き出してくるのか。そして、湧いたはずのつぶは、どこへ消えてしまったのか。

このなぞは、2つの問いに分けて考えると、わかりやすくなります。

1つは「そのつぶは、どこから来るのか」。

もう1つは「湧いたつぶは、どこにいるのか」です。

つぶは、どこから来るのか

まずは1つ目、「つぶはどこから来るのか」。

私たちは「真空=何もない、空っぽの空間」だと思っています。光のつぶを切った向こう側にあるのも、てっきり、そんな何もない空間だと思います。

でも、量子の世界では、そうではないのです。

何もないはずの空間にも、目には見えない電磁場(電気と磁気がつくる場)の「ゆらぎ」が、絶えずさざめいています。

海面が、風がなくても完全には静止せず、つねに細かく波打っているようなものです。何もないように見えて、その水面の下では、いつも何かがうごめいている。

そして、このゆらぎがちょっと刺激されると、何もなかったはずの空間から、本物の光のつぶがポンと生まれることがあります。

鏡やシャッターのはたらきをすばやく切り替える、という行為が、まさにこの刺激になります。

鏡の効き目を急に変えるたびに、まわりの真空がかき混ぜられ、何もない空間から光のつぶが呼び出される——。

ブラウンスタイン氏は、これをこう表現しています。

鏡やシャッターを素早く変化させるたびに、真空をかき混ぜ、何もない空間から光のつぶを呼び出すことになる

もとの1個のつぶが、2個、3個と分裂したわけではありません。あくまで、鏡の効き目を切り替えるという行為が、まわりの真空から新しいつぶを呼び出しているのです。

「真空からつぶが湧くなんて、SFのような作り話では?」と思うかもしれません。

けれど、これは突飛な空想ではありません。

「動く鏡が真空からつぶを生み出す」という現象そのものは、動的カシミール効果という名前で知られていて、すでに本物の実験でも確認されている、れっきとした物理現象なのです。

実際、2011年にスウェーデンの研究チームが、鏡のかわりに特殊な電子回路を使い、その”鏡としての効き目”を、光速の数%にもなる猛烈な速さで電気的に切り替えたのです。

こうして、何もない真空から本物の光のつぶ(マイクロ波の光)を取り出すことに成功しています。

今回の研究は、その確かな土台の上に乗っています。

湧いたつぶは、どこにいるのか

切れ目の部分を境にして、左側と右側が存在します
切れ目の部分を境にして、左側と右側が存在します / 横軸が空間の位置x。中央に「transition region(遷移領域)」と記された狭い帯があり、それを境に左側(L)と右側(R)に分かれています。左側には光子が1個ある状態(a†_ξ|0⟩)で右側には真空(|0⟩)と記されています。Credit: Rukan, Gulla & Skaar (2026), arXiv:2510.21636 / CC BY 4.0

さて、これで「つぶがどこから来るのか」は分かりました。

まわりの真空から呼び出されていたのです。

けれど、ここで新たななぞが浮かびます。

真空から湧いたはずの、無数のつぶ。

それなのに、先に見たように、切れ目の左右を調べても、つぶは1個と真空しか見当たりません。

湧いたはずのつぶたちは、いったいどこにいるのでしょうか。

答えは、切れ目のごく狭い区間——あの遷移領域——のなかです。

余分に現れた複雑さやエネルギーは、左右に散らばっていたのではありません。切れ目という、ごく狭い場所にだけ、ぎゅっと集中していたのです。

物理の言葉で言えば、こうなります。鏡の効き目を切り替えるという外からの操作を通じて、真空がもともと持っていたエネルギーが、本物の光のつぶのエネルギーへと姿を変え、その切れ目のあたりに蓄えられた——。

イメージとしては、広い部屋なのに、熱気がドアのところ一か所にだけこもっていて、部屋の左半分にも右半分にも、ほとんど伝わっていない感じです。

遠目には「左はがらんとしている、右もがらんとしている」と見えるものの、ドアのところに、むんとした熱気が渦巻いている状態です。

切れ目のまわりも、これと同じでした。

込み入った事情はその一点にぎゅっと集まっていて、左右の領域にまでは、はみ出していなかった。

だから左右を見れば、いつでも「1個」と「真空」に見えていたのです。

これで「どこから来て、どこにいる」のかは分かりました。

——でも、いちばん根っこのなぞが、まだ手つかずで残っています。

そもそも、なぜ「無限個」などという、とんでもない数になってしまうのでしょうか。1個や2個ではなく、無限個。これはいくらなんでも、多すぎます。

なぜ「無限個」なのか——―狭く閉じ込めるほど、つぶは増える

なぜ、無限個などというとんでもない数が出てきたのか。

じつは先に見た「複雑さは切れ目の外へはみ出していなかった」という事実が、そのまま大きなヒントになっています。

量子の世界には、こんな法則があります。「光を、これほど狭い範囲にきっちり閉じ込めようとすると、その代償として、関わってくる光の”数の成分”が、必ずふくれあがってしまう」というのです。

「閉じ込めること」と「数がふくらむこと」が、どうして関係するのでしょうか。一見すると、まったく無関係な2つの話に思えます。

ここで思い出してほしいのは、「光は波である」ということです。そして、波には1つ、面白い性質があります。

ここから先がストンと垂直に途切れるような、くっきりと角ばった、鋭い形をつくるのは、とても難しいのです。

ファミコンのピコピコ音などは角がカクカクな波が使われています
ファミコンのピコピコ音などは角がカクカクな波が使われています / Credit:Canva

音で考えてみましょう。

きれいな単音——サイン波と呼ばれる、いちばん素直な波——は、なめらかに上下するだけで、どこにも「角」がありません。

フルートのやわらかな音を思い浮かべてください。あれが、角のない波のイメージです。

では、角がカクカクした波——四角い形をした波——は、どんな音でしょうか。

じつは、これに心当たりのある方は多いはずです。

ファミコンの、あの「ピコピコ」と鳴るゲーム音楽、あのとがった電子音の正体が、まさに四角い波(矩形波)なのです。

やわらかなフルートと、とがったピコピコ音。この音色の違いこそ、波の形の違い、そのものなのです。

では、あのカクカクした波は、どうやって作られているのでしょうか。

単音を1つ鳴らすだけでは、まったく足りず、高さの違う音を、何種類も何種類も重ね合わせる必要があります。

そして、角を鋭くすればするほど、より高い音を、際限なく足し続けなければなりません。

そして完全に垂直な断ち切りの波をつくろうとすれば、それこそ無限の種類の音を重ねなければならない、というわけです。

光の波でも、これと似たことが起こります。

「ここでピタッと途切れて、向こう側は完全にゼロ」という鋭い断ち切りをつくるには、波長の違う波を、無限の種類だけ重ね合わせなければなりません。(※厳密には「波長成分の数」と「つぶの数」はイコールではないのですが、イメージとしてはこの理解で十分です)

「光を切ったら無限にふくらんだ」という、あれほど奇妙に見えた結果は、決して異常事態ではありませんでした。

光を狭い範囲にぴったり閉じ込める——それはつまり、波を究極までカクカクにし、真空を限界まで強くかき混ぜるということ。

ならば、量子の法則からして、関わる光の成分が無限にふくらむのは、最初から分かりきっていたことだったのです。

驚きの現象が、ふたを開けてみれば、法則どおりの当然の帰結だった。

ものごとを「ここでスパッと」と完全に断ち切ろうとすると、その代償として、際限のない複雑さを呼び込んでしまう。

きれいな境界線は、ただではすまないのです。ここに、この研究の静かな美しさがあります。

さて、ここまでは、鏡を一瞬で「パッ」と取り去った、いわば極限の場合の話でした。

最後に、もう少し現実に近い場合も、見ておきましょう。

じつのところ、平均すると見込まれる光子の数が本当に無限大に発散するのは、鏡を一瞬で取り去った、この理想的な極限のときだけです。

鏡を一瞬ではなく、ゆっくりとした有限の速さで切り替えると、期待される光子の数は無限大ではなく、ちゃんと有限の数におさまります。

そしてこのとき、切れ目は、厚みゼロの一本の線ではなくなります。

鏡を動かす時間に応じて、ある程度の幅を持つようになります。

すると帯は、3つの層に分かれます。

片側の領域、真ん中の切れ目の領域、そして反対側の領域。点だった切れ目が、目に見える帯へと育つわけです。

それでも、切れ目をはさんだ両側を見れば、結果は変わりません。

片側はほぼ1個、反対側はほぼ真空のまま。込み入った事情は、あくまで真ん中の切れ目のなかにとどまっていて、その外側にまでは染み出していきません。

だから両側は、いつ見ても、1個と真空のままに見えるのです。

もっとも、今回の研究は理論計算によるものです。

鏡で光を切る、というこのシナリオを実際に確かめるのは、これからの課題ということになるでしょう。

けれどこの理論から得られるものは少なくありません。

私たちは、世界をきっぱり切り分けられると思っています。

ここまでが光で、ここから先は何もない。

そんなふうに、ものごとには、はっきりした境目があるはずだと。

けれど、割れないはずの光を、ほんとうに切ろうとした瞬間、その切れ目には、無限の複雑さが押し寄せていました。

それでいて、ほんの少し離れて眺めれば、世界は何ごともなかったかのように、「光が1個、あとは空っぽ」という顔をしている。

正体は、無限のつぶがざわめく怪物なのに、こちらが見ている窓の中では、涼しい顔で「ただのつぶ1個ですよ」と単純なふりをしてみせるわけです。

量子の世界では「恐ろしく複雑なものが、まったく単純なものに見せかけることができる」とは、ブラウンスタイン氏の言葉です。

私たちがふだん「単純だ」「当たり前だ」と思って眺めている世界の風景は、ほんとうに単純なのでしょうか。それとも——本当は途方もなく入り組んでいるのに、私たちがいつも、限られた窓からのぞいているだけ、なのでしょうか。

この発想は今後、つぶ1個だけでなく、複数のつぶや、電子のような別の粒子を考えるときの手がかりにもなりそうです。

光のつぶが見せてくれたこの不思議が、ほかの粒でも顔を出すのか——それは、これからの研究が確かめていくことになります。

光は、切ろうとすると、無限に増える。けれど、外側から見れば、何も増えていないように見えた。

——世界は案外、そういう涼しい顔で、私たちのすぐ隣にいるのです。

元論文

Truncated photon
https://doi.org/10.1103/94pm-hp34

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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