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「再放送してほしい」「何度でも観たい」NHK夜ドラ“ダブル主演”の2人が“絶妙な距離感”を名演、4年前の名作

  • 2026.5.28

NHKよるドラ『恋せぬふたり』は、2022年の放送から時間が経っても「何度でも観たい」「また再放送してほしい」と言われ続ける稀有な作品のひとつだ。恋愛感情も性的欲求も抱かないセクシュアリティを持つ咲子(岸井ゆきの)と高橋(高橋一生)が、“恋人でも夫婦でもない家族”として同居を始める。設定だけ聞けば尖っているのに、描かれるのは驚くほど生活に根ざした手触り。本作の本質は、恋愛に興味を持てない二人が、他者とつながるために対話をサボらない、その誠実さにある。

※以下本文には放送内容が含まれます。

自分の輪郭を守る術

『恋せぬふたり』の第一の功績を挙げるとするなら、“恋愛しない”という状態を欠落として扱わなかったこと

スーパーの経営企画課で働く兒玉咲子は、恋バナが飛び交う職場や、結婚が当然とされる空気のなかで、ずっと息苦しさを抱えている。頑張って空気を読もうとしても、話題の前提が違うから、どこかでズレてしまう。その“置いていかれ方”を、このドラマはとても丁寧に拾っている。

そんな咲子が、取引先のスーパーで店員の高橋羽に出会い、“恋愛しない人間もいる”という概念について知る。たった一言が、世界の見え方を変える瞬間。救いはまず、言葉の“定義”としてやってくるものなのかもしれない。
自分がおかしいのではなく、言葉がまだ与えられていなかっただけ。そう思えたとき、人は初めて自分の輪郭を守る術を得る。

しかも本作は、セクシャルマイノリティを“説明のための属性”に落とし込まない。当事者考証を重ねた誠実さが、パンフレットや会話の積み上げとして自然に画面へ溶け込んでいく。

大事なのは、すでにこの世に存在する定義そのものが、たった一つの正解ではないことも同時に描く点だ。ラベリングに救われる人がいる一方で、規定されることに戸惑う人もいる。そのグラデーションがあるから、このドラマは当事者の話に閉じない。“普通”という枠に苦しむ多くの人の物語として開かれている。

二人の距離が名演になる

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高橋一生(C)SANKEI

岸井ゆきのと高橋一生のダブル主演が見事なのは、“恋に発展しない”という前提が、芝居の新鮮さを生んでいるところだ。
2人の間に甘い空気はない。けれど、冷たいわけでもない。互いのパーソナルスペースを尊重しながら、少しずつ信頼を深めていく過程が、日々の更新として描かれる。

咲子は不器用でド直球で空気が読めないところがあるが、その不器用さが、現実の呼吸に近い。そして高橋は淡々としているが、だからこそ見え隠れする優しさがある。
ただ、相手の境界線を踏まない。それが、どれほど難しいことか。恋愛が前提の関係だと、境界線はしばしば“愛情”の名のもとに曖昧にされてしまう。『恋せぬふたり』は、その曖昧さを拒みながら、人と人が同居するための新しい手順を見せていく。

“結婚=ゴール”へのアンチテーゼ

この作品のテーマがもっとも濃密に凝縮された回を挙げるなら、まず第3話だろう。咲子の元カレ・松岡(濱正悟)が二人の同居を知り、あらためて咲子に交際を迫る。彼なりの“歩み寄り”に見えるこの提案が、決定的にズレているところが痛い。

松岡が提示しているのは、あくまで妥協としての恋愛で、咲子が求めているのは、そもそも恋愛という枠組みから解放された関係性だ。ここでドラマの見せ方として上手く機能しているのは、松岡を悪役にしないこと。彼は戸惑いながらも学ぶ姿勢を示し、後にアライ(=セクシャルマイノリティを理解し、サポートする役割)へ変化していく。

人は対話で変われる。その希望が、わざとらしくなく描かれている。
『恋せぬふたり』は“離れても壊れない”関係性の強さを提示する。名付けられない関係は不確かではない。名付けられないからこそ、自分たちの言葉で更新し続ける強固なものになり得る。ここに、結婚=ゴールという物語への、見事なアンチテーゼがある。


出典:よるドラ『恋せぬふたり』NHKアーカイブス

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X:@yuu_uu_

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