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『豊臣兄弟!』14話で、藤吉郎(池松壮亮)に「鎮痒剤」を「痛みが和らぐ秘伝の薬」として渡した家康(松下洸平)。

  • 2026.4.24

*TOP画像/家康(松下洸平) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』15話(4月19日放送)より(C)NHK

『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は「徳川家康と薬」について見ていきましょう。

◆足に刀を突きさした藤吉郎に対し、家康はどう動く?

家康は「かゆみ止め」を「秘伝の薬」として藤吉郎に渡す

『豊臣兄弟!』の14話では、浅井長政(中島歩)の裏切りで怒り狂う織田信長(小栗旬)を京に帰るよう説得するため、藤吉郎(池松壮亮)は自ら足に刀を突き刺しました。徳川家康(松下洸平)は藤吉郎の説得を少し離れた場所から見ており、事が落ち着くと、藤吉郎に緑色の布地に金色の刺繍が施された巾着に入った薬を「当家に伝わる秘伝の薬じゃ。塗れば 痛みが和らぎまする」と説明しながら渡していました。

家康(松下洸平) 小一郎(仲野太賀) 藤吉郎(池松壮亮) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』14話(4月12日放送)より(C)NHK

石川数正(迫田孝也)が「ただのかゆみ止めでは」と疑問を口にしたのに対し、家康は「何事も念ずれば通ずるものよ」と応えていました。家康が藤吉郎を心から案じていたのか、それともただ面白半分で不遜な態度を取っていただけなのか、解釈は分かれるところでしょう。というのも、家康は数正とともに“藤吉郎が危険な役目(しんがり)を引き受けたおかげで自分たちは助かった”と安堵しており、藤吉郎を心から心配しているようには見えない場面もあったためです。

家康が藤吉郎に渡した薬の効果は、はっきりしませんでした。藤吉郎は最後まで戦い抜き、無事に帰還することができました。けれども、浅井・朝倉軍からの危機を脱した後、「小一郎…死ぬほど痛い」と本音をこぼしており、痛みに耐えていたようです。藤吉郎の傷は薬で動ける程度には回復したのか、それとも“信長を守る”という責任感と“生きて帰る”という強い思いで乗り切ったのか、あるいはその両方だったのだろうか……。

◆長寿だった家康。「天下人」の背景には、病気を乗り越える力もあった⁉

徳川家康は「健康オタク」 66歳にして16人目の子どもを授かった家康の健康法とは?

戦国時代の平均寿命は定かではないものの、武士については40代前半という説もあります。また、当時としては長寿であったものの、織田信長は49歳、豊臣秀吉は62歳で亡くなりました。そうした中で、徳川家康は75歳まで生きました。家康が長寿だったのは、生まれ持った体質もあったのかもしれませんが、彼の健康への意識の高さも大きく関係しているといえそうです。例えば、京の名医に江戸勤番を命じ、我が家の侍医にすることもあったと伝わっています。

なぜ、家康が自身の健康管理に抜かりがなかったかというと、確かなことは本人にしかわかりませんが、“天下平定の総仕上げをするぞ!”という強い思いがあったからともいわれています。

◇自分で薬を調合 薬師顔負けの知識量!?

家康は自ら薬を調合していましたが、その知識と技術はプロの薬師に匹敵するものでした。自身が通る道に生息する植物に細やかに目を凝らしていたほか、薬草に関する書籍も深く読み込んでいました。例えば、平安時代に編纂された『和剤局方(わざいきょくほう)』(1107~1110年)は暗記するほど繰り返し読んだそうです。また、李時珍(りじちん)が著した当時最新の本草書『本草綱目(ほんぞうこうもく)』(1596年)も熱心に読み込み、研究会を開くほどでした。

家康が自ら調合した薬として知られるものに、「万病丹(まんびょうたん)」や「銀液丹(ぎんえきたん)」があります。彼は自宅に薬箪笥を置き、大切に薬を保管していたほか、戦場へ赴く際にも薬を持参していました。笠の裏に隠していたため「御笠間薬(おかさまぐすり)」と称していたそうです。自分が体調を崩した際に服用するだけでなく、周囲の者にも自家製の薬を分け与えることがありました。

◇天下人になっても「麦飯」が基本

現代においても健康には食生活が欠かせないといわれていますが、家康の食事は健康的なものとして今も評価されています。家康は麦飯を好んでいたといわれており、白米はあまり口にしませんでした。また、発酵食品も好み、特に味噌はおにぎりの両側につけるなどしてよく摂取していたそうです。そのほかに、納豆も好物の1つだったと伝わっています。

家康の普段の食事メニューは、麦飯、味噌汁(具はかぶなど)、おかず1~2品(いわしなど)が基本でした。当時、いわしは庶民の魚として知られていましたが、健康志向の強い家康にとって、そうした先入観はさほど気にするべきことではなかったのでしょう。ちなみに、時代は異なるとはいえ、藤原道長は“日本で最初の糖尿病患者”ともいわれています。道長は経済的に余裕があったゆえに贅沢な食生活をしていたため、”現代病”といわれる糖尿病をわずらったのです。

今の世の中でも、”お金持ちになってステーキやお寿司、ケーキなどをたらふく食べたい。高級な酒もいいな”と考えたことがある人はいるでしょう。しかし、これらは健康によい食べものではないため、過度な摂取は身体に悪影響をもたらすリスクもあります。

◆健康オタクの家康が手にしたものは……

家康は病気を乗り越えて「天下人」に!

家康は粗食を好んだだけでなく、水泳や鷹狩りなどを積極的に嗜むなど、スポーツマン的な一面も持っていました。しかし、家康は“病知らず”ではなく、自身も病や体調不良に苦しむこともありました。例えば、44歳のときには背中の癰(よう)に苦しめられ、激しい痛みとともに発熱を伴うこともありました。

さらに、関ヶ原の戦いの約2カ月前、家康はわらわやみ(高熱を伴う重い病)にかかり、病み上がりで戦いに臨みました。この戦いで家康は実質的に天下を掌握し、江戸幕府を開く基盤を整えました。わらわやみ回復後すぐ、石田三成らを相手に勝利したのは、まさに驚異的ですね。

<参考資料>
奥田昌子『日本人の病気と食の歴史』加耕ベストセラーズ、2019年
加来耕三 『徳川家康の勉強法』プレジデント社、2023年
河合敦『戦国武将は戦がないとき、何をしていたのか』ポプラ社、2026年
徳川宗英『徳川家に伝わる 徳川四百年の裏養生訓』 小学館、2018年

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